ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

言葉にできない

2018-05-12 00:50:03 | Technics
心の中では気づいていたのに、なかなか言葉にできない。

というか、ふさわしい言葉が見つからないということもあるわけで。


20年以上前の1995年にWindows95が標準で、Ethernet、TCP/IPを搭載することになって、爆発的にインターネットが普及したわけです。

まだYahoo!が検索エンジンの標準として扱われていた頃です。


当時、インターネットの恩恵に預かれるのは、モデムやISDNといった電話回線利用による従量制通信か学校ぐらいでしたが、今や携帯端末と常時接続回線で、一人に一つのインターネット端末が使えるようになったわけですよ?


つまり、誰でも世界の当たり前を、リアルタイムに知ることができる。

でも生活は、ガチガチの慣習に縛られた、ムラ社会的閉鎖ルールで生きている。

それは当然、現実と情報のギャップを生む。


小さなムラ社会的ルールは、携帯端末の映像音声とともに、公的最高判断機関である、裁判所に簡単に提出される。

今まで黙認されていた、すごく狭い人間関係でのルールが、ネットにより即座に社会にさらされることとなった。

つまりこれが、パワハラ、モラハラ、セクハラ、マタハラなどなどの、様々なハラスメント(嫌がらせ・いじめ)の社会インフラ的原因だと思われる。


対策?

これまで公になった様々な事件を思い起こせばいいのですが、社会的地位の上下に関係なく、個々人のモラルが問われるだけです。

社会的地位は時と場合によって簡単に上下する非常にあやふやな価値です。

どんなニート生活を送っていようが、これから先18歳を超えたら大人だし、少なくとも3歳児にとってはいろいろ知っている大きな大人です。


「世界的視野で考える」
と言った、ものづくり企業創業者がいましたが、今はそれを大変行いやすい環境でもあるということです。

それはただ表面的に知ることではなくて、「現場現物現実を原理原則」でしっかりと把握して、「安全」を最優先に活動する。

それによって、永続的な文明生活を送れるということになるんじゃないかしら?


という仮説です。
証明はこれから。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 気のせいにしたい。 | トップ | 子供の頃の夢 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Technics」カテゴリの最新記事