落合順平 作品集

現代小説の部屋。

舞うが如く 第五章 (15)鳴り続ける鐘

2013-01-26 12:08:00 | 現代小説
舞うが如く 第五章
(15)鳴り続ける鐘




 会津若松城は、堅固な名城として知られていました。
さすがの政府軍も、容易に城を攻め陥とすことができません。
城壁は高く、政府軍は城壁の銃眼を目標にしては、しばしば小銃戦などを交えました。

 また各藩の砲兵は、天守閣や鐘楼の破壊などに腐心をして、
日夜、砲弾の雨をそこへと集中をさせました。
しかし、鐘楼からは刻々として鐘が打ち鳴らされたままでした。
その鐘の音は少しの時も違えずに、若松城の内外へ、超然として響き渡りました。


 政府軍の兵士からみればこの鐘の音は、
ことのほかに癪に障る存在で、ますます砲撃を集中させるようにもなりました。
無数の砲弾が鐘楼上に落下したために、鐘楼はついに炎上し、
わずかに、柱を残すのみとなってしまいました。
しかし城兵たちは幕を取りだすと、これを急きょ巻きつけて、あたかも
健在であるかの風をよそおってしまいます。

 ここの鐘楼守は、長谷川利三郎(六石五斗二人扶持)
という、七十二歳にならんとする老人でした。
城兵らは老人の労をねぎらい、その勇を賞しましたが、当の利三郎は


 「鐘楼は私の陵墓であります。
 弾丸に貫かれるような事があっても、
 ただ瞑するだけのことです。
 私には何の不安も、思い残す事もありません。
 あなた様こそ、このような危険な場所から早く立ち去り、
 自分の部署をお守り下さい」


 と言い放って笑い、なお矍鑠(かくしゃく)たるものがありました。




 城外の遠隔地に避難した城下の者たちは、
この鐘の音を聴くたびに、城の無事なる事を知り、
城外に戦う兵士たちも、皆この鐘の音に勇気付けられていました。

 しかし籠城が始まってから、二十三日目のことでした。
九月十五日の西軍の総攻撃の最中、利三郎が遂に流れ弾に倒れてしまいます。
鐘を撞く任はただちに、上野磯次郎(一石五斗二人扶持)がひき継ぎましたが、
これもまた翌十六日には被弾をして、壮烈な死を遂げてしまいました。
享年四十二歳の若さです。


 しかしひるむことなく、面木三平や、
小野吉右衛門らが家老・山川大蔵に請けあって、その後を継ぎ、
この後も営々と鐘は、時を報じ続けることになるのです。
鐘はこの後の会津城の開城に至るまで、一度たりとも絶えることはありませんでした。


 こののち、政府軍の兵士たちも根気負けをして、
この鐘を、ついには重宝がるようになりました。
セコンド(懐中時計)を持った者たちは、鐘の音で時間を合わせようになりました。
その他の者たちも、この鐘の音によって時刻を知るというありさまになった
という逸話などが残されました。


 籠城戦で若松の城内に入った婦女子らは
およそ、六百名余りであったといわれています。



 連日のように、
城内には大量の砲弾や、銃弾が撃ち込まれました。
婦人らは、食糧の炊出しから傷病兵の手当てや看護をはじめ、
城内に撃ち込まれた砲丸の処理や、火災の消火なども一手にこなしながら、
ありと、あらゆる労役に従事し続けました。

 八重が琴のところへやってきました。




 珍しく真剣な眼差しのままに琴の瞳を見つめます。
「あら、今日はきついお顔ですね」と様子をうかがう琴に
お願いが有って参上いたしましたと、その堅い表情を一向に崩す気配が有りません。
「何事でしょう」と尋ねると、その真剣な面持ちのままに、
琴の懐剣を私に是非とも下さいと、ねだり始めました。

 髪を短く切り落としたうえに、
男の軍服に身を固めて、最新式の連発銃まで操つれる貴女には、
それは必要ないものでしょう、と琴が笑っています。

 「急ぎ、夫と共に入城いたしましたゆえ、
 不本意ながら、ついぞ懐剣の用意を怠ってしまいました。
 籠城している婦人たちの多くは、男子の足手まといになるような時には
 自ら命を絶つために、脇差やら懐剣などを持参いたしておりまする。
 帯などもめったには解かぬよう、堅く細紐にて結ぶほど、
 その決意ぶりなどを、しかとみせておりまする。
 今日か明日かは、行く先は計りえませぬが、
 最後の時には、死に際だけは悔いなく立派にいたしましょうと、
 皆さまのそのご決意ぶりは、
 まことに見事そのものにございます。
 恥ずかしながら、このようなことがお願いできるのは、
 琴どの以外にはありませぬ、
 八重も散り際は、見事に飾りたいと思いまする。」


 八重の決意を聴き納得をしてうなずいた琴が、
腰から長年愛用してきた小太刀を、躊躇も見せずに引き抜きます。
懐へ手を入れると、かつて幼なき時に師である法神からもらった
クマよけの鈴を2つ、久し振りに取り出しました。
それを小太刀に、時間をかけて丁寧に結わえつけます。
手渡す準備ができると、一度軽くゆすって鈴の鳴りようを充分に確かめたあと、
琴がにっこりとほほ笑みました。


 「会津のご婦人がたの、気高き本懐とその決意ぶり、
 しかと真摯に受け承りました。
 なれども、八重さま。
 あなたが、ここ会津にて散られる運命とは思いませぬ。
 これは、わが師・法神翁より
 幼き時に頂戴したもので、
 琴の守り神ともいえる、わが宝にあたる小太刀です。
 どうあっても生きのびたうえで、
 またの再会の機会にまで、どうぞ八重さまにお預けを
 いたしまする。」

 
 「それほどまでの、大切な品を。」


 「八重殿、
 会津の男たちは、忠義を重んじすぎるあまりに、
 悪戯に散り急いでおりまする。
 武士道ゆえの重い掟で有り、けじめというものにありまするが、
 生命(いのち)とは、まっとうすることにこそ
 その本来の意味がありまする。
 どうあろうと、なにが起ころうと、
 命は自らが散らしてはなりませぬ。
 男たちがどうであろうとも、
 おなごたる者は、
 生きて、生命を後世に伝え続けなければなりませぬ。
 男たちが皆、ことごとく死に絶えたとしても、
 おなごたちは子を産み、子を育て、その未来のために、
 何事も乗り越えて、生き続けなければなりませぬ。
 八重どの・・・
 あなたも、このわたくしも、
 そうした定めを背負った、一人なのだと思います。」


 小太刀を受け取った、
八重の、こぶしが小さく震えています。


 「琴さま。
 戦乱の会津に・・・
 焦土と化しつつある、わが会津に
 望みのある、明日などは
 本当にやって、来るのでありましょうか。」

 「それこそが、
 この城内に入った、600名余りの、
 婦女子たちが、自ら決める問題でありましょう。
 道は、只の一つです。
 やがて籠城が終わり、その後に来る会津の再生のために、
 生き抜くための、おなごたち自身の戦(いくさ)が、
 長い時間をかけて、きっと始まりまする。
 おなご600人の命は、戦いが終わったのちの、
 会津の希望に変わるでしょう。
 決して、散り急いではなりません。
 明治とは、生きるためにこそ生まれた、新しい時代です。
 家をなし、暮らしを育み、
 次の世代を育て上げることこそ、
 おなごの務めがあり、本懐があると私は信じています。
 そのためにこそ、
 おなごは新しい生命をはぐくむのだと、
 私は、そう思っています。」





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