居酒屋日記・オムニバス (75)
第六話 子育て呑龍(どんりゅう)⑥
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「ねぇ。私さぁ、ここへ帰って来た5年前から
じつは、八瀬川をきれいにする会の会員なっていたのよ。
知らなかったでしょう。うふふ」
真理子が、目を細めて笑う。
大光院の西を流れている八瀬川をきれいにする会の会員は、およそ40人。
4月から11月までの第2日曜日。
朝早くから集まって来た会員たちが、川の清掃にひたすら汗を流す。
発足以来もう、30年以上続いている恒例のイベントだ。
「昔はねぇ。なんと、川のよどみに、ウナギやナマズが居たそうです」
5年ほど前。
八瀬川の流れに、かつての潤いを取り戻そうと、会員たちがニシキゴイを放流した。
しかし、3年前の夏。太田を襲った集中豪雨が、せっかく放流した
ニシキゴイを、押し流されてしまった。
会員たちは、突然の出来事におおいに落胆をみせた。
だが、自然はダイナミックだ。
流失したはずのニシキゴイが翌年の春、水面によみがえった。
川岸に産みつけられたニシキゴイのたまごが、つぎつぎ孵化をしたからだ。
小さな魚体が、もともとから住んでいた野生の鯉に混じり、スイスイと
サクラの下を元気よく泳ぎ回るようになった。
この川はかつて、大きな蛇行を繰り返して、市の中心部を流れていた。
八つの瀬が存在したことから、八瀬川の名前がついた。
蛇行が激しいため、強い雨が降るたびに川が氾濫した。
昭和の初め。いまの流れに改善された。
その結果、蛇行は無くなり、いまのような直線になったという。
川沿いの900メートルに、サクラが植えられた。
市民たちの手で植えられた桜の数は、ぜんぶで300本。
改修のシンボルとして、いまも、大切に受け継がれている。
「標準木を見に行こうか」
突然。真理子が顔をあげる。
今日は3月15日。花が咲くのはまだ早すぎる。
矢瀬川の300本の桜の中に、太田市の標準木が有る。
「そうだな・・・」特に断る理由も見当たらない。
片付けを途中でやめた幸作が、真理子の背中を押して外へ出る。
11時を過ぎた裏通りの路地に、人の気配はまったくない。
幸作の店から路地道を伝い、桜並木の有る八瀬川までは、10分あまり。
歩き始めた真理子が5、6歩歩いたところで、ブルッと、小さく肩を震わせた。
数日とどまっていたポカポカの陽気が、いつの間にか関東から立ち去っている。
冬の寒さを取り戻した夜気が、深夜の路地を支配している。
さらに、荒れてきそうな予感が、夜気の中にひそんでいる。
南岸に発生した低気圧が太平洋の沿岸に沿って、北へすすんでいるからだ。
発達をした場合。沿岸をすすむ低気圧は、春の突然の嵐を呼ぶ。
「咲いてるのかな・・・こんな、寒空だというのに・・・」
「去年、さいしょに確認したのは、たしか3月18日。
その前の年は、3月20日に咲いていました。
桜の開花は、年々、早くなっています」
「へぇぇ・・驚いたなぁ。
毎年確認しているのか、お前は。桜の開花を」
「つぼみが膨らんできて、ぷっくと、サクラの花びらが開くとき。
ああ・・・今年もまた、春が来たと実感するの。
わたしはねぇ。一日に何度も八瀬川の桜並木を通って、仕事へ行くのよ。
いやでも、サクラの木と顔なじみになります」
「そうだな。
朝早くから深夜まで、日に何度も桜の下を往復するのは、お前さんくらいだ。
それで、八瀬川をきれいにする会に入ったのか、お前は?」
「わたしの母と父が愛し、毎年ながめてきた、この桜の並木路。
父も母も、八瀬川をきれいにする会の会員でした。
この美しい風景をわたしも、わたしの娘たちに残してあげたいの。
そう考えれば月に一度の清掃活動くらい、ちっとも苦じゃありません」
そうだよな。この川はそんな風にして、市民たちの力で守られてきたんだ・・・
幸作が、黒々と流れていく八瀬川の水面を覗き込む。
50センチほどの水深を保ち、10mほどの川幅いっぱいに流れていくこの水は
5月になると、田植えにも使われる。
そんな清流が、音も立てずとうとうと、2人の目の前を流れていく。
(76)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第六話 子育て呑龍(どんりゅう)⑥
