サヨコの独り言

興味のあるものを「コンデジ」で撮影しに行ったり、
街で偶然に見かけたものを「スマホ」で撮っています。

《 古代文字瓦の世界 》 -旧新橋停車場(鉄道発祥の地)にて-

2020年01月22日 | 展覧会

《旧新橋停車場》には前から行ってみたいと思っていましたが、わざわざ行く程では無いので行った事がありませんでした。ちょうど「鉄道歴史展示室」2階で興味のある企画展をやっていたので行ってみました。《古代文字瓦の世界》はJR東日本社長などを務めた故「住田正二」氏の父「住田正一」氏(呉造船所社長)が各地を旅して集めた古寺の瓦コレクションを中心とした展示でした。現在は孫の「住田親治」氏が受け継いで保管しているそうです。「龍角寺」の「文字瓦」も展示してありました。「文字瓦」は地名などをヘラ書きしたものですが、女性名と思われる「文字瓦」など珍しいものが有りました。

《旧新橋停車場》は1872年(明治5年)に日本最初の鉄道ターミナルだった新橋停車場の駅舎を同じ位置に忠実に再現したものです。1階は常設展になっていて、鉄道の発展の歴史を観る事が出来ました。「改札鋏」・工具類など鉄道業務に用いられた金属製品や「汽車土瓶」などの出土品も展示されています。また、埋め戻された保存箇所が観られる様に、床の一部がガラス張りの見学窓になっています。そこからは開業当時の駅舎基礎石の遺構を直に観る事が出来ました。《旧新橋停車場》正面には階段遺構の見学窓、裏には再現プラットホーム ・ プラットホーム遺構の見学窓 ・ 再現軌道 ・ 日本最初の鉄道の測量の為の第一杭の跡に建てられた0哩(マイル)標識などがあります。

今月いっぱいだと思いますが、再現プラットホームでは15分置きにイルミネーションのショーがありました。SL・新幹線(こだま)からリニアモーターカーまで表現されていました。SLの時は音と煙の演出で迫力がありました。スクリーンには、1872の文字が映し出されていました。新幹線の時は「こだま」の映像と1964の文字。リニアモーターカーの時は数字が繰り出されて行き、2215で終わりました。未来の乗り物(?)を偶然に観る事が出来て得した気分になりました。

古代文字瓦の世界ー住田コレクションを中心として-


「旧新橋停車場」正面 / 「旧新橋停車場」横側


再現プラットホーム / 再現軌道 / 0哩(マイル)標識 <鉄道記念物>


「旧新橋停車場」裏の再現プラットホーム / SLのイルミネーション(左)と新幹線のイルミネーション

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《 コミミズク 》(小耳木菟)に会って来ました! -手賀沼周辺にて-

2020年01月16日 | 動植物

1月8日付「毎日新聞」の《コミミズクの群れ飛来》と言う見出しの記事と写真を見て会ってみたくなりました。こじらせた風邪がまだ治っていなかったのですが、次の日から天気が悪くなりそうだったので、思い切って手賀沼まで行って来ました。「バードウォッチャー」の方々がたくさん来ていました。バズーカ砲の様な大きな望遠レンズのカメラが並んでいました。私も「コンデジ」で一緒に並びました。「チビカメラ」さん何しに来たのと思われそうでしたが、親切にあそこに留まったよとか教えてくれました。

《コミミズク》は 【冬の草原のアイドル】 と呼ばれ、例年は茨城県の利根川河川敷で目撃されていました。でも、昨年の台風の影響でヨシ原が泥をかぶり、「ハタネズミ」などの小動物が水田に避難したものと考えられているそうです。それで餌場を求めて手賀沼近くの水田に来たみたいです。この付近で見られるのは数年ぶりとの事。3羽位いるとの事でしたが、私が見たのは2羽でした。フクロウ類の中で異質な点は、森林ではなく干潟や河川敷、水田など広々とした草地で生活します。

全長約40cmとカラスより一回り小さい感じで、カラスに威嚇されていました。遠かったのでハトより小さく見えました。顔がどっちを向いているか見えなかったので、取り敢えず何枚か撮りました。まあるい顔がキュートです。杭が好きみたいで良く留まっていました。

水田の近くの枯れ木に、まるで実がなっているみたいに「スズメ」がたくさん留まっていました。頬の大きな黒い斑がチャームポイントで可愛い顔をしています。でも、稲の虫も食べますが、農作物などに悪影響を与えるので害鳥扱いになります。《コミミズク》は水田にいる「ハタネズミ」などの小動物を捕食するので益鳥になります。

