震災後、いろんな活動を行っている。
いろいろ関わる活動が多いので、その関係団体に合わせて使いパシリから、
労力奉仕、要望活動など、ありとあらゆるものに首を突っ込んでいる。
そんな状況の中で、実は大事なことが一番後回しにされていた。
それは私たちの生業であるタウン誌発行のことだった。
震災後は、完全に業務が停滞し、発行するメドが立たなかった。
スポンサーもほとんど被災、印刷所も停滞。外部執筆者たちも原稿を書いてくれるような状態ではない。
一時は休刊も考えた。
しかし、そんな中でもとにかく被災したまちの写真を撮り続けることは行っていた。
先が見えない中にあって、その記録を残す事がやはり郷土誌の使命であるとの思いは持ち続けていた。
悶々とした日々が続く中で思った。
「今、私たちが出来ること」それはやはりタウン誌の発行だった。
採算は取れないが、この惨状を後世に伝える一冊にしようと、
震災特集の特別号として急きょ編集に取り組んだ。
それがやっとのこと本日完成し、発行に漕ぎ着けることが出来た。
そのことを知ったNHKが取材に来た。テレビ中継で発行のことが知らされると、
思ってもみなかった反響が次々と寄せられた。
購読希望者の電話が東北各地からも寄せられたほか、テレビを見た新聞各社も取材に来た。
ほとんどアポなし。IBCラジオのインタビューもあり、大変な一日となった。
本屋ではすでに予約が殺到してるなど、想像以上の反響に今はとにかく発行してよかったと思っている。
いろいろ関わる活動が多いので、その関係団体に合わせて使いパシリから、
労力奉仕、要望活動など、ありとあらゆるものに首を突っ込んでいる。
そんな状況の中で、実は大事なことが一番後回しにされていた。
それは私たちの生業であるタウン誌発行のことだった。
震災後は、完全に業務が停滞し、発行するメドが立たなかった。
スポンサーもほとんど被災、印刷所も停滞。外部執筆者たちも原稿を書いてくれるような状態ではない。
一時は休刊も考えた。
しかし、そんな中でもとにかく被災したまちの写真を撮り続けることは行っていた。
先が見えない中にあって、その記録を残す事がやはり郷土誌の使命であるとの思いは持ち続けていた。
悶々とした日々が続く中で思った。
「今、私たちが出来ること」それはやはりタウン誌の発行だった。
採算は取れないが、この惨状を後世に伝える一冊にしようと、
震災特集の特別号として急きょ編集に取り組んだ。
それがやっとのこと本日完成し、発行に漕ぎ着けることが出来た。
そのことを知ったNHKが取材に来た。テレビ中継で発行のことが知らされると、
思ってもみなかった反響が次々と寄せられた。
購読希望者の電話が東北各地からも寄せられたほか、テレビを見た新聞各社も取材に来た。
ほとんどアポなし。IBCラジオのインタビューもあり、大変な一日となった。
本屋ではすでに予約が殺到してるなど、想像以上の反響に今はとにかく発行してよかったと思っている。