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「ねぇ。私さぁ、ここへ帰って来た5年前から
じつは、八瀬川をきれいにする会の会員なっていたのよ。
知らなかったでしょう。うふふ」
真理子が、目を細めて笑う。
大光院の西を流れている八瀬川をきれいにする会の会員は、およそ40人。
4月から11月までの第2日曜日。
朝早くから集まって来た会員たちが、川の清掃にひたすら汗を流す。
発足以来もう、30年以上続いている恒例のイベントだ。
「昔はねぇ。なんと、川のよどみに、ウナギやナマズが居たそうです」
5年ほど前。
八瀬川の流れに、かつての潤いを取り戻そうと、会員たちがニシキゴイを放流した。
しかし、3年前の夏。太田を襲った集中豪雨が、せっかく放流した
ニシキゴイを、押し流されてしまった。
会員たちは、突然の出来事におおいに落胆をみせた。
だが、自然はダイナミックだ。
流失したはずのニシキゴイが翌年の春、水面によみがえった。
川岸に産みつけられたニシキゴイのたまごが、つぎつぎ孵化をしたからだ。
小さな魚体が、もともとから住んでいた野生の鯉に混じり、スイスイと
サクラの下を元気よく泳ぎ回るようになった。
この川はかつて、大きな蛇行を繰り返して、市の中心部を流れていた。
八つの瀬が存在したことから、八瀬川の名前がついた。
蛇行が激しいため、強い雨が降るたびに川が氾濫した。
昭和の初め。いまの流れに改善された。
その結果、蛇行は無くなり、いまのような直線になったという。
川沿いの900メートルに、サクラが植えられた。
市民たちの手で植えられた桜の数は、ぜんぶで300本。
改修のシンボルとして、いまも、大切に受け継がれている。
「標準木を見に行こうか」
突然。真理子が顔をあげる。
今日は3月15日。花が咲くのはまだ早すぎる。
矢瀬川の300本の桜の中に、太田市の標準木が有る。
「そうだな・・・」特に断る理由も見当たらない。
片付けを途中でやめた幸作が、真理子の背中を押して外へ出る。
11時を過ぎた裏通りの路地に、人の気配はまったくない。
幸作の店から路地道を伝い、桜並木の有る八瀬川までは、10分あまり。
歩き始めた真理子が5、6歩歩いたところで、ブルッと、小さく肩を震わせた。
数日とどまっていたポカポカの陽気が、いつの間にか関東から立ち去っている。
冬の寒さを取り戻した夜気が、深夜の路地を支配している。
さらに、荒れてきそうな予感が、夜気の中にひそんでいる。
南岸に発生した低気圧が太平洋の沿岸に沿って、北へすすんでいるからだ。
発達をした場合。沿岸をすすむ低気圧は、春の突然の嵐を呼ぶ。
「咲いてるのかな・・・こんな、寒空だというのに・・・」
「去年、さいしょに確認したのは、たしか3月18日。
その前の年は、3月20日に咲いていました。
桜の開花は、年々、早くなっています」
「へぇぇ・・驚いたなぁ。
毎年確認しているのか、お前は。桜の開花を」
「つぼみが膨らんできて、ぷっくと、サクラの花びらが開くとき。
ああ・・・今年もまた、春が来たと実感するの。
わたしはねぇ。一日に何度も八瀬川の桜並木を通って、仕事へ行くのよ。
いやでも、サクラの木と顔なじみになります」
「そうだな。
朝早くから深夜まで、日に何度も桜の下を往復するのは、お前さんくらいだ。
それで、八瀬川をきれいにする会に入ったのか、お前は?」
「わたしの母と父が愛し、毎年ながめてきた、この桜の並木路。
父も母も、八瀬川をきれいにする会の会員でした。
この美しい風景をわたしも、わたしの娘たちに残してあげたいの。
そう考えれば月に一度の清掃活動くらい、ちっとも苦じゃありません」
そうだよな。この川はそんな風にして、市民たちの力で守られてきたんだ・・・
幸作が、黒々と流れていく八瀬川の水面を覗き込む。
50センチほどの水深を保ち、10mほどの川幅いっぱいに流れていくこの水は
5月になると、田植えにも使われる。
そんな清流が、音も立てずとうとうと、2人の目の前を流れていく。
(76)へつづく
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