居酒屋日記・オムニバス (76)
第六話 子育て呑龍(どんりゅう)⑦
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サクラの標準木を見に行った夜から、一週間が経った。
定休日。夕方からふらりと呑みに出かけた幸作が、深夜の午前1時。
北工場の近くにある終夜食堂へ顔を出した。
ここで働いているシンママの、真理子の顔を見るためだ。
幸作が「よお」と声をかける。
予期していなかった幸作の登場に、「あらっ!」と真理子から満面の笑顔が返ってくる。
自動車工場のおおくが、24時間、不眠不休で稼働している。
呑龍工場と呼ばれている富士重工の北工場も、例外ではない。
交代勤務を軸に、24時間、車を製造するラインは一瞬たりとも止まらない。
終夜食堂は、北工場の守衛門から東へおよそ300m。
本工や期間工、派遣社員からパートまで、あらゆる男たちが食事のためにやって来る。
「あきれたぁ。もう、べろべろじゃないの。呑みすぎです。
体壊しますよ。そんなに呑んだら。
だいいち、自分が考えているほど、若くないのよ、あなたの身体は」
「うるせえ。40を過ぎたおばさんに、歳のことを言われたくねぇ。
とりあえずビール。飯は、あとから頼む」
「まだ呑むの?。もう充分でしょ、完璧に酔っぱらっているもの」
「客の注文は素直に聞け。
最近のお前さんは、なにかと反抗的過ぎるぞ。」
「御免なさい、悪かったわ。
40を過ぎると、意味もなくなにかと反抗的になるのよ。忙しい女は
あら・・・」
真理子の眼が、あたらしく食堂へ入って来た男に向けられる。
(あらぁ・・・性懲りもなくまたやって来たわね。あいつときたら・・・)
ポツリと真理子の口から、不満が漏れる。
すこしだけ身がまえた雰囲気が、真理子の顔を横切っていく。
(んん、・・・性懲りもなくやって来たって?、ただ事じゃねな。
いま入って来た、あの男のことか・・・)
真理子の目線につられた幸作が、入って来たばかりの男の姿を振り返る。
どこにでもいそうな、ごく普通の男だ。
氷のような微笑みを浮かべた真理子が、ツカツカと男のテーブルへ歩いて行く。
水の入ったコップを、ドンと男の前に乱暴に置く。
「いらっしゃい。ご注文は?」
「あ、あの・・・い、いつものしょうが焼き定食を・・・」
「ライスは大盛り?、普通盛り?」
「あ、いつもの、普通盛りでお願いします・・・」
「少々、お待ちください」
ツンときびすを返した真理子が、ツカツカと男のテーブルから離れていく。
そんな真理子に、幸作が声をかける。
「おい、真理子。ちょっと待て」
無視してそのまま厨房へ消えていこうとする真理子を、ふたたび幸作が呼び止める。
「なんだよ、いまの態度は。冷たすぎるだろう、いまのオーダーの取り方は。
何だよ、不満そうな顔をして、何か有んのか?」
下から真理子の不機嫌そのものの顔を、幸作が見上げる。
「嫌いなのよ、あの男が。
わたしにつきまとうストーカーなのよ、3年も前からの」
「3年も前からの、お前さんのストーカー?。
へぇぇ・・・おだやかじゃないな。初めて聞くホットな話題だ。
ストーカーのくせに、お前さんの働く場へやって来るとは、いい根性をしているな。
面白そうなストーカーだな。
なにか事情がありそうだ。よし、俺が、ちょっと挨拶に行ってくる」
「ちょっと!」驚いた真理子が、あわてて幸作を制止する。
立ち上がった幸作が、真理子の止めようとする手を、するりと抜ける。
そのまま男のテーブルに向かって、スタスタと歩く。
幸作の手にはビールの瓶と、2つのグラスが握られている。
「兄さん。相席してもいいかい?」
ビールを片手に突然あらわれた幸作の姿に、男が思わず狼狽える。
「相席と言われても・・・
他にも席は、たくさん、空いているようですが・・・」
「兄ちゃん。念のために言っておく。
断らないほうが、身のためだ。
あそこにいる真理子は俺の、知り合いだ。
悪いことは言わん。素直に相席したほうが、お前さんのためだ。
断ってみろ。2度とこの店に、顔を出せなくなるぞ」
「は・・・はい」
観念した男がどうぞと手で、座ってくださいと幸作に合図をおくる。
(77)へつづく
新田さらだ館は、こちら
第六話 子育て呑龍(どんりゅう)⑦
