ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

相談とアドバイス

2018-01-14 23:10:49 | 日記
アドバイス恐怖症なのかもしれない。

個人の人生の選択肢は、結局のところその個人にすべて委ねられているのです。

ポリシーや経験やその他諸々ひっくるめた自我によって。

例え近い間柄といえども、自分以外の人の生き方は、過去も未来もその人そのものにすべての権利と決定権がある。

私個人の考え方はあくまで私個人の考え方であって、他の人は違う考え方をしていることが当然。

だから出すべき結論は、自分と全く違っていたとしても、尊重したほうがいいと思っている。


もちろん私自身のやり方を他の人が真似たとしても、同じ結果になる保証は全くない。

ごくまれに自分のやり方や言動を真似てくれる人がいるのだけれど、それはそれで少し怖い。

他の人からのアドバイスももちろん慎重になる。

それで行動を決定したとしても、それはその人自身の経験や価値観によるものであり、自分がその通り行動したとしてもうまくいくわけがない。

結局のところその場はうまく行ったとしても、あとでポリシーに反する行為だったと後悔したことも多いので。


他の人が他の人にするアドバイスもまた、聞いているようで聞かないようにしている。

ごく小さな人間関係内でのローカルルールが、その他の多くの場面についても、同様の対応で完結するとは到底思えないので。


このブログはなんだというと、以前も書いたように自分の思考を整理するための雑記。

人が生きるためには、多くの制約条件があって、最低でも基本的本能である食欲・睡眠欲・排泄欲はしっかりと満たしておいたほうがいい。

問題はお金という価値で、お金があると急場の欲求は満たせるような気がするんですよ。

でも人以外、金のために生きてはいない。

猫も犬もカピバラも鳥も花も。

もっと根源的な価値があると思うんですよ。

そうすると「それは性欲だ」と言い出す人がいることも知っていてですね。

たしかにそれもあるけれど、それだけじゃないと思うんだ。

公衆の面前における性行為はなぜ禁止されているか?


それは倫理とかモラルだと思うんですが、ちょっとこの結論だけでは弱いと思っている。

法律でもかなり禁止されているわけですよ。非倫理的行為は。

しかしそれを損害賠償請求として金銭価値に変えた時点で、相当おかしなことになる。

「結局金かい?」
と。

懲役刑にしてもそうだ。
それで本当にすべて解決するのか?

「ここでタバコを吸ったら2千円かい?いいよわかった。ここに2千円おいておくから、俺は今タバコ吸う。問題ないだろ?」

問題でしょ、それは。

そもそもタバコ吸ってほしくないから罰金刑を設けているのに、罰金払うから吸うっておかしいでしょ?

目的と結果がおかしいのは、こんなふうによくあるので。

結局は個々人のモラルの問題なんだけど、それもマチマチなんだよなと。

結論はないです。
コメント
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