ちょっとマニアックな話で申し訳ないのですが、言いたくなったので、書かせてください。
たまたま、ユーチューブでドイツで活躍される男性歌手の話を聞いていました。
私は、声楽を学び始めた時、いわばドイツ的な発声を学ぶ流れになりました。
この、ドイツ的、という表現が、適切か否かは、ちょっと置いておきますが、敢えてそのように書きます。
でも、今思うと、それは、イタリアのドニゼッティ、ベッリーニのような、コロラトゥーラソプラノの曲をやる上で、声のアクセスの技術的な面で障害を感じた側面があり、声の迷路を彷徨いました。
いま、声楽を本格的に開始して40年あまり経ち、自分の声が発声法として、どのような道を辿ってきたのか、俯瞰できるようになりました。
最近、やっと、喉の存在を意識できるようになり、また新しい扉を開けたと思います。
《追記》
イタリア的、ドイツ的、があるとしたら、どちらが優れている、とか、そのような意味ではありません。
ただ、どんな曲がレパートリーなのかにより、自分が必要な要素を取り入れた仕組みを作る必要がある、と、感じます。