「できる研究者になるための留学術」を図書館で読んだ。
アメリカで理系のPhD(博士号)取るのにお金はいらない?!
マジかー。
それでも、少なくとも、TOEFLやGREなどの英語スキルは必要。
そりゃそうだ。
授業を受けて、質問できるぐらいの英語力がなければ、わざわざ英語圏に行く意味がない。
もっとも、世界の25%は英語で喋っているし、学術論文やら英語で読めると一気に情報量が増える。
最新最先端の情報は、日本語だけで仕入れるのには限界がある。
日本人にとって英語はハードルが高い言語だけど、よく考えれば、日本ほど識字率が高くない文化でも英語ぐらい喋っているわけですよ。
スラムで生活する人でさえ英語圏なら英語で喋る。
日本はね。狭い同調社会であることを非常に実感していて。
実力があっても上に行けるとは限らない。
全体の平均レベルは高いんですよ。
だけどその平均以外の人に対する許容能力があまりにない。
だから能力が低すぎればいじめに合うし、能力が高すぎてもいじめに合う。
実力主義よりも、同調能力のほうが重要になる。
「和を以て貴しとなす」の社会。
良くても悪くても、平均化して合わせないとならない。
少しでも能力が劣れば、心身を病んで自宅警備員になる。
成果を出しすぎても叩かれて評価されないのだから、やりがいがない。
「他の人のことを考えなさい」となる。
幸福度の低い国にもなる。
優秀な人材は、日本に残らない理由。
まぁ、労働自治の意識も低くて、経営者や上司に文句を言おうものなら首を切られる。
そんなことにビクビクする必要があるというのもおかしい。
そんな人事権の濫用は許されないのだけど。
バイデン大統領が、労働組合活性化政策を行うらしい。
全体潮流としては好ましいけれど、行き過ぎると労働組合が骨抜きになってしまう。
企業別組合が経営と一体化してしまうのと同じで、会社と闘うことができなくなる。
それはまぁ別の話で、とにかく日本以外の視点は必要だと思っていますよ。
日本は閉鎖的すぎる。
養老孟司さんが言っていたかな。非常に都市化されている文化が日本。
歩いていける距離にコンビニがあって必要なものは簡単に手に入る。
だけど、そのルールから外れると一気に暮らしづらくなる。
都会の猫と同じで、部屋の中に閉じ込められている必要がある。
外に簡単に逃げ出せると、飼い主責任が問われる。
ど田舎の猫はそもそも家に鍵なんてかかってないし、スキマもたくさんあるから民家に出入り自由。
遊びたいときに外に出て、川や水溜りで水を飲んで、土を掘ってフンをして、遊びがてら木に登ればいいし、腹が減れば人にすり寄ればいい。
どちらが自由でどちらが幸せかは、人によるだろうけど、私は、不便であっても田舎の猫でありたいのですよ。
日本で暮らすか、日本国外で暮らすかは、おそらくこの違いなんだろうなとは思っている。
不便だけど自由か、便利だけど不自由か。
実証実験したいのです。