月の裏側〜reprise〜

捻くれ者が音楽を語ったらどうにも収拾がつかなくなった件。マニアックな作品紹介と自分自身の音楽関係の思い出話を中心に。

NO.77 ブルースクリエイション「ブルースクリエイション」

2022-08-23 00:14:36 | 日本のロック

 少々寄り道をしましたが、日本のロックの黎明期の旅に戻ります。

(まぁ実際はCDが見つからずに探していたんですけどね)

 

ブルースクリエイションは、GSのジャガーズの弟分的バンドの

ビッキーズが発展する形で結成されました。ビッキーズ時代には、

後に乱魔堂を結成する洪栄龍さんも所属していたとの事。

そこに竹田和夫さんが参加。結局、布谷文夫さんと竹田さんが

メンバーを加えてブルースクリエイションが結成されることに。

1969年にこのファーストアルバムがリリースされます。

 

このアルバムが発売された頃、天才少年と言われていた竹田さんは、

まだ17~8歳ぐらいでしたが、非常に印象的なギターを弾いています。

ブルースのカバーばかりのアルバムですが、ブルースマンを自称する

布谷さんとギターを弾きまくる竹田さんは、いい味を出していますね。

ただ、後に結成するDEWと比べると、布谷さんのボーカルはあっさり

した感じですね。(後の方がアクが強すぎるのか)

 

竹田さんの色が濃くなってきたためか、布谷さんは脱退し、

次作はハードロック色の強いアルバムとなりました。

結局、ブルースの名に相応しいのはこのファーストだけですね。

竹田さんと布谷さんの共演が聴けるのは貴重ですね。

 

DEWに関しては、NO.2で紹介した「幻野」に出演時の音源を

見つけましたので貼っておきます。

 

 

                                                                                                                                                                                     


NO.70 ゴールデンカップス「スーパーライブセッション」

2022-08-04 00:21:39 | 日本のロック

パワーハウスを聴いた後は、やはり兄貴分である

ゴールデンカップスの音源も聴きたくなりますね。

ゴールデンカップスと言えば、「長い髪の少女」や

「いとしのジザベル」といった曲を大半の人が思い浮かべると思いますが、

ライブでは、ヒット曲は殆ど歌う事はなく、

もっぱら洋楽のカバーを主にやっていました。

当時、活動の拠点だった横浜は、本牧に米軍基地があった関係もあり、

他よりはアメリカの音楽を聴きやすい環境だったので、

必然と洋楽に興味を持つようになったようで、

メンバーは早い時期にホワイトブルースに傾倒していたようです。

 

「ブルースメッセージ」というブルースを集めたアルバムの後に

発売されたのが、「スーパーライブセッション」です。

崇拝しているポール・バターフィールドやクリームの曲を

独自のアレンジで演奏していて、ドノヴァンの「魔女の季節」や

ゼムの「グロリア」では、10分近いインプロビゼーションを

聴かせてくれます。そして最後の方で、

パワーハウスの陳信輝さんや柳ジョージさんをゲストに呼んで

これぞスーパーセッションと言える即興演奏をしてくれて

会場を盛り上げました。

 

この時ギターを弾いていたエディ・藩さんは、このライブの後に脱退、

ギターにはルイズルイス加部さんが入り、

レッド・ツェッペリンやディープ・パープル等、

ハードロックの方に傾倒することになります。

 

クリームの「アイム・ソー・グラッド」を演奏する当時の映像。

まぁよく残っていたと思います。初めて見た時は衝撃的でした。


NO.69 パワーハウス「1968-69」

2022-08-01 00:25:01 | 日本のロック

パワーハウスのアルバムが発売されて50数年後、

まさかの発掘音源が発売されていました。

スタジオ録音が3曲とライブ音源が4曲。

スタジオ音源は、ロック画報の付録CDで発表済みのものですが、

リマスタリングで音はよくなっているようです。

ライブ音源は、音質はそれなりながら、ギターに小野田克さんが加わり、

かなりヘヴィーな演奏を聴かせてくれます。

「ブルースの新星」では、ボーカルの武村さんの話では、

自分は嫌いだったというビートルズのナンバーをレコード会社の意向で

無理やり歌わされたという事ですが、

ライブでは、自由奔放に演奏していたそうで、

柳ジョージさんが当時好きだったトラフィックの

「ディア・ミスター・ファンタジー」はいい出来ですね。

(限定でこの曲が51年ぶりのアナログシングルでも発売されました)

