落合順平 作品集

現代小説の部屋。

居酒屋日記・オムニバス (81)        第七話  産科医の憂鬱 ①

2016-05-31 09:51:10 | 現代小説
居酒屋日記・オムニバス (81) 
      第七話  産科医の憂鬱 ①




 「ああいうのをゴッドハンド、神の手って、言うんだろうな」



 一年中、腰痛で病んでいた男が上機嫌の顏で呑んでいる。
持病の腰痛が、一発で治ったというから驚きだ。
「ホントかよ・・・」常連客たちが、いぶかしそうに男を振りかえる。



 「先週の月曜日のことだ。
 治療のため、仕事を休んで、わざわざ高崎にある治療院へ行ってきた。
 俺は10年以上も、ヘルニアと脊柱管狭窄症による腰痛を抱えて、苦しんできた。
 高崎には知る人ぞ知る、ゴッドハンドの先生がいる。
 有名なスポーツ選手も、このゴッドハンド先生の治療を受けるために、
 わざわざ高崎まで通ってくるそうだ」



 「ホントかよ・・・にわかには、信じられねえなぁ」



 「俺も聞いたことが有る。
 だけど神の手の先代は、高齢のため、すでに引退しているはずだ。
 いまは2代目で、せがれがそのあとを継いでいると、聞いたことがある」



 「神の手ジュニアが、これまた凄い。
 ぎっくり腰なら、たった一回の治療で痛みが緩和する。
 慢性的な症状でも、数回通えば必ず治るそうだ。
 しかも、驚くなかれ、治療に要する時間はたったの2~3分だ。
 そんなアホなと思うが、これがまたホントの話だ。
 嘘じゃねぇ。長年苦しんできた腰の痛みが、嘘のように消えちまった!」



 「まじかよ・・・へぇぇ・・・」




 この治療院。実は、平日しか営業していない。
そのうえ、当日の朝にならないと、その日営業するかどうか分からない。
したがって朝8時に電話して、営業を確認する必要がある。
いまどき。ずいぶん面倒くさい治療院だ。
だいいち。治療院と言っても、看板がひとつ出ているだけの古民家で、
農家のような建物が、ポツンと建っているだけだ。



 先代は、「お助けじいさん」と呼ばれた神の手の持ち主だ。
この「お助けじいさん」には、逸話がいくつも有る。
息子に抱きかかえられてやっとのことで立ち上がり、診察室に入って行った爺さんが
5分後には、スタスタと自力で歩いて診察室から出てきたと言う。
もうひとつ。
長く不妊治療していた女性が、試しにお助けじいさんのところへ行ったところ、
すぐに子どもが宿った、という信じられない話もある。



 お助け爺さんの噂を聞いた近所に住む嫁が、旦那といっしょに出かけていった。
待合室に入ると、すぐに呼ばれる。
診察室へ入るとお助けじいさんが、じぃっと嫁の顔を見つめる。



 「お前さんコウクツだな。この顔は、絶対にコウクツだ」



 「コウクツ?」



 嫁が不安そうに眉を寄せる。
すると、となりの部屋から、おばさんが声をかける。
「後屈ってのはね、子宮が後ろに傾いている事だよ」とやさしく教えてくれる。
「へっ、顔を見るだけでわかるの、ここの先生は・・・」
唖然としている嫁に、お助けじいさんがここへ横になれと床を指さす。



 嫁が素直に横になる。
旦那は呆気にとられたまま、部屋の隅で事の展開を見つめている。
お助けじいさんが嫁の足元に、あぐらをかいて座る。
嫁の足首を持ち、ひざを曲げて、ぐーるぐーると何度かやわらかく回す。



 「お嬢さんは、卵管が細いな」



 嫁は先日の卵管の造影検査で、「右の卵管が細い」と指摘されたばかりだ。
ドキッとする。
だがお助け爺さんは、それ以上、特別な治療をするわけではない。
やわらかく膝を3分ほどまわしただけで、その日の治療が終わる。



 「あとは父ちゃんが頑張れば、すぐに子どもが出来るがな」



 ぽつりとおじぃがつぶやいて、診察が終わる。
嘘のような話だが、不妊治療中だったこの夫婦に1年後、男子が生まれる。
ゴッドハンド治療院にはこの手の話が、山のように転がっている・・・

 
(82)へつづく


新田さらだ館は、こちら