怒るって反応は動物の基本的な防御反応です。
危険に対して自分を守るための反応。
人間社会において自分に害を成す人に対してそれを防ぐために怒ったとしても、一時的に防ぐことはできても、継続的には直りません。
その問題の表面的行為を止めることはできても、その行動を行う当人の根本的思想までは変えられないので。
根本的思想が変わらないということは、またそれを繰り返し、自ら損失を作り出していく。
その責任までは取れない。
当人が自分の問題として捉えて改善していく努力をしない限り、変わらないんですよ。
じゃあどうするか?
離れます。
相手にしません。
怒るという行為も相当リスクを孕みます。
怒り続ければ最悪傷害殺人までエスカレートすることもある。
その人間関係を続ける必要性がなければ、離れるに限ります。
親子のような、いろんな依存関係がありますけれど、自己責任で生きるためにはどこかで独立しないとならない。
経済的というより、社会的精神的な独立のこと。
甘えてベッタリ前提の会社に不満を持って一生働き続けるって、相当なリスクと思われ。
怒らなきゃいけない環境って危機的状況ですし、それを我慢すれば犯罪事件事故に加担することになるし、肉体的精神的健康も害されます。
独立っていろんなことを自己責任でやらないといけないけれど、リスクマネジメントの観点からも必要なことなんだと。
「誰にも怒られないからやっても大丈夫」
という人もいますが、結局いけないことをやり続ける人は見放されていく。
自分で自分の墓穴を掘り続ける危険な人には寄り付きたくない。
翻って、自分自身で相当正しい判断をし続けないと正しい環境も手に入れられない。
組織でも素性のよくわからない人を採用するって、相当なリスクですよ。
危険な人から「嫌われる勇気」はあっていいと思う。
純粋培養されてしまうと、そのような悪い人が世の中に存在するという事実を認識できないという問題もありますが。
悪いことをする人にもそれをせざるを得ない背景があるわけでね。
その環境を改善していく努力をし続けたとしても、それを壊す人的災害自然災害などは発生するので。
スタンスの問題とも言える。