本棚7個じゃ足りません!

引っ越しのたびに蔵書の山に悩む主婦…
最近は二匹の猫の話題ばかりです

天才に恋をしたら…

2015年02月23日 | 映画・DVD・テレビ

ぎっくり腰の痛みで動けなかった時期は横になってもよく眠れないものだから、
昼間は本とDVDとiPadづくしでした。
(そういえばお題と関係ないけど「捏造の科学者 STAP細胞事件」も読みました。

捏造の科学者 STAP細胞事件
クリエーター情報なし
文藝春秋


当事者側の説明と客観的事実でしか真相を探れないから、
誰がなぜそんなことをしたのかは置いといて、という形になるのだけど、
何故こんな大捏造事件になる前に防げなかったのか、を考えさせる本でした。
中途半端な学者を粗製乱造する日本の大学、捏造を見逃した理研の不備と対応の不味さ、
研究のためには予算確保に必死にならざるを得ない科学者、
そうさせてしまう文科省の体制…。
システムを根本的に変えなければ、今後もこうした問題は避けられないことでしょう。
STAP細胞の捏造問題が囁かれた当初は、世間では情緒的な見方が多かったものですが、
科学は正確なデータと再現性が基本。
論文コピペや画像の操作、スカスカの実験ノートなどを見ると、
今時の博士号の軽さを嘆かずにはいられません。
一方でネット民による論文検証が非常に高度で、
時には組織のしがらみから実名で告発できないような事実も指摘することができたり、
いい方向に進めば捏造抑止効果になるのだな、と感心しきり。
まあ、悪い方向に進めば意義ある研究でも足止めさせるのかもしれないけれど…。
それにしても毎日新聞は旧石器捏造事件といい、興味深い本を出すよね)

この間TV放映された映画「風立ちぬ」も、ちょっと前にDVDで鑑賞したのです。
(そういえば“シャーロック・ホームズ”でツイートを検索したら、
ちょうど「風立ちぬ」放映直後だったらしく、クレソンおじさんというか、
軽井沢のドイツ煙草おじさんの話題が満載で、視聴率すげーと思った)
わたしは…観た直後はどう受け取ったらいいかよく分からなくて、咀嚼すること数日、でした。
これは確かに、業界人が共感し、純愛派が泣き、普通の人がぽかんとする映画だよ。

注:映画「風立ちぬ」と、漫画「のだめカンタービレ」のネタバレが含まれています。
感想は身も蓋もないかもしれません。以下、ご注意ください!






















「風立ちぬ」での庵野氏による吹き替えは子役との入れ替わりの時に違和感がありましたが、
(子役の喋り方が抑揚あったので)しばらくすると慣れました。
むしろ二郎の飛行機オタぶりにぴったりな配役だと思いました。
そうそう、良い子のジブリで初夜が出てくるのには一瞬たじろいだね。
説明台詞が少なく行間を読まなければいけないところも含めて、大人の映画だった。

関東大震災が起ころうが、自分の創作物で人が死のうが、最愛の人が病に倒れようが、
あらゆる場面で夢想し、取り憑かれたように仕事に向かわずにはいられない、
クリエイターの純粋さとエゴを結晶化したような主人公、二郎。
そして、そんな男の全てを受容し、命の限りに愛し、
心と体に彼の面影を刻みつけて静かに去った、ヒロインの菜穂子。

二郎は飛行機のことで頭が一杯で、約束は忘れるわ、人の話は聞かないわ、
闘病中の妻より仕事が優先だわ、と身勝手さがすごいが、
何も感じてない訳ではないのだよね。悲しみや苦しみを抱きつつも、
創造するという行為に没頭してしまうというさがなのだ。

描かれなかったけれども、菜穂子が死期を悟って療養所に戻ったことを知った時、
二郎の心に何がよぎっただろうか。
おそらく二郎は、もうすぐ菜穂子を現世で失うことを思い、泣くのだろう。
彼女を第一に考えられなかった自分を顧み、悔むのだろう。
しかし、どこかで一抹の安堵も覚えるのではないか…とわたしは想像してしまうのである。

