本棚7個じゃ足りません!

引っ越しのたびに蔵書の山に悩む主婦…
最近は二匹の猫の話題ばかりです

きっと大丈夫

2011年04月17日 | 日々のこと
詳細を差し控えた対人関係の愚痴を書いてしまったために、なんだか誤解を招いてしまったみたいですね。
ごめんなさい。


わたしも過ちの多い人間として、また一社会人として、普通の言葉のやりとりだけで、そう簡単に落ち込んだりはいたしません。
皆さまからの心からのお見舞いのお言葉には感謝しています。
へこんだりしたのは、本当に本当に特殊なケースだけですし、それだってひと月も距離を置いていれば、受け流せると思います。
だから、このところ愚痴愚痴書いてしまって、心配をしてくださる方には申し訳なかったけれども、あまり気になさらないでくださいね。


わたしだって…根は福島っ子ですから。頑固だけど、それなりにしんが強いつもりです。
状況はままならないものだけど、わたしの気持ちの問題だけはいつか消化できると思いますので。
きっと大丈夫。

桜咲いてた

2011年04月14日 | 日々のこと
先日顔を上げて歩いてみたら、いつのまにか、通り道に桜が咲いていました。

まだ色々と、わたしの実家のことで何やかにや言いたい人からかかってくる電話の応対などに耐えているので、疲れているけど…(そういう電話をかけてくる人たちに限って、支援とは真逆の行動を無意識にしているから、気持ちは複雑)。もう気にするな、わたし…。
心に桜を思い浮かべて、たけのこの煮物や小松菜のおひたしを食べましょう。
ノンアルコールビールでも飲んでさ!
(大きな精神的ストレスを抱えたまま飲む酒は不健全だとつくづく思い知り、平日でも飲みたい気分の時はノンアルコールにしようと、今日突然思った。怖いよ、暗い気持ちで飲む酒は。いくら飲んでも酔わない感じだし、醒めるのも実に早い)


ところで滋賀に来てからというものの、平和堂の魔力に捕らわれています…。なかなか出かけにくい状況であるとはいえ、行動範囲が広がらない…。平和堂でほとんど間に合ってしまうんだもの!

明日という日

2011年04月13日 | 日々のこと
福島で、連日の大きな余震。
ウェーザーニュースの地震お知らせメールが来るたび、ぞっとします。24時間、震度3から知らせが来るように設定し直したのですが、あまりに次々と発生するので、自然の理不尽さに怒りすら覚えます。
いわき市全体が屋内待避指示から外れても、こんなに余震が続いては心配せずにいられないです…。
(でも通話規制があるので、向こう側からの知らせを待ち続けるばかりです。地震で避難する時などの妨げになってしまってはいけないので、現在は実家の家族以外には連絡を控えています…)

福島第一原発事故は先頃レベル7に認定されました。今になって、震災直後の放射能の値の予測が…と言われても。ますます途方に暮れるばかりです。
依然予断は許さない状況だけれども、周辺地域の放射能の値はただちに人体に害を与えるものではないので心配はいらず、海洋への汚染水の放水も拡散するから大丈夫で、しかし事故の収束については具体的な目途がつかない…という、政府や東電やメディアに現れる専門家の説明もずっと聞いていると訳が分からなくなります。
(特に原子力問題は、利権や学閥など色んなものが絡んでいると話に聞くので、安全を訴える説明が真実だったとしても不信感が拭えず…。つい関係ない米仏露の専門家の意見を探してしまう)

大切なのは、今こそ、混乱せずに普通の暮らしを心がけること…。
だけど、普通の暮らしってどんなのだったっけ…と、緊張と疲労の中、考え込んでしまったりします。


どうか、余震が収まりますように。
被災地の方が安心して暮らせるように、一刻も早く生活環境が整いますように。みんなの明日が少しでも希望に満ちた良い日になりますように。
ただ、祈ります。

(それと、引っ越したばかりだから間に合わなかったのか、地方選の案内はがきが今回来なかったようだけど、早く一国民として投票できるようになりますように。一票に思いを託したいです)

苦痛

2011年04月11日 | 日々のこと
夫の知人が、夫に電話してきて、わたしの親のことを心配してなのだろうけど、わたしはすぐ里帰りしないのかとか、親をこちらに避難させないのかとか、色々と聞いてきている様子。
何にも事情を知らないであれこれ言ってくる人なんか、気にしなければいいと頭で分かっていても、泣かずにはいられない…。
なぜそこで普通に暮らしているのか、やるべきことをやっていないのではないかと責められているような気がしてつらい。
夫の知人であるが故に、わたしから事情を説明することも、腹が立ったときにピシャリと言い返すこともできないのが悔しい。
本当は無力感でいっぱいで自暴自棄になっているのだけど、愛する夫と自分の家庭を持っているから、なんとか前向きに生きようと、毎日苦しさから目をそらして頑張ってるのに…。
心の中をまた、かき回された。

