店主敬白(悪魔の囁き)

栄進大飯店の店主さがみやがおくる日々の悪魔の囁き。競馬予想や文学・音楽・仕事のグチやちくりまでいろいろ。

花も実もない人生だけど

2006-12-06 13:45:29 | 小説・読んだ本
 おいらがおもろいと思う女性エッセイの双璧は、佐藤愛子と中村うさぎである。
 このふたりには女性エッセイストがやりがちな、瑣末事をねちねちと「感性」とやらでうざいほど掘り返したり、ちょっと他人と違うことを発言してみて
「ほら、私ってこんなに個性的なの」と言わんばかりのいやみな不思議ちゃんぶりっ子なところがなく、己の人生に対してひたすら力技で進んでいくさまを、これでもかとばかりに叩きつけけてくるからだ。
 その何かに立ち向かう姿は、双方とも格闘技ゲームの勇者のようにすがすがしくさえある。
 まあ、ふたりはかなり志向性が違うし、中身も佐藤愛子は柔道の投げ技、中村うさぎはひたすら格闘技、のようなカンジがする。
 そんな浪費界の勇者中村うさきが、この本の中でまたいいことを言っていた。
 「自分の部屋は拡大された自我像である」
 の中に出ていた、このひとことだ。
「私のような人間は、きちんとした自我像を持てず、混沌とした自意識の中で生きているせいで、部屋の中も混沌として荒れ放題なのだ」
 おお、そうか、おいらの部屋の中が汚いのも(時間がないってのもあるけど)混沌のせいなのか・・・じゃなくてその混沌をなんとかしろよって。
 まあおいらは、その混沌の中からときどきいろんなものを取り出して眺めるのが好きなんだけどさ。
 そこがおいらと中村うさぎの違うところだ。
 中村うさぎはその混沌と格闘し続けている。
 矢折れ、弾尽き刀がボロボロになるまで・・・。
 だから勇者なのだ。だからおいらは自分のできないことをする中村うさぎが好きなのだと思う。

貧すれば鈍になっていくのか

2006-12-06 13:01:43 | Weblog
 先日とあるデパートの催事で、おいらの同業者が出店業者に、
「商品が余って(売れ残って)いたら、私にください」
 と言ったとかで、業者がおいらの会社にどなりこんできた。
「お宅じゃ、どういう従業員教育してんの?」
 本当にそのとうりだ、ああ恥ずかしい。
 確かに売れ残った商品をもらえるときもあるのだが、もらえるもらえないはその店の規則によっても違うし、もらえるのは出店業者様のご好意である。
 決して従業員の側からくださいと要求する筋のものではない。
 そこらへんを理解してないのか、はたまた貧乏が染み付いてしまったているのか、最近は堂々とこんなふうに「ものをもらえるのは役得なんだから、もらわなきゃ損」「もらって当たり前、くれないのはケチ」なんて言い出す厚顔無恥な輩が増えてきた。
 「不景気なうえに生活が大変で、働きに出なきゃいけないんだから、役得があったっていいじゃない」
 こんなことをさも正論のように言われると、とってもイタい。
 こういうヤツは、自分がもらって帰ったのと同じ商品を、お金を出して買っているお客様がいることを、どう思っているのか。
 そしてお買いものを「してくれる」お客様に対しての「遠慮」なんてまったくないのだ。
 ひたすら「貧乏な自分(とその家族)がかわいそうで、その貧乏に耐えて家族を思うかわいい」のである。
 げぇぇぇぇぇ~。
 こいつらのそんな思惑を想像すると、おいらはとても頭が痛くなる。

今年も出てきた

2006-12-06 12:46:18 | Weblog
 今年も寒い季節になってきた。
 今月は月のはじめに急に温度が低くなったせいか、寒いのなんのっていうことで、あわててフリース靴下やフリースパンツを買いに走ったおいらである。
 さて、この画像はというと・・・。
 以前ここで紹介した「土佐犬柄の毛布」と同じ店で販売している「イノシシ柄の毛布」である。
 来年の干支、イノシシを使った縁起ものというようだ。
 するとあの土佐犬柄も干支ということらしい、たぶん。
 隣にあるパステル色のきてぃ毛布と並べられると、さらにこのイノシシの獰猛さが強調されるような気がするのだが、さすがにおいらにもこの毛布を使いこなせる気合はない。たぶんない。きっとない。
 でも虎のが発売されたときは、阪神ファンの業(なんだよ、それ)もしかしたらおいらは買ってしまうかもしれない。