菜穂子はいかにも、愛しい女である。
しかし、傍にいれば度々彼女を思いやるために振り返らねばならない。
創作を最優先できる環境に戻って、後ろめたくも少しほっとするような気がするのである。
二郎は二郎なりに、彼女を愛していたのだけれど。
(感染する恐れがありながらキスを繰り返し、彼女の気持ちを汲んで結婚して同居するし、
二人とも命がけの恋だったのは事実)
彼が人生を別のものに捧げていることは、菜穂子にはよく分かっていた。
飛行機に夢中になる姿すらも魅力になっていたのだろうと思う。
時折自分のほうに向けられる視線に大きな喜びを感じながら、
長い間ずっと横顔を見守っていたのだろう。

(儚く散る前に二郎の傍にいようとする菜穂子の思いが健気でせつないですが、
よく考えると、上司の家に寄宿している二郎のところにおしかけ女房…。
二郎はともかく上司一家に遠慮はないのかよ、と誰もが突っ込んだであろう。
二郎が仕事で留守にする間、結核で床についている菜穂子の面倒を看ていたのは、
やはり上司の奥さんだよなあ…。
ある意味、二郎と菜穂子のメンタルの強さ、すげえ…)



そんな印象を受けた「風立ちぬ」鑑賞後の、
実写・アニメ・マンガの「のだめカンタービレ」尽くしになっていたのですが、
(最近書いた再視聴「のだめ」の感想はこちら
なぜそこに行ったんだろう…と、ふと考えて気づいた。
TV「歴史秘話ヒストリア ふたりの時よ永遠に 愛の詩集『智恵子抄』」回からの、
「風立ちぬ」からの、Wikiの文学者・音楽家の項目からの、「のだめカンタービレ」だった。
(Wikiでは太宰治、三島由紀夫、谷崎潤一郎、佐藤春夫、森鴎外、夏目漱石、
ドビュッシー、シューマン、ブラームス、リスト、ワーグナー、チャイコフスキーなど、
私生活の行状を興味本位で読んでいたのです)
どうやら、天才に恋をするとどんなことになるのか、の色々なパターンを無意識に見ていたらしい。

高村智恵子は才能を発揮する夫の傍にいながら、自分の芸術を確立できず、
不幸が重なったこともあり、心を病む。
菜穂子は元々同じ次元で生きようとはしていないものの、
夫の人生の一番は自分ではないことを受け入れて、最後はひっそりと去っていく。
のだめは時に悩み苦しみながらも、千秋と並び立ち、それぞれが己の音楽を追求しながら、
互いに刺激を受け、高めあう道を選ぶ。

神様から才能というギフトを送られた人は、破天荒でエゴイストで繊細で、
情熱的で自意識過剰で不安定で世話が焼けて、仕事に没頭するあまり他人を振り回して、
周囲にとっては迷惑極まりないのだけど、その存在は悪魔のように魅力的で、
その創造物は何もかも許せるほど素晴らしいものなんだよなあ…。

天才本人にとっても才能というのは、誰を泣かせても、何もかも踏みにじっても、
生きている限り踊り続けなければいけない呪いのようなものなのかもしれず、
優れた業績があるからといって、幸せとは限らない。
そう考えると少し可哀想な気もするが、彼らに恋をしたら苦労するのは確実である。
明白なことながら、恋は止められないのだけど。

 

風立ちぬ [DVD]
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ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社




のだめカンタービレ 最終楽章 前編 スタンダード・エディション [DVD]
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アミューズソフトエンタテインメント





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今年のバレンタインチョコと本

2015年02月19日 | 美味☆礼賛

久しぶりの投稿です。
先週生まれて初めてぎっくり腰になってしまい、
長い間、芋虫のように家で転がっていたのでした。

いや、辛かった。朝目覚めたらなんだか腰が痛くて、
動けば治るかなーと買い物に出かけたら悪化してしまって、
翌日はもう寝床から自力で起き上がれない…。
朝から晩まで横になっていても痛いので、病院に連れて行ってもらい、
その後は薬飲んで安静にしているしかない数日間。
一番症状のきつい時期に夫の休みが重なったので、
ごはんを買ってきてもらったりして助かりましたが。

