28日(月)、昨年に引き続き「成田山参道」を「クラシックカー」が走りました。今回は台風15号・19号、被災地支援大会として開催されました。25日(金)に「明治神宮」を出発し、福島県・宮城県・山形県・栃木県・千葉県を通って28日(月)の「明治神宮」のゴールまで約1350kmの公道を走行します。一番古い車は1924年式、新しい車は1973年式(特に組織委員会が認めた車輌?)で100台位参加しました。特に〔Vintage クラス〕及び〔Post-Vintage クラス〕の車は、そのクラシックな姿と頑張って走っている感じのエンジン音が好きです。
9時10分頃に「成田山新勝寺山門広場」に走行予定との事だったのですが、早めに通過したみたいでした。私が着いた時には半分以上が通り過ぎた後でした。チェックポイントの「山門広場」までには行かずに「表参道」で観る事にしました。25分程であっと言う間に通り過ぎて行きました。クラシックカーの中でも〔Vintage クラス〕及び 〔Post-Vintage クラス〕の車を観るのを楽しみにしていました。特に〔BUGATTI タイプ35〕(1926年式・2台/1927年式・1台) は、その古くて可愛いい姿が好きなのですが、3台とも通り過ぎた後で観られなかったのは残念でした。
───参加資格車は以下の通りとなっています───
(レプリカモデルは参加を認めないとの事)
【A】 Vintage クラス・・・・・・・・1919年~1929年に製造された車輌
【B】 Post-Vintage クラス・・・・・1930年~1939年に製造された車輌
【C】 Post War-Ⅰ クラス・・・・・1940年~1949年に製造された車輌
【D】 Post War-Ⅱ クラス・・・・・1950年~1957年に製造された車輌
【E】 Closed List クラス ・・・・・・1958年~1967年に製造された車輌
【B】 1934年式 / 1935年式 / 1936年式
【B】 1934年式 / 1938年式
【C】 1947年式 / 1948年式 / 1949年式
【C】 1949年式(ドライバー:篠塚建次郎さん) / 1949年式
【D】 1951年式(女性ペア) / 1954年式 / 1955年式(コ・ドライバー:清水國明さん)
【D】 1955年式 / 1955年式
20日(日)、2番目の孫の運動会がありました。年長さんなので、今年が最後の運動会になります。実は先日の台風19号の影響で14日に延期になっていました。微妙な天気のところ決行したら、雨が降って来て結局中止になってしまいました。再度19日に延期になり、また雨で再び20日に延期になりました。紆余曲折を経てやっと開催されました。
何時もは小学校の校庭を借りて行なうのですが、今回は園庭で行なわれました。食事のスペースが少ないからなのか、午前中で終わりました。狭くて良く見えなかったので、後で気が付いたら「かけっこ」や「リレー」は他の子を撮っていました。年長さんは「鍵盤ハーモニカ」や太鼓などを使った「リズムパレード」もありました。
お昼の食事はファミレスで食べました。孫達と別れて帰る途中、たまたま《飯塚氷川神社・例大祭》の《神輿パレード》をやっていました。「西中学校」と6町による神輿でした。2年に1回行なわれているそうです。川口駅西口広場まで神輿に付いて行きました。
年長さんの「綱引き」 / 年長さんの「組み体操・ソーラン節」
年中さんは定番の「バルーン遊戯」を
「西中学校」の皆様による「木遣り」・「神輿」・「手古舞」
「飯塚氷川神社」の方々 / 「仲町」の神輿
「錦町」の神輿 / 「飯塚1丁目」の神輿 / 纏(まとい)の手振り
「飯塚2丁目」の神輿 / 「飯塚3丁目」の神輿 / 「原町」の神輿
川口駅西口広場に神輿が集合しました
各町の神輿が再度出発した後、太鼓の演奏がありました
先月で朝ドラの《なつぞら》が終わりました。前半は戦災孤児である主人公の「なつ」が逞しく生きていく様を、後半はアニメーション草創期にアニメーターを目指して行く様を描いていました。後半の「奥原なつ」は「奥山玲子」さんを、夫の「坂場一久」は「高畑勳」さんをモデル・参考にしていたそうです。他に「宮崎駿」さん達をモデルとしたとされている登場人物もいました。また、「奥山玲子」さんの実際の夫の「小田部羊一」さんがアニメーションの時代考証をしていました。
私は特に後半を感慨深く観ていました。実は父が1966年頃にアニメーションの制作会社に勤務していて、背景画を描いていました。月~土の夕方の10分間、ロバくん(声:愛川欽也)が出て来る物語でした。徹夜の仕事も度々あり、ドラマでもそんな場面がありましたが、机に座ったまま仮眠していたそうです。過労死しないか心配でした。でも、2年程で放送が終わり、会社も無くなってしまいました。
