先日会社の経営者と話して、そんなものかと思った出来事。
理工系の大学に入って、勉強しなかったので、MBAを取った。
これはどういうことかと言うと、その人は理工系大学の航空宇宙工学科に入ったけれど、しっかり勉強しなかった。
だから技術者にはならなかったし、なれなかった。
自分の将来のために、MBA(経営学修士)を取って経営に参画することにした。
技術を真面目に追求することができないということは、ある意味経営に向いているとも言える。
長期的かつ真面目な深堀りは、どちらかといえば技術開発に向くが、経営的判断には向かない。
技術的深堀りができる特性を持っているのなら、それをさらに深堀りして活かせばよいという考え方もある。
得意分野を伸ばす方法だ。
しかしその場合、悪い仕事でもうまく遣われてしまうという問題もあって、それを防ぐためにも大局的かつ政治的なコントロールが必要になる。
そんなわけで、現在私は社会経済を学んでいる。
現在能力の深化でなんとかなるのであれば、新たなことを勉強する必要もないのだけれど、人として生きている限り万能ということはない。
万能な人は存在しないし、そもそも人類は全知全能でも万能でもないのだから、日々改善し変革成長していく必要がある。
現在の自分の能力が足りないと実感することで、新しいことを学んでいく。
技術課題と対峙した際に、技術を極めようとするか、政治的に対処しようとするかという手段を選ぶ必要も出てくる。
自分は技術の深堀りでなんとかなっていたのだけれど、技術だけですべての対策ができるとも思ってはいなかった。
だから政治経済を学ぶ必要も感じていたし、そのために時間と費用を確保する必要もあった。
技術的対策が忙しくなると、時間の確保はおろか、体力を確保することも難しくなる。
ある意味言い訳だけれど、別分野を学ばずに済むぐらいの技術力を身に付けてもいた。
自分の適正な給与はいくらなのか、自分の適正な肩書は何なのか、仕事や給与交渉をするにあたって必要な情報なのだけれど、実際のところこれを明確化するのは骨が折れる。
厚生労働省が各職業の平均給与を統計算出しているので、それを用いて給与を計算する。
業種別平均給与を計算する方法を明確化するのもけっこう大変だったのだけれど、さらに大変なのはこれを周知することではある。
せっかく国家公務員として、厚生労働省の官僚になった人たちが、日々苦労して算出した統計データなのに、有効活用しないのはもったいないでしょう?
ところがこれは技術屋的なまじめな考え方で、一般的な人は、とりあえずゴネる。
証拠や根拠を明確化するよりも、理不尽であろうとも、ゴネて自分の意見を通す。
一般的な人々の社会的なやり方は、論理的整合性云々よりも、ゴネたり、脅しすかし褒めてでもやらせてしまうというもの。
そこまでするまでもなく、普段の日常生活では、ちょっとした笑顔や清潔感や挨拶、無駄な発言はせずに簡潔に応答するなどを心がけるだけで、かなり生活はしやすくなる。
それだけで買い物の会計が楽になる。
論理的かつ地道に生きるか。
感情的かつ即興的に生きるか。
両方あるといいけれど、そう簡単でもないので。
音楽のかっこいい即興演奏が成立するのは、地道な練習や音楽理論の探求をしているからではある。
その積み重ねが辛く苦しいのであれば、練習も勉強もしない。
音楽が楽しいから練習する。
知識技能にしても、面白いからやるというのが最大のモチベーションだと思う。
それと、必要であると実感してその環境があるのだったらやりますよね。
夢を持つというのは、望む環境を作ったり、望んでいた環境が巡ってきたら、見逃さずに行うための準備や心がけとも思います。
逆境が視点を変えるためのきっかけで、それがとんでもないメリットの場合もあります。
いわゆるピンチはチャンス。
それを見逃さないようにするには、普段から様々な対策を練っておく必要を感じます。