中腰が痛くてトイレがきついわ、風呂に入りたくても動けないわで、
ぎっくり腰がこんなに大変だとは思わなかった…。
(激しく痛くてうっかり動けない状態から、今は動けるけど、じんわり痛い段階に。
サポーターつけてるけどじわじわきてるので、ぱぱっと投稿、しちゃいますね…)

写真はゴンチャロフのアンティキテというチョコレートの缶。
バレンタインのプレゼントには、大分前に本を贈ったのですが、
その「ぎっくり腰になった日」にデパートを覗いた時、
バレンタインチョコ会場でこれを発見。
かーわーいーいー!!と内心盛り上がっちゃって、買ってしまった訳です。

中身はこんな感じでした。

バレンタイン当日はわたしが寝込んでたけど、あとで食べてくれたよ。



ちなみに本は、夫の好みを考慮してこのような作品を選びました。

「はてしない物語」事典――ミヒャエル・エンデのファンタージエン
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岩波書店



ジブリの教科書2 天空の城ラピュタ (文春ジブリ文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋



映画天空の城ラピュタGUIDE BOOK復刻版(ロマンアルバム)
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徳間書店

興味がある世界だけど自分では見つけられず、買いそうにない路線を狙いました。
(夫は欲しいものは躊躇わずに買うタイプなので、プレゼント選ぶのがいつも大変…)


わたしはぎっくり腰ばたんきゅー状態の時、
「のだめカンタービレ」のアニメと実写ドラマ&映画を見続けていましたよ。
今はマンガのほうで復習。
これまで読んでいた限りでは日本編が面白すぎて、巴里編が物足りなかった感じがしましたが、
改めてじっくり一気読みすると、リアルタイムで新刊が出るたび読んだ時とは違う印象です。
深いね、これは。登場人物の心理を説明する台詞が少ないから、
なんとなくこんな気持ちか?と読み飛ばしていた場面が、
実は(全体の流れを踏まえたうえで考えると)こういうことだったのかもしれないな、とか、
自分の中で読み方が変わって、より興味深いです。

(以下ネタバレ注意です!)





努力する勤勉な天才である千秋をのだめが追いかけていた日本編。
巴里編で、のだめ自身も眠っていた才能を開花させつつあるのに、
最終目標が「千秋との共演」と思い込んでいるから、
音楽に対する長期持続的なモチベーションがない。
本物の音楽家になるには、「千秋との共演=恋愛の成就=頂点で終了」ではなくて、
恋愛と音楽を分けて、それぞれ別物として向き合っていき、
特に音楽はいい出来だったからおしまいに出来る訳でなくて、
いつも最上のものを目指して研鑽していかなければならないのだけど。
その辺が割り切れないのだめは、千秋とRuiの素晴らしい共演に衝撃を受けるし、
シュトレーゼマンとの共演で自分は限界まで良い演奏をしてしまった、
千秋とそれ以上の共演ができるはずもない、と思い込む。
千秋は千秋で、のだめの才能を認めているはずなのに、
その怪物的な成長を見せつけられるたび驚き、
覚悟しているつもりでいて、彼女の迷いや不安を受け止めきれない。

初読時には最終回があっさりしていると思ったけれど、
これからもお互いに切磋琢磨して、寄り添ったり独自の世界にこもったりしながら、
新しい出会いや経験で変わっていく音楽を、その時その時で紡いでいくということなのだろうから、
きっと二人の旅に安直な終わりなんてないんだよね。
のだめと千秋は芸術家として、どちらかに道を譲ることなく同じ業界を生きていくから、
大変なことは沢山あるだろうけど(のだめの勉強に千秋が肩入れし過ぎた時のように)、
お互いにライバルで相棒でもある対等な恋人というのも素敵だなと思います。
(最終的に、のだめは千秋を上回る天才だったのだなあ…)

