3月26日(木)は旧暦の3月3日「雛祭り」で「大安」だったので、内孫の《初節句》の祝いを行ないました。生後ほぼ100日だったので、《お食い初め》の祝いも兼ねて行ないました。暖かくて良い天気でした。
《初節句》の「雛飾り」は娘の時に私が制作したものを使いました。娘は置く場所が無いからいらないと置いて行きました。その後も御雛様が可哀相なので毎年飾っていました。息子のお嫁さんに聞いたら、今住んでいる家には置く場所が無いから新しい物でなくても良いと言う事だったので、我家で行なう事にしました。「桜餅」は「なごみの米屋」さんで買いました。
《お食い初め》の「鯛」を探しに近くのスーパーに行ったら、売っていませんでした。仕方がないので、「尾頭付き」であれば「金目鯛」か「メバル」でもと思ったのですが、それすらも在りませんでした。ネットで調べたら、焼いた「鯛」を扱っている事が分かりました。ネットは便利ですね。食器セットは「お宮参り」の時に神社で頂いた物です。《初節句》も兼ねていたので、「赤飯」に替わって「ちらし寿司」にしました。煮物は「黒豆」、漬物は千葉県の名物の「鉄砲漬け」にしました。「歯固め石」は「上野大仏・パゴダ薬師堂」で数年前に頂いたお守りの石を持っていたので、それを使いました。
新型コロナで憂鬱な毎日を過ごしています。でも、花々が一気に咲き誇っているのを見ると、「生命の輝き」を感じて心が癒される様な気がしました。
3月25日(水)に「なごみの米屋」に「桜餅」と「鉄砲漬」を買いに行ったので、ついでに 「成田山公園」に行って来ました。桜は東京では少し前に満開になった様ですが、千葉は日当たりの良い所以外は殆ど3分咲き程度でした。ところで、この日は「成田山公園」でイノシシの目撃情報があったそうです。防災メールで知りましたが、出会わなくて良かったです。前日には近くの別の場所で目撃情報がありました。今は何処に行ったのでしょうか?
3月19日(木)に近くのスーパーに買い物に行った時には、遊歩道に様々な花が咲いていたので、スマホで撮りました。「ユキヤナギ」は群生していて華やかでした。桜はまだ殆ど咲いていませんでしたが、「コブシ」(モクレン属)と「モクレン」が満開でした。「ペーパーホワイト」(ヒガンバナ科・スイセン属)は副花冠も白くて清楚で綺麗でした。「スノーフレーク」(ヒガンバナ科・スノーフレーク属)は和名は「大待雪草」、別名はその形から「鈴蘭水仙」と言います。「 ヒヤシンス」は庭に咲いていたものです。
一カ月程前になりますが、2月19日(水)に「キクイタダキ」に会いたくて近くの松林に行きました。「バードウォッチャー」の人が1人だけいました。残念ながら「キクイタダキ」には会えませんでしたが、数羽の「シジュウカラ」が水場で水浴びをしていました。その中に《黒いシジュウカラ》がいました。2019年3月13日以来の再会でした。どうしているか気になっていましたが、元気でいてくれて嬉しかったです。他の「シジュウカラ」と仲良く水浴びをして、一緒に飛んで行きました。仲間外れにされていなくて良かった。
成田山公園の桜 <後は平和大塔> / ユキヤナギ
コブシ / モクレン(別名・紫木蓮)
ペーパーホワイト / スノーフレーク / ヒヤシンス <我家の庭より>
水浴びに来た黒いシジュウカラ <2月19日>
水浴びに来た普通のシジュウカラ <2月19日>
家で早めの昼食を済ませてから、「松屋銀座」8階の「イベントスクエア」に行きました。エレベーターは好きではないので、8階まではエスカレーターを使いました。待つ事、混んでいる所、閉ざされた狭い空間が苦手なので、1人で行く時は10階までだったらエスカレーターを、3階までは階段を使う事が多いです。《倉本聰 点描画とやすらぎの刻(とき)展-森のささやきが聞こえますか-》が開催されていました。
脚本家「倉本聰」さん(85歳)は《SMBC環境プログラム NPO法人 C・C・C富良野自然塾》を主宰しています。「富良野自然塾」は、ゴルフ場跡地を元の森に還す「自然返還事業」と、そのフィールドを使った「環境教育事業」を行っています。その仕事の傍らライフワークとして十数年にわたり森の樹々や生物を「点描画」という手法を用いて描いていました。そうした物言わぬ者達のささやく心の声を文章として添えています。本展では約70点が展示されていました。絵を描くにあたって「点描画」という手法を選んだのはテレビの「画素」がヒントだったそうです。
ドラマ「やすらぎの郷」に続き、2019年4月から1年に亘り「やすらぎの刻~道」が現在放送中です。脚本家人生で初めて通年放送という長丁場だったそうです。そのドラマの再現セットや小道具が展示されていました。「与勇輝」(あたえ ゆうき)さんの人形の実物を観たのは初めてでした。木綿の古布を使ったノスタルジックな子どもの人形は、表情豊かで可愛かったです。ドラマで観た木彫りの人形が展示してあり、その時のシーンが蘇えって来ました。また、「裂き織り」の織機や袖なし半纏も展示していました。「裂き織り」と言えば、母が若い時に織ったという帯を見せて貰った事がありました。裂いた布に思い入れがあったのか、大事そうに茶箱に仕舞ってありました。台本もありましたが、量の多さにビックリしました。「倉本聰」さんの体力と気力に感動してしまいました。
途中で「八千草薫」さんが降板する事になり、脚本を修正して5シーン撮影しました。撮影に立ち会った「倉本聰」さんは《お能の世界で最後に演者が一生を終えることを「入舞」(いりまい)と言いますが、「入舞」を観ているような厳かな雰囲気でした》としみじみ振り返っていたそうです。年を取っても可愛い人でした。昔、私の父がファンだったと聞いた事があります。 私は「銭形平次」をずっと観ていたので、その時の「お静」役が印象に残っています。
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予定には無かったのですが、隣の会場で《傘寿記念 デヴィ・スカルノ展-わたくしが歩んだ80年-》を開催していたので、序でに観て来ました。こちらは会期が明日までだったので、少し混んでいました。「新型コロナ」が心配だったので、人の少ないコーナーを選びながら、隣の人と1m位離れて観る様にしました。
若い頃の写真を見ると、とても美しくて「スカルノ大統領」に見初められたのが分かる様な気がしました。「スカルノ大統領」からの書簡が多くありました。貧しかった子どもの頃から一貫して夢を追い続け、人生を切り開いて行った姿に感動しました。「藤田嗣治」などの美術品のコレクションや趣味で描いた自身の絵画も展示してありました。バライティー番組などで色々なものに挑戦している姿を良く見ますが、80歳とは思えない体力と好奇心・気力には驚いてしまいます。高い美意識とポリシーで、今でもハイヒールを履いているそうです。