さっちゃんの不穏、と言ってもさほど大事(おおごと)ではないような気がします。
不穏という言葉も、一般的にはただ単に「穏やかでない」であったり、「何か悪いことが起こりそうな様子のこと」です。
さっちゃんの介護をするようになって、デイサービスのスタッフの方などが「今日のさっちゃんは少し不穏な時がありましたよ」などと言っていました。
最初はよく意味が分からなかったのですが、ネットで調べたりして、何となく分かっては来ました。
医療、介護の分野では「体動が激しかったり、興奮したりで、不安で危険をはらんだ精神状態」のことをそう呼ぶんですね。
せん妄の一症状なのだそうです。
ただ、介護の世界ではこの不穏という言葉がより幅広く曖昧に使われているような気がします。
必ずしも厳格な医学用語としてではなく、漠然とした雰囲気で使われているようです。
この不穏という言葉は幅広く曖昧に使えるとても便利な言葉だと僕は感じています。
ただ単に、穏やかな精神状態でなく苛々してたり腹が立っていたり、そんな時にも不穏という言葉を当てはめます。
さっちゃんの不穏も大部分はそんな精神状態の時のことだと僕は思います。
もちろんせん妄の一症状としての不穏もあるのかもしれませんが、その境目は僕にはよく分かりません。
つまり何を言いたいかというと、さっちゃんの多くの不穏の原因は健常者と同じではないかと思うんですね。
僕のさっちゃんへの仕打ちや態度に腹を立てたり、思うようにいかなくて苛々したり、自分の現状を悲しく感じたり、
理由も分からずに心が沈んだり、そんな様々なことがさっちゃんの感情の中でも湧き出ているんだと思うんです。
そんな心の状態を行動で表現したら、それも不穏と呼ばれることになるんでしょう。
さっちゃんの不穏な行動を見ていると、理由が分かる時もあります。
それは僕が原因の時なんですが、それはもはや不穏とは呼ぶべきでないかもしれません。
さっちゃんと僕が喧嘩をして、言葉や肉体的にぶつかると、さっちゃんがそのような反応行動をとるのはある意味当然だとも思えるからです。
認知症でなかったころには押さえられていた反応行動が、今は押さえることなく表出しているだけなんだと思います。
トイレで便座に座る時や着替えるために服を脱いでもらう時など、さっちゃんの意に反することをしなければなりません。
寒いトイレでパンツまで脱ぎたくはないでしょう。
でも、僕は脱がそうとしますから、さっちゃんは凄く抵抗します。
便座に座ってからも、僕への腹立ちは収まらずに、僕の頭をポンと叩いたりします。
おしっこをして、もうトイレから出たいと思ったさっちゃんがまだ拭き終わっていないのに立ち上がってしまいます。
そんなさっちゃんを僕は力ずくで便座に再度座らせます。
そんなことをされるさっちゃんの身になって考えると、確かに腹立たしいことですよね。
寝巻きに着替える時も同様です。
今年は痩せたせいなのか、去年までよりもずっと寒がりなさっちゃんになっています。
着替えですから、まずは脱がさなければなりません。
さっちゃんは寒いので脱ぎたくないでしょう。
脱がされないように抵抗します。
その抵抗をはねのけて、僕は脱がします。
さっちゃんが怒ってしまって、僕の頭を叩いたり、脚で腹を蹴ったりするのも分かります。
さっちゃんは起きている時間の大部分、僕に纏わり付いています。
僕のすぐ側に居ることが多いんです。
何やら喋りかけ続けることも多くて、無視していると怒り始めますから、ある程度は対応しなければなりません。
それが僕にはものすごく負担なんです。
さっちゃんは僕があまり対応してくれないので怒り始め、僕は次第に我慢も限界に近づいてさっちゃんを排除したくなるんです。
そして、最終的には喧嘩ですね。
肉弾戦もありますが、大人と4、5歳の幼児との戦いのようなものです。
僕が極限まで力をセーブしてさっちゃんをやっつけます。
さっちゃんは何度も何度も僕に反撃して来ますが、僕へのダメージはゼロ。
同じようにやっつけられ、最終的には静かになってしまいます。
そんなになると、僕としては、悪いことをしたな、と思っちゃいますよね。
さっちゃんが夕食を食べない理由は、大部分は眠たいからです。
それは仕方がないので、最近は無理に食べてもらおうとはせずに、諦めて寝てもらいます。