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サクラの標準木を見に行った夜から、一週間が経った。
定休日。夕方からふらりと呑みに出かけた幸作が、深夜の午前1時。
北工場の近くにある終夜食堂へ顔を出した。
ここで働いているシンママの、真理子の顔を見るためだ。
幸作が「よお」と声をかける。
予期していなかった幸作の登場に、「あらっ!」と真理子から満面の笑顔が返ってくる。
自動車工場のおおくが、24時間、不眠不休で稼働している。
呑龍工場と呼ばれている富士重工の北工場も、例外ではない。
交代勤務を軸に、24時間、車を製造するラインは一瞬たりとも止まらない。
終夜食堂は、北工場の守衛門から東へおよそ300m。
本工や期間工、派遣社員からパートまで、あらゆる男たちが食事のためにやって来る。
「あきれたぁ。もう、べろべろじゃないの。呑みすぎです。
体壊しますよ。そんなに呑んだら。
だいいち、自分が考えているほど、若くないのよ、あなたの身体は」
「うるせえ。40を過ぎたおばさんに、歳のことを言われたくねぇ。
とりあえずビール。飯は、あとから頼む」
「まだ呑むの?。もう充分でしょ、完璧に酔っぱらっているもの」
「客の注文は素直に聞け。
最近のお前さんは、なにかと反抗的過ぎるぞ。」
「御免なさい、悪かったわ。
40を過ぎると、意味もなくなにかと反抗的になるのよ。忙しい女は
あら・・・」
真理子の眼が、あたらしく食堂へ入って来た男に向けられる。
(あらぁ・・・性懲りもなくまたやって来たわね。あいつときたら・・・)
ポツリと真理子の口から、不満が漏れる。
すこしだけ身がまえた雰囲気が、真理子の顔を横切っていく。
(んん、・・・性懲りもなくやって来たって?、ただ事じゃねな。
いま入って来た、あの男のことか・・・)
真理子の目線につられた幸作が、入って来たばかりの男の姿を振り返る。
どこにでもいそうな、ごく普通の男だ。
氷のような微笑みを浮かべた真理子が、ツカツカと男のテーブルへ歩いて行く。
水の入ったコップを、ドンと男の前に乱暴に置く。
「いらっしゃい。ご注文は?」
「あ、あの・・・い、いつものしょうが焼き定食を・・・」
「ライスは大盛り?、普通盛り?」
「あ、いつもの、普通盛りでお願いします・・・」
「少々、お待ちください」
ツンときびすを返した真理子が、ツカツカと男のテーブルから離れていく。
そんな真理子に、幸作が声をかける。
「おい、真理子。ちょっと待て」
無視してそのまま厨房へ消えていこうとする真理子を、ふたたび幸作が呼び止める。
「なんだよ、いまの態度は。冷たすぎるだろう、いまのオーダーの取り方は。
何だよ、不満そうな顔をして、何か有んのか?」
下から真理子の不機嫌そのものの顔を、幸作が見上げる。
「嫌いなのよ、あの男が。
わたしにつきまとうストーカーなのよ、3年も前からの」
「3年も前からの、お前さんのストーカー?。
へぇぇ・・・おだやかじゃないな。初めて聞くホットな話題だ。
ストーカーのくせに、お前さんの働く場へやって来るとは、いい根性をしているな。
面白そうなストーカーだな。
なにか事情がありそうだ。よし、俺が、ちょっと挨拶に行ってくる」
「ちょっと!」驚いた真理子が、あわてて幸作を制止する。
立ち上がった幸作が、真理子の止めようとする手を、するりと抜ける。
そのまま男のテーブルに向かって、スタスタと歩く。
幸作の手にはビールの瓶と、2つのグラスが握られている。
「兄さん。相席してもいいかい?」
ビールを片手に突然あらわれた幸作の姿に、男が思わず狼狽える。
「相席と言われても・・・
他にも席は、たくさん、空いているようですが・・・」
「兄ちゃん。念のために言っておく。
断らないほうが、身のためだ。
あそこにいる真理子は俺の、知り合いだ。
悪いことは言わん。素直に相席したほうが、お前さんのためだ。
断ってみろ。2度とこの店に、顔を出せなくなるぞ」
「は・・・はい」
観念した男がどうぞと手で、座ってくださいと幸作に合図をおくる。
(77)へつづく
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