北へふたり旅(45)
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妻の夢は宿の浴衣を着て温泉街を、カラコロと2人で歩くこと。
妻の気持ちはよくわかる。
居酒屋で20年。
日帰りのドライブは有ったが、泊りの旅はいちどもない。
「北へ行くか?」
朝。とつぜんの提案に、妻の目がまるくなる。
「北?。もしかして北海道?」
「行きたいだろ君。泊りの旅に」
6月は茄子収穫の真っ最中。
忙しさは、7月の後半までつづく。
旅を考えるどころか猛暑の中の作業に、毎日、悪戦苦闘している。
「いいわですねぇ。あこがれの北海道」
「8月後半に行こう。
お盆休みは混むから、最後の週、2泊か3泊で」
「飛行機は駄目。あたし、高い所は苦手ですから」
「だいじょうぶ。北海道新幹線が函館まで走っている」
「その先は?」
「札幌までの特急がある。4時間ほどかかるらしいが」
「いいわね。夢みたい」
「夢じゃない。
今日、仕事がおわったら旅行代理店へ行こう。
旅の相談をするために」
茄子は前年の11月から準備がはじまる。
11月。種苗会社から接ぎ木されたナス苗が運ばれてくる。
5センチほどのか細い苗だ。
折らないよう神経を使いながら、育成用ポットへ移植していく。
人さし指でポットに穴をあける。
バレットから苗を取り出す。穴へ差し込み、周囲の土を根元へ寄せる。
この作業をくりかえし8000本の苗を、育苗ハウス内へならべていく。
1ヶ月ほどでナス苗は、20㌢ほどの株に成長する。
一番花がふくらみはじめている。
1月の半ば。ナス苗をビニールハウスへ定植していく。
中腰での作業が続く。
この作業が、茄子に関わる仕事のなかでいちばんきつい。
腰が悲鳴を上げる。太腿の裏、ハムストリングスはパンパンだ。
数日後ゴルフへ行ったが全身が筋肉痛で、自分のスイングがまったくできなかった。
ここから茄子が実をつけるまで、さらに2ヶ月がかかる。
本格的に実をつけるのは、3月の初旬。
その間、茄子農家はまったくの無収入になる。
そのため。ホウレンソウやネギの冬野菜を、畑に準備しておく。
茄子はとにかく手間暇がかかる。
経費もかかるが、時間もかかる。
「お大尽が育てる野菜」と揶揄されるほどだ。
(46)へつづく