たまに、不穏と食事時が重なって食べないことがありますが、そんな時は少し時間をあけてみます。
5分、10分時を置くだけで、食べてくれることもたまにはありますからね。
でも、昨日の晩はこれまでにない不穏のありかたでした。
夕食は食べるんですが、僕の食事介助だけは受け入れないのです。
夕食の玉子かけご飯を僕はスプーンで食べさせるのですが、スプーンを手ではねのけるんです。
コロッケ、マカロニサラダ(以上は買った惣菜)、豚の角煮をさっちゃんは手で掴んで食べました。
こぼしたおかずを皿に戻そうとしたり、テーブルの汚れを拭こうとすると、怒り出すんです。
明らかに僕の介助というか、関わって来ること自体を拒絶していましたね。
理由は分かりません。
ちなみに、豚の角煮ですが、初めて作ってみました。
僕は豚バラ肉が好きで、よくブロックで買って冷凍しておくのですが、今のさっちゃんには炒めた程度では硬くて食べてくれないのです。
小さく切ったりすれば食べてくれるのですが、すごく手間がかかります。
最近は豚バラ肉の薄切りを購入することもあります。
それなら食べることが出来ます。
なんとか大きな塊りの豚バラ肉を食べてもらえないものかと考えた結果、豚の角煮に行きついたという訳です。
初めて作ったにしては、なかなかの出来と自画自賛です。
お箸で簡単に切り分けることが出来ます。
さっちゃんには小さく切り分けて出してあげました。
手で掴んで全部食べてくれました。
全部と言っても数10gくらいでしかないでしょうが。
昨日のデイサービスでも午前中は不穏な様子だったとスタッフの方が報告してくれました。
家では、不穏と普通が波のように繰り返される、そんな感じでしょうか?
さっちゃんの不穏はそんなに大事(おおごと)ではないと、最初に書きました。
あえて言うならば、不穏と普通ではなくて、普通の中での感情変化ではないかと思うんです。
さっちゃんが負の感情をコントロールするのが困難になっているせいだと思うんです。
そうだとすると、誰しもがそうですがある程度は仕方がないと思います。
と同時に、僕自身の接し方でもある程度は変えうるということでしょう。
まずは、僕が原因と考えられる不穏を減らすことから頑張ってみようかと思います。
不穏という言葉も、一般的にはただ単に「穏やかでない」であったり、「何か悪いことが起こりそうな様子のこと」です。
さっちゃんの介護をするようになって、デイサービスのスタッフの方などが「今日のさっちゃんは少し不穏な時がありましたよ」などと言っていました。
最初はよく意味が分からなかったのですが、ネットで調べたりして、何となく分かっては来ました。
医療、介護の分野では「体動が激しかったり、興奮したりで、不安で危険をはらんだ精神状態」のことをそう呼ぶんですね。
せん妄の一症状なのだそうです。
ただ、介護の世界ではこの不穏という言葉がより幅広く曖昧に使われているような気がします。
必ずしも厳格な医学用語としてではなく、漠然とした雰囲気で使われているようです。
この不穏という言葉は幅広く曖昧に使えるとても便利な言葉だと僕は感じています。
ただ単に、穏やかな精神状態でなく苛々してたり腹が立っていたり、そんな時にも不穏という言葉を当てはめます。
さっちゃんの不穏も大部分はそんな精神状態の時のことだと僕は思います。
もちろんせん妄の一症状としての不穏もあるのかもしれませんが、その境目は僕にはよく分かりません。
つまり何を言いたいかというと、さっちゃんの多くの不穏の原因は健常者と同じではないかと思うんですね。
僕のさっちゃんへの仕打ちや態度に腹を立てたり、思うようにいかなくて苛々したり、自分の現状を悲しく感じたり、
理由も分からずに心が沈んだり、そんな様々なことがさっちゃんの感情の中でも湧き出ているんだと思うんです。
そんな心の状態を行動で表現したら、それも不穏と呼ばれることになるんでしょう。
さっちゃんの不穏な行動を見ていると、理由が分かる時もあります。
それは僕が原因の時なんですが、それはもはや不穏とは呼ぶべきでないかもしれません。
さっちゃんと僕が喧嘩をして、言葉や肉体的にぶつかると、さっちゃんがそのような反応行動をとるのはある意味当然だとも思えるからです。
認知症でなかったころには押さえられていた反応行動が、今は押さえることなく表出しているだけなんだと思います。