スズメ / 車がたくさん駐っていました
  

田んぼの中で / 散水の為の杭が気に入っているみたいで長く留まっていました


広大な水田一帯を自由に飛んでいました


ゴミの上に留まっていました / 2羽飛んでいました


帰る頃、夕焼けが綺麗でした / 夕日が建物に当たっていました

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《 どんど焼き 》(令和初) -房総のむらにて-

2020年01月12日 | イベント

12日(日)10時から「房総のむら」・「上総の農家」の畑で《どんど焼き》が行なわれました。曇っていましたが、風も無くて良好な天気でした。《どんど焼き》は小正月頃、取り外した「しめ飾り」などを燃やし、その火で焼いた餅を食べて無病息災を祈る伝承行事です。年神様を見送る意味もあります。私も「しめ飾り」を持って行きました。餅は事前に予約が必要で、当日受付分も終了していました。

直径10cm位の太い竹で組まれた櫓(やぐら)の中に「しめ飾り」が入れられました。館長さんが「松明」を持って点火しました。竹には事前に穴を開けてあったそうですが、それでも中の空気が膨張して〔パーン〕と大きな破裂音がしました。炎の勢いと音にドキドキしながら観ていました。最高潮の時には熱が伝わって来て暖かかったです。

竹で組まれた櫓 / 餅を刺した竹棒は3m位あります / 竹に刺さった餅
 

松明で点火していきます / 少しずつ炎が大きくなり、多頭竜の様に見えました


熾火(おきび)状態になりました / 餅をかざして焼きます / 焼いた餅は砂糖醤油をかけて

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《 初詣 》(令和初) -成田山新勝寺と大鷲神社にて-

2020年01月05日 | その他

4日(土)、《成田山新勝寺》に参拝に行って来ました。いつもは混雑を避けて15日過ぎに行くのですが、今年は思い切って松の内に行って来ました。混んではいましたが3時過ぎだったので、並んで参拝する程ではありませんでした。本堂の前の「大しめ縄」は稲穂をつるしたような形が特徴で、幅6.6m、高さ1.5m、重さ200kgを超えるそうです。1700年に貫首になった中興第一世「照範大僧正」が五穀豊穣を祈願して考案した事から〔照範じめ〕と呼ばれています。

話は変わりますが、平安時代中期の「平将門の乱」の際、939年に「宇多天皇」の孫である「寛朝大僧正」は「朱雀天皇」から密勅を受けて東国へ遣わされました。翌年に調伏する為に不動護摩の儀式を行ないました。これを起源として《成田山新勝寺》は開祖を「寛朝大僧正」、開基を940年としています。その後、寺は寂れて開基から1700年までの760年間の記録は残っていません。中興第一世「照範大僧正」の頃から「出開帳」や歌舞伎役者「市川團十郎」が成田不動に帰依して〔成田屋〕の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打った事なども相まって庶民の信仰を集め、成田参詣が盛んになりました。現在の貫首の「橋本照稔大僧正」(92歳)は中興第一世「照範大僧正」から数えて中興第二十一世となります。

5日(日)、欲張って《大鷲神社》にも参拝して来ました。「酉の市」の賑やかさが嘘のように静かでした。拝殿の前には「茅の輪」(ちのわ)がありました。〔茅の輪くぐり〕は1年間の厄を落とし、新しい年に幸あれと願うものだそうです。作法が決まっているみたいでした。書かれていた説明によると、◆まず「茅の輪」の正面でお辞儀をする⇒◆「茅の輪」をまたいで左回りで正面に戻る⇒◆「茅の輪」をまたいで右回りで正面に戻る⇒◆「茅の輪」をまたいで左回りで正面に戻る⇒◆最後にお辞儀をしてから「茅の輪」をまたいで参拝する。ちょうど8の字を書く様な感じになります。

「大本堂」の前の「大しめ縄」 <照範じめ> 


「仁王門」の階段は上りのみの一方通行 / 「大鷲神社」の拝殿前の「茅の輪」

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《 初日の出 》(令和初) -天使の梯子が観られました!-

2020年01月01日 | その他

     明けまして おめでとうございます
     本年もよろしく お願いいたします
     新しい年が良い年でありますよう お祈り申し上げます

1月1日(水)、近くの公園まで《初日の出》を観に行きました。あいにく厚い雲で蔽われていましたが、雲が取れる事を期待して行ってみました。でも、雲は最後まで取れず、太陽はぜんぜん見えませんでした。時々雲の切れ間から光が漏れて来ました。そして偶然、「天使の梯子」(薄明光線)が観られました。

今年も昨年の親子4人が観に来ていました。太陽が昇る時刻になったら、ぼんやりと光っていた様な気がしました。親子はその方向に向かって拝んでから帰って行きました。私は少し残って観ていました。

少し光が見える様な気が<7時10分頃> / 雲間から光が漏れていました<7時19分頃>


天使の梯子<7時28分頃> / 太陽はかなり上の方に<7時30分頃>

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