私の持論ですが、せっかく精神病医学があるんだから、風邪のときの内科と同じように使えばいいと思っている。
人の最大の病気は悩みです。
その悩みで体調が悪くなる。
ほとんどの体調不良は、苦悩からやってくる。
悩んで苦しんで、酒や違法薬物や犯罪に手を染めるより、まずはしっかり身体と心を休めるために、正しい処方の薬を飲んだほうがいい。
まずはしっかりと寝ること。
そうしなければ、身体も心も治らない。
そのために睡眠導入剤があるわけで、それをしっかり処方できるのは、心療内科や精神科の医師になる。
とにかく体を動かせとか、パーッと遊べば悩みなんて消えるとか、それは根拠のない論理ですよ。
本当に鬱になると、心身の機能が衰えて、心臓の鼓動さえ弱くなる。
それが、体を動かす億劫さに拍車をかけて、更に動かなくなる。
その基礎体力をつけるためには、確かに運動が必要だけれど、それはリハビリの段階。
まずはしっかりと休んで、回復しなければ、体力をつける段階に入れない。
精神医療のエビデンスとなる診断根拠は、実はあまりない。
鬱や躁などの脳内メカニズムを研究するテーマがあるが、実際の臨床で脳内の働きや分泌物がどのように変化しているかは観察できない。
脳内ホルモンの分泌は、非常に微小なのだから。
基本的には言動の観察にもとづいて診断を行う。
ところが、精神病患者と一般人の差を決める境界はあやふやなのですよ。
根拠不足で、因果関係に一貫性がないことを精神病患者の定義だとしましょうよ。
世の中に、しっかりとした根拠を元に、確実な因果関係をもって物事を判断している人のいかに少ないことか。
政治家でも、会社社長でも、まともに判断している人なんて知りませんよ。
基本的に、知識不足、経験不足、観察の欠落、論理の破綻で人は物事を考えているんです。
完璧に物事に結論をつけられる人なんていないわけです。
皆何か勘違いしているんです。
程度の問題ですよ。
もう一つ重要な問題は、間違いの許容量です。
現代日本で言えば、一円で人が死ぬことは殆どありません。
ところが、100万円無くしたら、社会的に人が死ぬ可能性は高くなります。
1億円紛失したら、大問題です。
つまり、自由になる資産の大小によって、死に直結する損失は変わるのです。
仮に数千万円の貯蓄があれば、数十万円の手術費用がある日突然必要になってもなんとかなります。
ところが、月収十万円程度で貯蓄がない。そんなときに一ヶ月の入院が必要になったら、生死のはざまに立たされます。
危機となる問題へ対応できる余裕があるかは、社会的地位や財力に左右されるのです。
精神病と社会的地位の相関関係はあります。
このあたり、精神科医やそれらの医療従事者さえしっかり理解していないのが現実です。
繰り返せば、精神病は、悩みという、人類の根源的病を治すための、医療行為なんですよ。
それをお金に変えようとする人もいるのでね。
新興宗教やら、キャッチセールスやらもそれに類するわけで。
社会集団が、個人の生きる尊厳を潰すことによって発生する病もあるわけです。
えてして、当人の問題ではなく、組織集団の問題が1人に集まってしまう。
よく世の中に存在するニュースです。