ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

ジレンマ

2023-12-06 14:12:36 | 日記
やる気はある。
やることもある。

体が動かない。

先月までハードすぎた。
言い訳になるので嫌なのだけど。

作業を小分けするとか、色々やってみても無理。
どうしても動かない。

もうサボろう。
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やる気を無くす原因

2023-12-06 10:33:25 | Office
世の中の仕事は、他人の間違いを修正することで成り立っている。

弁護士は他人のミスによるトラブルを直す。
医者は他人の健康問題を治す。
税理士は他人の税務申告を代行する。

人は基本的に間違える。
だからそれを正しい方向に直す必要がある。
このために多くの時間と費用が割かれる。

新しい画期的な方法は、時と場合によるとこの修正作業を無くす。
多くの人々にとっては幸せなことだが、修正を生業としていた人の仕事を奪うことになる。

例えばAIの進化は、会計士や税理士の職を奪う。
会計税務処理を自動化すれば、わざわざ手間ひまかけて利益計算する必要はない。
会計ソフトがあればいい。
すでに勘定ソフトが存在する。

ただし、事業会計の収支バランスを自分で把握して、何が収益となり、何が損失となっているか分析把握する能力は必要になる。


その他人の間違いの修正に忙殺されると、一体何をやっているのか自棄的にもなるけれど、自分の間違いを修正することも仕事になると考えれば、多少は気が楽になる。

気をつけなければいけないのは、物事を間違えるのはどちらかといえば子どもの仕事であり、物事をなおすのは大人の仕事になる。

つまり間違い続ける人は、幼稚さのレッテルを貼られ、次第に価値を失う。

そして他人の間違いをなおせるほどの技術が、その作業に忙殺されて、新しい技術開発時間や費用まで食いつぶしてしまうということ。

私が見るに、今の日本は、間違い続けるがあまり、その修正コストのほうが新規開発コストを上回り、結局新しい技術を生み出せない状況。

ゆとり世代の、品質の悪い雑なアウトプットを修正する時間だけで終わってしまい、新しい成果の結果を出せない。

一生懸命やっても、全く成果が出ない。

そういう仕事は辞めたほうがいいと考える。
人生の無駄だ。
高給は取れるかもしれないが、そうでなければやる意味がない。
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夢見る

2023-12-06 04:00:02 | 日記
「できる研究者になるための留学術」を図書館で読んだ。

アメリカで理系のPhD(博士号)取るのにお金はいらない?!

マジかー。

それでも、少なくとも、TOEFLやGREなどの英語スキルは必要。
そりゃそうだ。
授業を受けて、質問できるぐらいの英語力がなければ、わざわざ英語圏に行く意味がない。

もっとも、世界の25%は英語で喋っているし、学術論文やら英語で読めると一気に情報量が増える。
最新最先端の情報は、日本語だけで仕入れるのには限界がある。

日本人にとって英語はハードルが高い言語だけど、よく考えれば、日本ほど識字率が高くない文化でも英語ぐらい喋っているわけですよ。
スラムで生活する人でさえ英語圏なら英語で喋る。

日本はね。狭い同調社会であることを非常に実感していて。
実力があっても上に行けるとは限らない。
全体の平均レベルは高いんですよ。
だけどその平均以外の人に対する許容能力があまりにない。
だから能力が低すぎればいじめに合うし、能力が高すぎてもいじめに合う。
実力主義よりも、同調能力のほうが重要になる。
「和を以て貴しとなす」の社会。

良くても悪くても、平均化して合わせないとならない。
少しでも能力が劣れば、心身を病んで自宅警備員になる。
成果を出しすぎても叩かれて評価されないのだから、やりがいがない。
「他の人のことを考えなさい」となる。
幸福度の低い国にもなる。
優秀な人材は、日本に残らない理由。

まぁ、労働自治の意識も低くて、経営者や上司に文句を言おうものなら首を切られる。
そんなことにビクビクする必要があるというのもおかしい。
そんな人事権の濫用は許されないのだけど。

バイデン大統領が、労働組合活性化政策を行うらしい。
全体潮流としては好ましいけれど、行き過ぎると労働組合が骨抜きになってしまう。
企業別組合が経営と一体化してしまうのと同じで、会社と闘うことができなくなる。

それはまぁ別の話で、とにかく日本以外の視点は必要だと思っていますよ。
日本は閉鎖的すぎる。

養老孟司さんが言っていたかな。非常に都市化されている文化が日本。
歩いていける距離にコンビニがあって必要なものは簡単に手に入る。
だけど、そのルールから外れると一気に暮らしづらくなる。

都会の猫と同じで、部屋の中に閉じ込められている必要がある。
外に簡単に逃げ出せると、飼い主責任が問われる。

ど田舎の猫はそもそも家に鍵なんてかかってないし、スキマもたくさんあるから民家に出入り自由。
遊びたいときに外に出て、川や水溜りで水を飲んで、土を掘ってフンをして、遊びがてら木に登ればいいし、腹が減れば人にすり寄ればいい。

どちらが自由でどちらが幸せかは、人によるだろうけど、私は、不便であっても田舎の猫でありたいのですよ。

日本で暮らすか、日本国外で暮らすかは、おそらくこの違いなんだろうなとは思っている。

不便だけど自由か、便利だけど不自由か。

実証実験したいのです。
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