それにしても、芸術の世界って…。
スパルタでも放置でも伸びる奴は伸びるし、天分があって努力しても運が無ければ世に出ない。
千秋は初め、Ruiのように育てられたら、のだめも早くに才能を伸ばせただろうと考えていたけれど、
おそらくのだめのように、普通に育ってきたから生み出せる表現もあると思うんだよね…。
英才教育をする親は必死で子供の可能性を伸ばそうとするのだろうけど、
高名な音楽家の子供時代って、音楽に専念させすぎてちょっと歪んでいるところがあるしね…。
(だから後年、私生活の問題が出てきたりするんだろうな。
音楽さえ素晴らしければ何でも許される世界だから、それもありなんだろうけど)
野田家は裕福という訳でもないのに、娘を音大に行かせてあげて、
音楽が嫌いになるまで無理やり弾かせたりせず、のだめのあるがままを受け止めてきて、
その愛し方がすごくいいなあ、と思うのです。
Ruiはよく分かっていたけれど、RuiにはRuiなりの表現の仕方があるし、
のだめはのだめにしかできない表現というものがある。
それぞれ味わうことができなかった経験もあるけど、自分を築き上げてきた記憶は得難いもの。
千秋も作中言ってますが、無駄なことなんてないのですよね。

今17巻まで読み終えたところですが、少し前に映画「風立ちぬ」を観た後なので、
千秋の父の雅之が「風立ちぬ」の二郎さんのように思えます…。
ああいう風にしか生きられない人もいるんだろうなあ。

そして才能に魅了されて、それが男女の恋愛感情になってしまうというのも、
(音楽と恋愛の混同で)錯覚かもしれないけど、なんか理解できるような気がする…。
「神童」(さそうあきら)で和音と香音が、初レッスンで二人で音を紡ぎ、
そのままなだれ込むという展開があったと思うのですが。
極端な話、そんなこともあるだろう、と頷いてしまいます。
本当は分けないといけないことなのでしょうが。
千秋の母の征子さんも、雅之を支え続けて、夫婦としては裏切られたけれども、
離婚したあともそれなりに連絡し合っているということは、
愛情が冷めても雅之の音楽を認め続けているということなのかな、と。
音楽でしか思いを表現できない男だとよく理解してるんだろうな、と。
そんな風に想像したのでした。


エルっこ・さくらっこ 4

2015年02月09日 | うちの猫

自撮りカメラで今度はエル抱っこ写真。
エルくんは自分で膝に乗る時には降りないくせに、
わたしのほうから抱き上げると嫌がるので、滅多に撮れないのです。


次の写真は猫あくび好きのわたしが自信を持って公開いたします。
はい、ドーン!

「ねむいいいいいいいーーーー!!」

バンザイ寝。

ストーブの温風が届いて、心地よいらしい。いい場所、占領したね。

キッチンのドアが少し開いていたから、
「入っていい?入ってもいいの?」と聞いてみた。

だめー。

日向ぼっこしているうちに、このポーズ。

オッサンか!中の人はオッサンなのか!

撫でられて、目を細め、少し口を開くさくら。

これは嬉しい顔だけど、一瞬で触られるのが嫌になって
ダークサイドが現れる時もあるから気が抜けない。


夫が午前様だから、待っている間、眠気覚ましに写真を加工してみた…。
ついでにDVD観てる…。
もうね、夫はオタ嫁を持ったことに感謝すべきですよ。
公私ともにあちこち飛び回って、長いこと家を放っておいても、
奥さんは二次元の世界にひたりながら自由にさせてくれるんだから。

それはさておき、人形劇「シャーロックホームズ」の最終回が近付いているのが切なくて、
このところアニメ「名探偵ホームズ」を観直しているのだが、
「わしの殺人は一回も成功したことが無いんだ」というモリアーティ教授になごんでる。
教授は一獲千金の犯罪のロマンに酔いしれるよりも、
あの技術力で新式の玩具を売り出すなどしたほうが儲かるんじゃないか。
そして、犬のホームズ…。アニメでの初恋の人のようなものである。
久々に観るが、やはりわたしの目に狂いは無かった。
他の作品のホームズに比べると随分と健全で、正義の味方で子供たちのヒーロー。
しかし萌えポイント“着の身着のままソファー仮眠”は外さないのだった。


なついてください

2015年02月03日 | うちの猫

エル坊のウィンク(^_-)-☆
猫バカかあさん、めろめろよ~!


