最初に飛鳥山にある《渋沢史料館》に行きました。「渋沢栄一」は1840年に埼玉県深谷市に生まれました。始めは「尊王攘夷思想」に傾倒していましたが、後に「一橋慶喜」に仕えて幕臣となりました。1867年の「パリ万国博覧会」の時には「徳川慶喜」の名代の「徳川昭武」(弟)に随行しました。そして、明治政府時代には大蔵省に入省しました。
「徳川家臣時代」に学んだものと「大蔵省時代」に学んだものを融合して生涯に約500の会社に関わり、同時に約600の社会公共事業にも尽力しました。たとえば、第一国立銀行(現みずほ銀行)や東京ガス・東京海上火災保険・王子製紙・帝国ホテルなど多種多様の企業、一橋大学・東京女学館・聖路加国際病院・日本赤十字社などの設立にも尽力し、近代日本の経済社会の基礎を作りました。偉大な人だったのですね。
飛鳥山に設けた別荘を1901年に本邸とし、1931年(昭和6年)に91歳で亡くなるまで住みました。1945年の戦火で本邸の殆どが焼失しました。「青淵文庫」と「晩香盧」だけが残り、本邸跡地に「渋沢史料館」が建てられました。《晩香盧》は喜寿を祝って、《青淵文庫》は傘寿と子爵に昇格したお祝いを兼ねて贈られました。どちらも「壽」の文字がさり気なく建物に取り入れられていました。「晩香盧」では賓客を迎えていました。
ついでに《北区飛鳥山博物館》に行きました。「将軍御膳所・金輪寺」の再現座敷で厚焼き玉子の形のスイッチを偶然に押したら、幕が開いて映像が出てきました。飛鳥山の成り立ちや歴史が良く分かりました。
「豫園飯店」でリーズナブルなランチを食べてから、《お札と切手の博物館》(国立印刷局博物館)に行きました。「国立印刷局」ではお札だけではなく、切手・収入印紙・パスポート・官報・国債も印刷しているそうです。世界の様々なお札を観ましたが、改めて日本のお札の印刷技術に驚きました。世界にはプラスチックのお札もありました。
飛鳥山に戻り、あすかパークレール「アスカルゴ」というカタツムリに似ている可愛いモノレールに乗ってみました。高低差約18m、レール延長48mを2分で結んでいる乗り物で無料です。お花見の時には行列が出来るそうです。
最後に《紙の博物館》に行きました。特別展の「白石の和紙」は宮城県白石市で江戸時代に発展しました。一時は衰退しましたが、1940年に復活しました。「紙布」(しふ)は和紙を細く切り、撚って糸状にした物を織った布です。その職人技に感動しました。「紙衣」(かみこ)は和紙を揉み縮め、コンニャク糊や柿渋を塗って仕立てた紙で作った着物です。最近では紙に繊細な模様を浮き出させる「拓本染め技法」による「紙衣」などもあります。尚、「お水取り」で練行衆が着用する「紙衣」は白石和紙が使われています。
私は王子駅には独身時代に仕事で「醸造試験場」に数回行きました。孫の初宮参りや七五三は「王子神社」で行ないました。お花見で「飛鳥山公園」や「都電荒川線100周年」の時にも来ました。でも、今回行った所は初めてでした。
渋沢史料館 / 青淵文庫 <青淵は雅号>
青淵文庫の扁額 <栄一の揮毫のよるもの> / 晩香盧には職人の遊び心が溢れていました
特別展「白石の和紙」 <紙布(しふ)と紙衣(かみこ)>