寒くなってきました。
それでも台風はやってきます。
もう10月なので、10月末のイベントハロウィンが来ます。
なんかやんのか?ハロウィンて。
今年に至っては、文化祭やら学園祭やら、やりたくてもできないでしょうね。
あの雰囲気好きなんですよね。
荒削りなのに、しっかり形になってる。
人は経験で学ぶのだろうなぁ。
11月も例年学園祭シーズンのはずですが。
12月となれば師走。年末ですよ。
今年はあと3ヶ月切ってます。
年度単位では下期に入る。
今年などは、その上期下期さえなくなるという議論があったぐらいで。
いろんな常識やら決まり事がスッ飛びましたね。
人の本質が見えてくる年でもあったのだと思う。
最近ふと思うのは(まぁそんなことしか書いてないのだけど)、人は100%正直でも100%嘘つきでもないということ。
100%嘘をつくことなんてできないんですよ。
行動思考言葉には、必ず自分の経験が反映される。
歩行解析という個人認証手段があるのですが、人の歩き方は特徴的なので、よく知っている人なら遠目で見て歩き方で人を特定することができる。
足音でも人を特定することはできる。
このあたり動物のほうが得意だったりしますが。
当人は全く意識していないので、それに嘘をつくことはかなり困難でもある。
声紋解析なんかもありますね。
声を変えても本質的な声は変わらない。
遺伝性も高い。
コントロールしようとしても変えられない部分はあるわけで、物理的事象だけでなく思考ルーチンを全く変えることもやっぱりできない。
知らないこと、経験のないことは、深く議論できない。
逆に100%正直ということもないのだろうなと。
人はそれぞれに矛盾を抱えている。
個人的な問題だけでなく、社会的な問題もある。
社会的な枠組みから自分の思想や信念や本質が異なるのに、仕方ないから合わせている。
自分に嘘をついているのだけれど、それさえも気づかずに思考を構築すれば、当人にとって嘘ではないけれど嘘になる。
人は100%正直に生きているかと言えば、そうでもない。
人社会を生きるにあたって、自分のやりたいことをやれるだけやっていたら、捕まってもおかしくない。
目の前のお金や食事が欲しければ、あるものを奪うという選択もある。
人の命を奪ってでも。
それをしないのは、それによって人生も終了する危険もあるからで。
短絡的な充足を得るより、遠回りするプロセスを楽しみながら、その過程の上で金銭的、食欲的満足を得る。
まぁそれさえも嘘をつかずに正直なのかはなんとも言えない。
「目標を高く持て」と言われるのはそこなのだろう。
短絡的な目標であれば、他人を蹴落としたりやっつけたり、場合によれば貶めたり、単純な競争で勝てば得られる。
その上で奪う。
人というのは面白いもので、負けた方はその経験を元に、さらなる成長をすることができる。
そのまま成長をしないという選択肢もあるのだけれど、長期的に見て、本当の勝者は誰か?という問題にその時点での結果はそんなに重要ではなかったりする。
小学校時代のヒーローは、今でもまだヒーローですか?
100%の正義はないとも言えるのだけれど、100%正直であるというのは相当難しい。
それでも自分の中にある嘘と実生活の嘘は、なるべくなくしていったほうが生きやすいんですよね。
不満もストレスもなくしていく。
根本的な認識を正常にしていく。
精神的な健康は非常に重要ですよ。
肉体的健康に非常に強い関連性がある。
迎冬は造語です。
ググると多少使っている例もあるけれど、日本語で存在する言葉ではなさそうです。
ありそうですけれどね。
迎春で春は迎えるのに、他の季節は迎えないんですね。
迎冬、迎夏、迎秋って言葉もググれば出るけれど文字入力変換はされない。
向夏、向秋、向寒はあるらしい(やっぱり入力変換はされないけど)。
対峙する感じですかね。歓迎や迎え入れる感じではない。
春以外の四季は辛い時期なんでしょうね。
こう言っては水をさすけれど、確か自殺者数も春のほうが低い。
まだこの言葉は季節として早いけれど、来年はいい年になるといいですなぁ。