特別な思いで観ていた時に、「京都アニメーション」の放火殺人事件がありました。一瞬にして多くの尊い命と才能が失われてしまいました。悲しく残念な事件でした。犠牲者たちの冥福をお祈りいたします。この事件で「京都アニメーション」を知る事になりました。作品を観る事が供養になるのではと思い、まずは【響け! ユーフォニアム】を観てみたいと思います。
事件現場の中央のらせん階段の映像を見て、ふと昔の事を思い出しました。私が小学校低学年の頃まで父が「街頭紙芝居」の絵を描いていました。描いた絵は紙芝居の貸元の方が取りに来るのですが、仕上がっていない時は母が次の日に届けに行きました。その時に私も度々付いて行きました。3~4社程と仕事を請け負っていましたが、私は金町駅と堀切駅に良く行ったのを覚えています。どちらだったか忘れましたが、1階の中央にらせん階段があって、ニスの入った大きな缶がたくさん置いてありました。上に張ったロープに仕上げのニスを塗った絵がぶら下がっていました。印象的な光景だったので、鮮明に覚えていました。
私2歳・弟1歳位と両親 <おまけの画像> / 父が紙芝居を描いているところ
ずっと気になりながら迷っていましたが、思い切って行って来ました。入場待ちする程ではありませんでしたが、もうすぐ会期終了だったので会場内は混んでいました。
まず真っ先に【安寿と厨子王丸】が目に飛び込んで来ました。印象に残っていた作品だったので、とても懐かしく思いました。《高畑勳》さんが演出助手として関わっていた事は知りませんでした。朝ドラ『なつぞら』の「奥原なつ」のモデルとされている「奥山玲子」さん(故人)も動画スタッフとして関わっていました。後の夫「小田部羊一」さんも補助として関わっていたそうです。因みに「安寿」のキャラクター設定は吹き替えの「佐久間良子」さんを基にしたそうです。人物モデルに演技を行なわせ、その実写フィルムを下敷きにアニメーション作画を行う「ライブ・アクション方式」が一部採用されていました。
初めて観たアニメ動画は、5~6歳頃に母と一緒に観に行ったディズニー映画の【わんわん物語り】や【バンビ】でした。日本のアニメ動画は小学生の頃に観た【安寿と厨子王丸】が初めてで、感動したのを印象深く憶えていました。数年前、また観たくなって「DVD」が出てないか、ネットで探した事がありました。でも、何故か1万円以上もしていたので諦めていました。今回、ミュージアムショップで普通の値段で売っていたので、迷わずに買ってしまいました。帰ってからネットで見たら、普通の値段で売っていました。たぶん今回の展覧会に際して増産したのかも知れません。さっそく「DVD」を観て感動を新たにしました。
展示は他に【わんぱく王子の大蛇退治】(演出助手)・【狼少年ケン】・【太陽の王子 ホルスの大冒険】・【パンダコパンダ】・【赤毛のアン】・【母をたずねて三千里】・【セロ弾きのゴーシュ】・【じゃリン子チエ】・【火垂るの墓】・【おもひでぽろぽろ】・【平成狸合戦ぽんぽこ】・【ホーホケキョとなりの山田くん】などがありました。作品が出来上がるまでには、キャラクター設定や製作過程などに紆余曲折を経ている事が良く分かりました。几帳面に書かれたメモからは作品に対する熱量が感じられました。尚、【アルプスの少女ハイジ】の「ハイジ」は最初のキャラクター設定では「おさげ髪」でした。
背景画も作品によってポスタカラーで緻密に描いたり、油彩画風・水墨画風・水彩画にしたりと様々な工夫と拘りがありました。【母をたずねて三千里】では油彩画風に、【セロ弾きのゴーシュ】では水墨画に色を付けた感じに描いてあり、絵画としても観応えがありました。【おもひでぽろぽろ】の回想の場面では画面の周囲を敢えて白く残し、水彩でぼかして描いてありました。
最後の監督作品となった【かぐや姫の物語】ではデジタル技術を駆使して手描きの線を活かした水彩画風の描法に挑みました。従来のセル画による様式とは一線を画し、表現上の革新を達成しました。敢えて手間取る手法を使う発想の凄さにに溜め息が出てしまいました。まさしく天才です!まだ作品を観ていませんが、是非とも観てみたいと思いました。
パンフレットより:【かぐや姫の物語】 / 【アルプスの少女ハイジ】
展覧会場の入口 <奥に竹林が見えます>
【アルプスの少女ハイジ】のジオラマ:おじいさんとヨーゼフとハイジ / ペーターとヤギ達
【アルプスの少女ハイジ】のジオラマ:山小屋の中のヨーゼフ