『わたし、自分の心を探してるの』
その女の子は冷えたリンゴジュースをゴクリと一口飲むと、そう言った。
そう言われて、ただそこに居合わせただけの猫は、よくわからないと言うように体をくねらせると、のそのそ歩いて行った。
夏のジリジリした暑さの中、この広場だけは特別な避暑地のように爽やかな風が通り過ぎていた。
その女の子の名前は幸と言った。
まだ小さい。
今日も自分の心を探して、てくてくと歩いてきた。
今日は家の裏の崖を降りて、小さく拓けた広場の方に来てみた。
去年の夏に海で溺れて一命をとりとめ、今は知らない誰かの心臓が入っている。
その日から、幸は自分以外の誰かの心臓の働きで生かされていた。
手術の後、気付くと新しい心臓が自分に話しかけて来た。
『幸ちゃん、こんにちは。これからは私が幸ちゃんの新しい心臓として働きます』
幸は、ありがとう、と答えた。
同時に自分の心臓がなくなったことに気づいた。
どうしよう、と急に思った。
なぜなら、生まれてから今までの間にたまった、心に大切にしまっておいた物が入っていたからだ。
楽しかった思い出、秘密など、いろいろ。
幸はママから聞いたことがあった。
心臓にはね、心が入っているのよ、だから、うれしい時とか悲しい時とか、胸のところがドキドキしたり、キュ~っとしたりするのよ、と。
幸は慌てて病院の先生に聞いた。
『先生、私の心臓はどこにいきましたか?大切な物が入っているんです』
先生はにっこりして、もう大丈夫だよ、と言っただけだった。
仕方なく幸はそれから自分で自分の心を探しに出かけることにしたのだった。
あちこちあちこち一年間探し続けて、見つからないまま今日が来た。
幸は最近不思議に思っていた。
自分の心臓はなくなってしまったはずなのに、心にしまっていたものはまだ残っている気がしていた。
悲しかったこと、うれしかったこと、その他いろいろ。
幸は他の誰かの心臓が自分の身体に入って来た時、心にぽっかり穴が空いた気がした。
もう自分は終わって、他の誰かが始まってしまった気がした。
でも他の誰かの心臓は自分の中に来たが、他の誰かの心は自分にはわからなかった。
幸は心臓の中に心はいないのかもしれない、と思った。
幸は今日で自分の心を探しに出かけるのを止めることにした。
心は、たぶんまだ自分の中にある、と思った。
幸の中には心が二つだな、と思った。
幸はぬるくなったリンゴジュースを飲み干すと、日影を選びながら広場の出口へと向かった。
さっき会った猫も、涼しそうな大木の下で、ひとしごと終えたような満足そうな顔で昼寝を始めていた。
<おわり>