そしてオリジナルナンバーも1曲あります。

なかなか渋いブルースナンバーです。

 

マニア向けのCDではありますが、陳信輝さんがこの後、フードブレインや

スピードグルー&シンキで素晴らしいアルバムを出す前の前哨となる

貴重な記録とは思います。

 

POWERHOUSE/1968-69 - YouTube


NO.68 パワーハウス「ブルースの新星」

2022-07-29 00:09:04 | 日本のロック

1969年辺りは、グループサウンズのブームも下火になり始めていた頃で、

ライブでは、タイガースやテンプターズはビートルズやストーンズの曲を

好んで演奏していたようですが、ゴールデンカップスとかは、

ホワイトブルースに注目していたようです。

 

ゴールデンカップスが「ブルースメッセージ」を発売後に連続して

ヘルプフルソウルやブルースクリエイションがブルースのカバーを

中心としたアルバムを出していますが、パワーハウスもその一つです。

パワーハウスはゴールデンカップスの弟バンドという感じの存在です。

元々、竹村栄司さん、陳信輝さん、ルイズルイス加部さんでバンドを

組んでいたのが、加部さんがゴールデンカップスに参加、

代わりにミッキー吉野さんが参加します。

ミッキーさんもカップスに参加することになり、その代わりが

柳ジョージさんです。その後、レコードデビューが決まり、

パワーハウスと改名しています。

 

先行シングルはビートルズのカバーで「オブラディ・オブラダ」と

「バック・イン・ザ・USSR」のカップリング。

「オブラディ・オブラダ」は無理やり歌わされた感のある感じですが、

「バック・イン・ザ・USSR」はブルース風のアレンジになってます。

 

ゴールデンカップスは、サイケデリック色を加えようとしていたのに対し、

パワーハウスはあくまでブルースを基調にした曲を

演奏するという感じですか。

確かにカバー曲ばかりですが、自分達なりの演奏にしようと

「スプーンフル」や「グットモーニング・リトルスクールガール」では、

長時間のインプロビゼーションに挑戦しています。

 

流石に一般受けする内容ではなかったため、あまり売れませんでしたが、

一部では高く評価されたため、オリジナルLPは、かなりのプレミアが

付いています。この時代、興味深いアルバムが多々ありますので、

少しづつ紹介していこうかなと思います。

 


NO.65 フラワートラヴェリンバンド「SATORI」

2022-07-19 23:52:51 | 日本のロック

頭脳警察の「会心の背信」の発売時におけるPANTAのインタヴューで

フラワートラヴェリンバンドの話が少々出ていまして、

当時はロックは日本語で歌うか英語で歌うかの論争があって、

フラワートラヴェリンバンドは英語派の代表格でした。

実際、一時期カナダにて活動していたことがあるのですが、

聴き飽きたブルースやロックのカバーでなく独自の音を聴かせてくれと

言われても、その時は聴かせられる音が無くショックを受けたという

逸話があります。歌う言語がどうこうよりもオリジナリティの方が

大切ではないかという事ですね。

そして彼らなりの答えの一つが「SATORI」になるわけです。

 

日本的な音というより、東洋的なイメージを感じさせますが、

後にシタールとギターを合体させたような楽器のシターラを考案した

石間秀樹さんの色が強く出たからと思います。

うん、今聴いてもインパクトは強いですね。

ただ、気軽に聴けるタイプの音楽ではないので、

好みは分かれると思います。やはり「SATORIパート1」と

「SATORIパート2」の出来がいいですね。

 

余談ですが、フラワートラヴェリンバンドは70年台に惜しくも中止になった

ローリングストーンズの来日公演の前座に起用の予定だったらしいです。

もしストーンズの来日が予定通りだったら、もっと注目されていたかも。

 

Satori Part II - YouTube