落合順平 作品集

現代小説の部屋。

舞うが如く 第七章 (2)富岡への路

2013-02-15 12:42:25 | 現代小説
舞うが如く 第七章
(2)富岡への路




 速水堅曹(はやみ・けんぞう)は、各地から技術伝習にやってきた工女や
工男たちを指導するかたわら、前橋において、大規模な製糸工場を
造るという計画を立ち上げました。
そのために集められたのが、16歳から20歳前半までの、
前橋周辺に住む士族たちの子女たち、20名余りです。

 完成したばかりの富岡製糸場は、
フランス人技師の直接の指導のもとに建築をされたものです。
当時の最新鋭ともいえる生糸器械をそろえた、世界に誇る近代的な製糸工場でした。
ここでは製糸業発展の模範となる工女たちの育成を、その第一目標にかかげています。
そのために、ことさら工女たちを全国から集めることにこだわりました。
生糸の増産と、品質向上の技術を各地へ普及させるために、
より特別な力を入れています。

 この時代の良品の生糸は、外貨獲得ための主力な輸出製品です。
その製法の近代化と大量生産の達成は、国をあげての一大事業になりました。
しかし国を挙げての大事業といいながらも、
この当時、なぜか農村部からの工女の応募は一切進みません。

 窮地に立った政府は苦肉の策として、
あらためて各県の役人たちに対し、強い要請を届けます。
必要となるその頭数を割りふったうえで、期日を定めて富岡製糸場へ、
自らの子女たちを派遣するよう、改めて命令が出されました。


 その結果、県の役人や旧士族、大名家などから、
おおくの子女が富岡製糸場へ送り込まれてることになります。

 この頃の生糸の生産方法は、手仕事による「糸繰り」が主流です。
ほとんどが、農家の厳冬期のおける副業として営まれていました。
器械による製糸技術は、欧米から輸入されたもので、
それらも明治以降になってから、ようやく導入されました。

 関東地方においても、主要な生糸の産地の、
信州や上州、武州などでも、やはり手仕事による「糸繰り」が主流です。
「女工哀史」や「野麦峠」などで紹介されたように、集団化され工場が作られましたが、
その実態は、人力に依存した手仕事による手加工の世界でした。
おおくの年端もいかない少女たちが、朝から晩まで熱湯で煮た繭から
糸を引き出して生糸を生産していました。



 現在の群馬県の県都である前橋市から、
製糸場が造られた富岡市までは、直線で歩くと30キロ余りです。
当時の交通手段と言えば、まだ人力車や、馬、籠といった類で、
ほとんどは、徒歩です。

 集められた志願の子女たちの顔触れは実に多彩です。
前橋から隔たった地域からの参加も多くいて、遠くは渋川や沼田をはじめ、
勢多郡一帯から集まってきました。
前橋藩主の家老の娘から、小藩の下級武士の長女娘まで、
いずれもが士族の子女たちばかりが集いました。

 人集めに苦労した富岡製糸場の理由の一つに、
「異人に生き血を呑まれる」という、悪評の流布が有りました。
赤ワインを飲むフランス人たちの生態を称して、
異人を鬼に例え、若い娘たちの生き血を飲んでいると流布されたために、
婦女子たちをおおいなる不安に陥れていたのです。
おおくの士族の娘たちも「お国のため」という大義名分のもと、
なみなみならぬ一大決意をしての志願です。

 子女たちは、前日に前橋へ集合し、ここで一泊をしたうえで、
早朝より、富岡をめざして歩き始めることになりました。


 ところが10里余りの道のりは、
旅慣れていない士族の子女たちの足では遠すぎました。
最初は遠足の様に元気に歩き始めたものの、数里も行かないうちに
足取りは重くなり、口数すら半減するあり様に変わってしまいました。
やむなく道中取締役の一存で、予定に反して道中のちょうど半ばあたり、
安中で宿泊することに決まりました。

 前橋を出発した道中は
ひたすら榛名山を右に見て、迂回しながら西へ進みます。
中山道と合流をしてからは、少しだけ碓氷峠方面に向かって歩いていくと、
ほどなく安中宿へと到着をします。

 途中で足を痛めた子女の二人は、
琴の判断で、やむなく馬の背中へ乗せることになりました。
初めての馬への騎乗に、この二人も最初はたいへんに大喜びをします。

 当時の道中馬は、炬燵櫓(こたつやぐら)を鞍にくくりつけて
二人が座れるように装着をされていました。
しかし馬が歩くたびに、炬燵も激しく上下に揺れ動きます。
最初は、足が痛いと泣いていた子女たちが、
今度は、「怖い、恐い」と悲鳴をあげてしまいます。
付き添って歩く琴もこのあり様に、これには思わず
苦笑をもらします。


 そんな子女たちも、
宿屋に着くなり、ケロリと生き返ってしまいました。
お湯に浸かり、夕食を済ませると、早くも20人が車座となりました。
今朝別れてきたばかりの両親たちとの、
門出の会話などが、早くも賑やかに始まりました。





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