ぎっくり腰の痛みで動けなかった時期は横になってもよく眠れないものだから、
昼間は本とDVDとiPadづくしでした。
(そういえばお題と関係ないけど「捏造の科学者 STAP細胞事件」も読みました。
捏造の科学者 STAP細胞事件 | |
クリエーター情報なし | |
文藝春秋 |
当事者側の説明と客観的事実でしか真相を探れないから、
誰がなぜそんなことをしたのかは置いといて、という形になるのだけど、
何故こんな大捏造事件になる前に防げなかったのか、を考えさせる本でした。
中途半端な学者を粗製乱造する日本の大学、捏造を見逃した理研の不備と対応の不味さ、
研究のためには予算確保に必死にならざるを得ない科学者、
そうさせてしまう文科省の体制…。
システムを根本的に変えなければ、今後もこうした問題は避けられないことでしょう。
STAP細胞の捏造問題が囁かれた当初は、世間では情緒的な見方が多かったものですが、
科学は正確なデータと再現性が基本。
論文コピペや画像の操作、スカスカの実験ノートなどを見ると、
今時の博士号の軽さを嘆かずにはいられません。
一方でネット民による論文検証が非常に高度で、
時には組織のしがらみから実名で告発できないような事実も指摘することができたり、
いい方向に進めば捏造抑止効果になるのだな、と感心しきり。
まあ、悪い方向に進めば意義ある研究でも足止めさせるのかもしれないけれど…。
それにしても毎日新聞は旧石器捏造事件といい、興味深い本を出すよね)
この間TV放映された映画「風立ちぬ」も、ちょっと前にDVDで鑑賞したのです。
(そういえば“シャーロック・ホームズ”でツイートを検索したら、
ちょうど「風立ちぬ」放映直後だったらしく、クレソンおじさんというか、
軽井沢のドイツ煙草おじさんの話題が満載で、視聴率すげーと思った)
わたしは…観た直後はどう受け取ったらいいかよく分からなくて、咀嚼すること数日、でした。
これは確かに、業界人が共感し、純愛派が泣き、普通の人がぽかんとする映画だよ。
注:映画「風立ちぬ」と、漫画「のだめカンタービレ」のネタバレが含まれています。
感想は身も蓋もないかもしれません。以下、ご注意ください!
「風立ちぬ」での庵野氏による吹き替えは子役との入れ替わりの時に違和感がありましたが、
(子役の喋り方が抑揚あったので)しばらくすると慣れました。
むしろ二郎の飛行機オタぶりにぴったりな配役だと思いました。
そうそう、良い子のジブリで初夜が出てくるのには一瞬たじろいだね。
説明台詞が少なく行間を読まなければいけないところも含めて、大人の映画だった。
関東大震災が起ころうが、自分の創作物で人が死のうが、最愛の人が病に倒れようが、
あらゆる場面で夢想し、取り憑かれたように仕事に向かわずにはいられない、
クリエイターの純粋さとエゴを結晶化したような主人公、二郎。
そして、そんな男の全てを受容し、命の限りに愛し、
心と体に彼の面影を刻みつけて静かに去った、ヒロインの菜穂子。
二郎は飛行機のことで頭が一杯で、約束は忘れるわ、人の話は聞かないわ、
闘病中の妻より仕事が優先だわ、と身勝手さがすごいが、
何も感じてない訳ではないのだよね。悲しみや苦しみを抱きつつも、
創造するという行為に没頭してしまうというさがなのだ。
描かれなかったけれども、菜穂子が死期を悟って療養所に戻ったことを知った時、
二郎の心に何がよぎっただろうか。
おそらく二郎は、もうすぐ菜穂子を現世で失うことを思い、泣くのだろう。
彼女を第一に考えられなかった自分を顧み、悔むのだろう。
しかし、どこかで一抹の安堵も覚えるのではないか…とわたしは想像してしまうのである。
菜穂子はいかにも、愛しい女である。
しかし、傍にいれば度々彼女を思いやるために振り返らねばならない。
創作を最優先できる環境に戻って、後ろめたくも少しほっとするような気がするのである。
二郎は二郎なりに、彼女を愛していたのだけれど。
(感染する恐れがありながらキスを繰り返し、彼女の気持ちを汲んで結婚して同居するし、
二人とも命がけの恋だったのは事実)
彼が人生を別のものに捧げていることは、菜穂子にはよく分かっていた。
飛行機に夢中になる姿すらも魅力になっていたのだろうと思う。
時折自分のほうに向けられる視線に大きな喜びを感じながら、
長い間ずっと横顔を見守っていたのだろう。
(儚く散る前に二郎の傍にいようとする菜穂子の思いが健気でせつないですが、
よく考えると、上司の家に寄宿している二郎のところにおしかけ女房…。
二郎はともかく上司一家に遠慮はないのかよ、と誰もが突っ込んだであろう。
二郎が仕事で留守にする間、結核で床についている菜穂子の面倒を看ていたのは、
やはり上司の奥さんだよなあ…。
ある意味、二郎と菜穂子のメンタルの強さ、すげえ…)
そんな印象を受けた「風立ちぬ」鑑賞後の、
実写・アニメ・マンガの「のだめカンタービレ」尽くしになっていたのですが、
(最近書いた再視聴「のだめ」の感想はこちら)
なぜそこに行ったんだろう…と、ふと考えて気づいた。
TV「歴史秘話ヒストリア ふたりの時よ永遠に 愛の詩集『智恵子抄』」回からの、
「風立ちぬ」からの、Wikiの文学者・音楽家の項目からの、「のだめカンタービレ」だった。
(Wikiでは太宰治、三島由紀夫、谷崎潤一郎、佐藤春夫、森鴎外、夏目漱石、
ドビュッシー、シューマン、ブラームス、リスト、ワーグナー、チャイコフスキーなど、
私生活の行状を興味本位で読んでいたのです)
どうやら、天才に恋をするとどんなことになるのか、の色々なパターンを無意識に見ていたらしい。
高村智恵子は才能を発揮する夫の傍にいながら、自分の芸術を確立できず、
不幸が重なったこともあり、心を病む。
菜穂子は元々同じ次元で生きようとはしていないものの、
夫の人生の一番は自分ではないことを受け入れて、最後はひっそりと去っていく。
のだめは時に悩み苦しみながらも、千秋と並び立ち、それぞれが己の音楽を追求しながら、
互いに刺激を受け、高めあう道を選ぶ。
神様から才能というギフトを送られた人は、破天荒でエゴイストで繊細で、
情熱的で自意識過剰で不安定で世話が焼けて、仕事に没頭するあまり他人を振り回して、
周囲にとっては迷惑極まりないのだけど、その存在は悪魔のように魅力的で、
その創造物は何もかも許せるほど素晴らしいものなんだよなあ…。
天才本人にとっても才能というのは、誰を泣かせても、何もかも踏みにじっても、
生きている限り踊り続けなければいけない呪いのようなものなのかもしれず、
優れた業績があるからといって、幸せとは限らない。
そう考えると少し可哀想な気もするが、彼らに恋をしたら苦労するのは確実である。
明白なことながら、恋は止められないのだけど。
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