トイレで便座に座る時や着替えるために服を脱いでもらう時など、さっちゃんの意に反することをしなければなりません。
寒いトイレでパンツまで脱ぎたくはないでしょう。
でも、僕は脱がそうとしますから、さっちゃんは凄く抵抗します。
便座に座ってからも、僕への腹立ちは収まらずに、僕の頭をポンと叩いたりします。
おしっこをして、もうトイレから出たいと思ったさっちゃんがまだ拭き終わっていないのに立ち上がってしまいます。
そんなさっちゃんを僕は力ずくで便座に再度座らせます。
そんなことをされるさっちゃんの身になって考えると、確かに腹立たしいことですよね。
寝巻きに着替える時も同様です。
今年は痩せたせいなのか、去年までよりもずっと寒がりなさっちゃんになっています。
着替えですから、まずは脱がさなければなりません。
さっちゃんは寒いので脱ぎたくないでしょう。
脱がされないように抵抗します。
その抵抗をはねのけて、僕は脱がします。
さっちゃんが怒ってしまって、僕の頭を叩いたり、脚で腹を蹴ったりするのも分かります。
さっちゃんは起きている時間の大部分、僕に纏わり付いています。
僕のすぐ側に居ることが多いんです。
何やら喋りかけ続けることも多くて、無視していると怒り始めますから、ある程度は対応しなければなりません。
それが僕にはものすごく負担なんです。
さっちゃんは僕があまり対応してくれないので怒り始め、僕は次第に我慢も限界に近づいてさっちゃんを排除したくなるんです。
そして、最終的には喧嘩ですね。
肉弾戦もありますが、大人と4、5歳の幼児との戦いのようなものです。
僕が極限まで力をセーブしてさっちゃんをやっつけます。
さっちゃんは何度も何度も僕に反撃して来ますが、僕へのダメージはゼロ。
同じようにやっつけられ、最終的には静かになってしまいます。
そんなになると、僕としては、悪いことをしたな、と思っちゃいますよね。
さっちゃんが夕食を食べない理由は、大部分は眠たいからです。
それは仕方がないので、最近は無理に食べてもらおうとはせずに、諦めて寝てもらいます。
たまに、不穏と食事時が重なって食べないことがありますが、そんな時は少し時間をあけてみます。
5分、10分時を置くだけで、食べてくれることもたまにはありますからね。
でも、昨日の晩はこれまでにない不穏のありかたでした。
夕食は食べるんですが、僕の食事介助だけは受け入れないのです。
夕食の玉子かけご飯を僕はスプーンで食べさせるのですが、スプーンを手ではねのけるんです。
コロッケ、マカロニサラダ(以上は買った惣菜)、豚の角煮をさっちゃんは手で掴んで食べました。
こぼしたおかずを皿に戻そうとしたり、テーブルの汚れを拭こうとすると、怒り出すんです。
明らかに僕の介助というか、関わって来ること自体を拒絶していましたね。
理由は分かりません。
ちなみに、豚の角煮ですが、初めて作ってみました。
僕は豚バラ肉が好きで、よくブロックで買って冷凍しておくのですが、今のさっちゃんには炒めた程度では硬くて食べてくれないのです。
小さく切ったりすれば食べてくれるのですが、すごく手間がかかります。
最近は豚バラ肉の薄切りを購入することもあります。
それなら食べることが出来ます。
なんとか大きな塊りの豚バラ肉を食べてもらえないものかと考えた結果、豚の角煮に行きついたという訳です。
初めて作ったにしては、なかなかの出来と自画自賛です。
お箸で簡単に切り分けることが出来ます。
さっちゃんには小さく切り分けて出してあげました。
手で掴んで全部食べてくれました。
全部と言っても数10gくらいでしかないでしょうが。
昨日のデイサービスでも午前中は不穏な様子だったとスタッフの方が報告してくれました。
家では、不穏と普通が波のように繰り返される、そんな感じでしょうか?
さっちゃんの不穏はそんなに大事(おおごと)ではないと、最初に書きました。
あえて言うならば、不穏と普通ではなくて、普通の中での感情変化ではないかと思うんです。
さっちゃんが負の感情をコントロールするのが困難になっているせいだと思うんです。
そうだとすると、誰しもがそうですがある程度は仕方がないと思います。
と同時に、僕自身の接し方でもある程度は変えうるということでしょう。
まずは、僕が原因と考えられる不穏を減らすことから頑張ってみようかと思います。