思考方法には、トリプルシンキングという概念があります。
1 クリティカルシンキング(Critical Thinking):モノや情報を疑う
(Critical:批判的な)
2 ラテラルシンキング(Lateral Thinking):新たな視点からアイディアを出す
(Lateral:側面の)
3 ロジカルシンキング(Logical Thinking):周囲の賛同が得らるように整理して説得する
(Logical:論理的な)
自分もすべての側面から、賛同が得られるように論理的に説明できているとも思えないのですが。
では世の中のプロがこれらすべての考え方ができているかというと、そうではない。
既存のシステムを信じ込んで、自分の見ている一方向で見て、非論理的に考える。
うぉぉい。それでもプロかい?
しかし残念ながら、いい大人の、それで高給をもらっているプロであるはずの人が、トンチンカンな考え方をしているのも事実。
ロジカルシンキングを得るためにプログラミングを勉強するとかありますけれど。
所定の結果を得るために、プログラミングは単純な動作を組み合わせて作り上げるわけです。
特にプログラム言語ベースであれば、途中の文法的にも、論理的にも間違えてはいけない。
それでも、プログラミングで、側面から考えるラテラルシンキングができるかは疑問ではある。
プログラミングを行っているSEが、システムの中の一部のサブルーチンを作るとなると、別の視点で考えるなんてできなくなる場合がある。
「スマホゲームの爆発シーンだけを作ってください」
確かに専門性は高いかもしれないけれど、ゲームシステム全体を構築する創造性とはかけ離れてしまう。
それでも論理的に間違っていたら、絶対に出来上がらないのも事実で。
批判だけはするけれど、知識がなく、ほかの価値も知らず、論理も破綻している人が多いのですよ。
どうしようか迷ってはいて。
論理的に考えられるように誘導するにしても、根本的に思考さえしようとしない人にどのように説明するかは非常に悩む。
「一生懸命やっている」
いや、全く間違っている方向にどんなに一生懸命にやっても、失敗するのですよ。
全く自分に関わらければ放っておくのですが、自分が関わると放っても置けない。
「お前さん、間違っているよ?」
と、真正面から否定すると、へそを曲げて、反発して言うことさえ全く聞かなくなるので、あまり攻撃的な言葉を使うのもよろしくない。
かといって、完全に容認することもできないので、うまく誘導していかないとなぁと、非常に悩むことになる。
ほかの対応としては、
「知識も思考力もないのなら、もう教えるだけ無理なので、諦める」
ということも考えられるのだけれど。
工業高等学校時代に周りから特に責められることがなかったのは、それをしなかったためであるとも思っていて。
可能性を信じずに、「お前はもうだめだ」という対応をすれば、その対応をされた人は、「自分はしっかりやる必要がない」と思い、さらにアウトローな方向に向かってしまう。
相手の気持ちを考え過ぎると、相手の思考と同化するという危険性もあってね。
自分が行動で見せて、それを学んでもらうということができればいいのだけれど。
自分がやらなくても全部やってくれるとか思ってしまう人もいてですね。
基本的に手を抜きたいのですよ。そういう人は成長もしないけれど。
モノを教えるときに、常に悩むところです。
教えるということの自分の原則としては、
「自分自身で気づいてもらう」
必要があって。
こちらがどんなにガミガミ言ったところで、相手が必要だと思わない限り、変わることがない。
教えたいことが、どうして必要なのか?
教える自分がその知識や技術を使って、スマートに問題を解決する事例を見せられればいいのだけれど。
私個人的には、そもそも間違っている人に間違いを指摘されても腹が立つだけなので。
例えばおもいっきり太っている人に、
「お前太りすぎだよ。痩せな」
と言われたら、
「まずあなたが痩せることが必要でしょ?」
と返したいところ。
大抵それでヘソを曲げる。
場合によれば怒り出す。
手段としてもう一つは、
「もうその人のことは手放してしまい、それ以上考えないで、自分のやるべきことに集中する」
ある程度ヒントを与えたら、「もうあなたのケアはしませんよ」という態度をとらないと、自発的に考えて学習して行動することもないのですよ。
自立して自分で考える。
結局それをやらないと、考えない人間を大量生産する、ニッポンの義務教育制度から脈々と続くサラリーマンの考え方と、大して変わらなくなる。
答えは他人から与えられるものじゃないのでね。