翔んで埼玉とゴジラ-1.0を観た。
翔んで埼玉は大阪に住んでいるので微妙だった。
途中退出の人もいた。
そういえば、初回もそうだった。
結局県民性自虐ネタなので、嫌といえば嫌ではある。
流石に心証が悪すぎたので、立て続けに、岡田斗司夫の評判の良かったゴジラを見た。
ゴジラ-1.0は神木隆之介の演技がすごかった。
死の後悔と絶望。
心境をよく表していた。
どちらもVFX技術がすごいなぁ、と思った。
特に水の表現は自然。
どこまで撮影で、どこまでCGなのかわからない。
そしてどちらも末端労働者の悲哀があった。
組織全体の都合で翻弄される一般人の生活。
労働組合よりの考え方であるとは思っているけれど、組織全体の最適化論理で個別の人の生活は顧みられない。
別に日本独特ではなく、昔から起きている世界の歴史を繰り返している。
さらに思ったことは、最後までしっかりと結論を考えること。
映画の物語は約2時間で終わる。
しかし実際の人間の歴史はそれ以降も続く。
物語の中で切り抜かれた部分だけでなく、それ以前それ以降、その人たちとその人達以外。しっかり考えないとなぁと思った。
物語はフィクションなわけで、実際の社会ではない。
実際の社会はより複雑でより広い。
一意的な、無理やりなハッピーエンドに持っていくことはできるけれど、フィクションの物語としてはそれでよいのだろう。
現実社会の問題も、本来正しい方向に向けて収束させていく必要がある。
しかし、人はそこまで考えていないし、考えられない。
実生活のストーリーを理想通りに進める自信がないので、考えるのを諦めてしまう。
努力をしない。
努力を無駄にしてしまう。
一個人が理想を抱いていたとしても、全員がそう考えない。
理想を説明できないし、理解されない。
理解されなければ除外される。
ある程度の妥協点に収束する。
そして理想は破綻する。
仕事して収益得ないとなぁと思いましたね。
平均を外れてはいるけれど、並外れた天才ではない。凡人であるらしい。
やっかみを受けないレベルで、上手くやる必要がある。
生活維持のために仕事をする必要があるなぁと。
人や組織に疑心暗鬼になりつつある。
おだててもてはやされる状況でもなくなりつつあるなぁと。
頭を下げてでも、他の人に色々とやってもらう必要がある。
仕事するかと。
身体痛いのをなんとかしたい。
ストレス高い仕事をする必要がある。
気が滅入るね。
気楽に生きたいよね。
それでも仕事がある社会であるだけいいのか。
仕事がない社会もある。
下を見すぎず、上を見すぎず、適所を探していくしかないかな。
そりゃ別世界に転生でもしたいよなぁ。
そこが本当にチート能力で無双できるような場所なら。
日本社会は、能力主義じゃない。
伸ばさない。
抜き出た能力は平均化する。
逆に低い能力でも生きられる。
全員一体連帯共同体。
それがいいとも言えるし、それが悪いとも言える。
日本を出たくて仕方ない。
そこが楽天地である保証もないのだけど。