神も悪魔も、怪物も心霊も、人の想像した存在しない空想生物は、社畜と化した会社員のごとく人のルールに乗ってしまって物悲しい。
吸血鬼は死なないが、太陽の光に当たって死ぬ。
十字架や銀の銃弾など、人工物が弱点。
人の言葉を理解して話し、人間社会に溶け込むが、生態は逆。
人が太陽光に当たらずに過ごすと、ビタミンが生成されず骨が弱り、くる病になる。
座敷わらしは座敷がなければ座敷わらしになりえない。
したがって、全部屋フローリングのアパート・マンションなどの座敷がない部屋にいられない。
もっとも座敷わらしは、近親交配や重度精神病など、生まれて生きているにもかかわらず、世間に公表されず断絶され、屋内のみで育てられた現実の子供が妖怪伝説化したと思われ、現実を虚構としていた例とは思われる。
現実に存在しない空想に思考や判断を持っていかれて、正しい判断をできないことは、無駄だし愚かなことだと思うけれど、キリスト教が政治の主権を得て国家を越えたレベルで人を支配していたのも史実。
宗教の教義の善行や功徳行為が、施政者にとって従順に隷属する人民を作り出すためのルールと考えると、「神は死んだ」とも言いたい。
自己利益をなくし、他者利益のために自らを犠牲にする。
行き着く先が、特攻したり、人間爆弾・人間魚雷だったりしたら目も当てられない。
そういうことはまず人を支配する側がやりなさいよとは思うけれど、それはそれで素質がないとも言える。
「神に懺悔せよ」
の神の線を消して、
「ネコに懺悔せよ」
としたほうが現実的なのだけど、それもまた意味がないので滑稽になる。
空想世界に生きることもできるのが人だけれども。
集団の支配者やリーダーが空想にどっぷり浸かって、現実に起きていることを認識できずに、まともな判断ができていなければ、それは地獄ですよ。
地獄を地獄と認識することも、それは間違いだと声を上げることもできない組織社会もうんざりですが。
自分のいる狭い社会が世界の全てと思い込んでしまい、自分を否定して自殺に至るよりも、全く違う価値観で、違う文化で生きる方法を模索したほうが面白いとは考えている。
ネットに100%の答えが落ちていると思うのと同様に、社会に100%の正義や正解が落ちているとは考えないほうがいい。
どんなに科学が進んでも、人は全知全能になりえていないし、なりえない。
すべての人が、理想通りのタイミングで、伸身三回転宙返りはできない。
日々少しずつ改善していくしかない。