先週は弔事があり、急遽車で地元に帰った夫。
わたしが残って猫らの面倒を見ていたのですが、
大好きなおとうさんが数日間留守にしていたので、さくらは淋しそうにしていました。

トイレにおとうさんが隠れていると思うのか、一生懸命こじ開けようとしたり。
落ち着かないのか猫座りしたまま、しばらくくつろがなかったり。
帰ってくるまで寝ないで待ってる!とでも言いたげに、
夜中に駆けまわって手に負えなかったり。

淋しいならわたしに甘えればいいじゃないかと思うのですが、
ドライな一定距離を保つさくら。寒いのに布団にも潜ってこなかった…。
もう…お前はおとうさんに依存しすぎ!
日頃世話してるのはわたしなんだから、少しはなついてよ!

悔しいので抱き上げて、仲良さそうに偽装した。

iPhone6の幅で片手持ち自撮りはちょっと難しい。

スリングで抱っこも。

「えっ。な、なによ…?」「きょとん」「いやいや~!」となるので、
「きょとん」の時までに素早く撮影したほうがいい。

ちなみにエルくんは、毛布の中やストーブ前で寝てばかりいました。

二匹とも特別甘えてこないということは、そんなに不安がらずに済んだということかな。
それなら仕方ないけど…。

一途なさくら嬢、夫が帰ってきたらさぞや大騒ぎするだろうと思ったら、
その瞬間は存外あっさりしていたのです。
もしや忘れかけてたのかな、と思っていたら、朝方布団にもぐってきて、
おとうさんの手にはみはみして、おとうさん側にべったり寄り添って甘え倒していました。
一応隣に寝ていて、撫でても見向きもされなかったわたしの存在は一体…。
あんまり夫とさくらがベタベタしているので、やきもち焼いちゃったわよ。

留守中足りなかったおとうさんの抱擁を、一気に取り戻すつもり。

あのー。ほっぺに寝癖ついてますよ…。


ところで、今日は節分。豆まきしないで黒豆を食う。

もそもそと38個も食べるのは苦行でしかない。


さて本の方は、少しずつ薄田泣菫の「茶話」(キンドル版)を読んでいます。
古今東西の著名人を肴にした皮肉で小粋な噂話といった趣の随筆なのですが、
このコラム、当時の読者人気を察するとともに、
俎上に載せられた人々の怒りも買ったであろうことは想像に難くない。
まあ、ちょい辛口のユーモアなのです。
大正から昭和にかけてのことなので、女性蔑視や人種・職業等の差別もあるのですが、
実業家も政治家も芸術家も上流婦人も、実名で等しくおちょくっている点では公平かもしれない。

王義之やリンカーンやマーク・トウェインの逸話がまことしやかに語られていたり、
島村抱月と松井須磨子の話や、岩野抱鳴と清子の離婚がらみの話や、
上田敏が京都にいた頃の話、鳩山一郎のお母さんが息子の選挙のために動いたり、
広岡浅子が外国贔屓一辺倒だったり…。
近代史に詳しくなくても大正時代の人物伝を読んだことがあると、
うっすら覚えのある人が登場してきたりします。
(シリアスな偉人のはずが、小話にされてディスられてるのよw)
まるで見て来たかのような、豊かで鋭い文章表現も魅力。


紙の本ではこちらも持っていますが、抄本なので。

茶話 (岩波文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店

全体的に大人しめに編集されている気がする。


パペットホームズ「ダグラスさんのお屋敷の冒険」感想

2015年02月02日 | 映画・DVD・テレビ

最近、ジュンク堂の魔力に惑わされています…。
電車で行かなきゃいけない場所なのだけど、近くに大型書店が無いので。
足を踏み入れると脳内麻薬的なものが放出されるらしく、
憂鬱なことも体の痛みも他の買い物すらも忘れて、何時間でも本探しをしてしまいます。
ハイになっているもので、ついつい気前よく購入しちゃうんだな。

この間はついにコレ買っちゃいましたよ。

NHKシャーロックホームズ 推理クイズブック
クリエーター情報なし
主婦と生活社

店頭在庫一冊だけだったから焦ってしまった…。
学園ホームズの世界で起こる、20の事件の謎。
中級編・上級編は大人にも楽しいかもしれない。

さて、そこまで夢中になっている人形劇「シャーロックホームズ」ですが、
今日は録画で「ダグラスさんのお屋敷の冒険」を観ました。
その感想をざっとメモ書き。

注:以下、ネタバレ注意!



















・冒頭のホームズ、カエルに何あげてるの?微妙に動いてるんですけど…。
・モノホンの殺人事件にわくわく。平気で忍び込んでますが、現場荒らすなよ。
・温室のような学園と外の世界との対比。
 何もかもが大きく、厳めしく冷やかな外の世界。
 人形たちの動きの違いも、異質な雰囲気を醸し出している。
・ホープ君、再登場!堂々と明るく頼もしくなっている。
 あの子は学園で本当に理不尽な目に遭っていたから、外の世界の厳しさに落ち込むよりも、
 夢を持つ強さに支えられて成長してきたのかもしれない。
・初めての惨殺死体にたじろぐ、軍医属性のないワトソン。
 ためらいなく触るホームズ。無駄な感情移入の無さが探偵にぴったり。
・その後、夫が死んだのに悲しんでいないから、怪しいのは妻だと言うワトソン。
 現場を観察して推理を組み立てていたホームズ。
 ワトソンは人間を観て、ホームズは事実を観るのだな。
・ホームズが池から手がかりを引き上げるのを、手伝わされるモリアーティ教頭。
 滅多にペースを崩される人ではないと思うので、面食らうところが可笑しい。
・推理を述べようとするホームズに立ちはだかるマクドナルド警部。警察としては普通の反応である。
・ホームズを落としておいて上げてみせる、モリアーティ教頭の交渉テクニックを見よ。
・学園にいて、ルールを守らず、勉強もせず、自分のしたいようにして捜査するホームズは、
 学生の目線から見ればアウトロー的で格好良いのだが、その実、周りへの甘えもあるように思う。
 外の社会は格段に厳しく、たとえ稀な才能を持っていたとしても、
 立場も実績もない、手続きも踏まない若者の言葉は、やすやすとは通らない。
 そうした世間の荒波から子供たちを守り、いずれ社会に漕ぎだすための力を授けるのが学園だった。
 もっとも体制への反骨精神が大人への第一歩とも言えるが。
・ダグラスさん、体柔らかいなあー。
・ホームズの足、細いなあ。
・モリアーティ教頭の言うことが、もっともすぎる。
・そうかあ…最後の事件では学校を去るのか。
 外の事件を解決したホームズにはもう学園は狭すぎる、ということか。
 彼らは大人になって、いつか名探偵と医師として再会するのかしら。
・次回の原作は「マザリンの宝石」ということだけど、
 わたしは3人称のホームズ物はあまり好きではなかったので、ろくに記憶がないなあ。
 ワトソンに内緒で引き受けた事件だから、3人称のこの話が選ばれたということかな。
 しかし校長…生徒への恋を秘めて職を辞したロイロット先生とえらい違いだ。

続編あったらと思ったけど、あと2回でキレイに終幕を迎えそうな気がする。
ああ…!面白かった!もっといろいろ見たかった!


ちなみに前回の「青いシロクマの冒険」の感想のほうは、
素直になれなくて」の記事の下部分に書いています。