わたしは…実家のことを心配してない訳じゃない。むしろ気が狂いそうなくらい、この事態に悩んでいる。
放射能の測定値はただちに健康に害を与えるほどではなくても、累積はどうなのかとか、また大きな余震で原発が大変なことになるかもしれないとか、また物流の流れがおかしくなったらどうしようとか、心配し始めたらきりがない。
でも、両親と兄は大人で、自分の考えと感情を持って物事を判断しているのだ。わたしが最終的には自身の考えと感情に従って行動したいように、今では実家の家族が下した判断も尊重すべきだと思っている。それは、賛成しないこともあるし、一方的すぎて身勝手だと怒ることもあるのだけど、無理矢理にこちらの言うことを聞かせることができるとは思わない。
だってわたしが代わりにその人生を引き受けることはできないのだし、誰もが自分の人生に責任を持つべきなのだから…。
大体無理にこちらの意見を通したところで、実家の家族がそれでストレスを感じて病気になってしまうようなら、意味はないのだ。
他人が言うように、両親をこちらに避難させるというのが、最も簡単で安全な方法なのだろうけど。
当の両親がそれを望んではいない。どんな状況であろうと(幸いにも今はライフラインも復旧し、物資も入ってきていて、放射能の測定値も低い)、自分たちの家で普通の生活をすることが彼らの決断なのである。
もしも実家が避難区域に入っていて、かつ一時的な危機なのだったら、向こうも譲歩していただろう。
しかし屋内待避地域でもなく、またこの原発事故の収拾は長期にわたるという状況で、自分の家を離れて馴染みのない環境で暮らすのは、融通が利かない老齢の親にとって放射能以上に健康に害を与える行為と言えるのかもしれないのだ。

一方で、わたし自身はわたしの理性で、しばらくいわきに帰省しないと心に決めたことに、良心の呵責を感じている。
ただ闇雲に帰ったところで、何かの役に立つどころか周りの負担になるだけだということ、自分の家庭がある以上里帰りしたまま足止めされてしまうような事態は避けなければならないので、原発事故が本当に落ち着くまでは自制しなければいけないということ、やっぱり親が、わたしが離れた場所にいることに安心感を持っているのだろうから、自分たちの身を守ること以外で余計に心配をさせてしまってはいけないということ、帰省代にお金を費やすなら、義援金に寄付したり実家が求めてきた時に援助したりするほうが、よほど向こうの役に立つだろうと考えたことなど、自分の中で理由はたくさんあるのだけど。
子供なら、そんな理性で考えずに、何もかも投げ出して親の元に駆けつけるべきなのではないか…と思えて、自分が冷たいようにも感じる。
わたしには何も事態を変えることができないという無力感と共に、まだ為すべきことを全てしていないような気が漠然として、こんな風に生きていていいのかなって、日常生活の中に闇を抱えているみたいに、時々無表情で虚空を見つめてしまう。

そんな時にあれこれ言われると、もう何もかも自分が馬鹿で何もできなかったから、結局東電が収拾をつけるのを祈っているしかないのだ…と落ち込むし。
あれ以外にどうすればよかったの、と途方に暮れてしまう。

当事者でも家族でもない、前後の事情も知らないお節介なひとの言葉なんて、聞き流せばいいって、わたしも勇気を出して普通に生活をしていくべきだって、分かっているのだけど。
…胸がえぐられた。
同様のことを延々と言われそうな予感がして、そうしたら冷静にあしらえないような気がして、ある種の親切な知人たちには当分会いたくない気分。
母には、人の善意に対してもっと感謝すべきだって怒っていたのに、わたしも勝手な人間です…。
でも想像力のない善意って、残酷な時があるよね…。自分だって人のことは言えないけどさ…。

エビス本

2011年04月02日 | 

毎日なにやかにやと交渉だの手続きだの片づけだのといった、雑事に追われる引っ越し後。
たらい回しにされたあげく、各々に違うやり方を指示され頭に来ることもあるし
(引っ越しを繰り返していくと、ちょっと不動産屋不信になりますの)、
時にはばったり出会った赤の他人に助けられたりもする。
そんな日々です。

近頃のわたしは、微熱と、背中や腰の表現しにくい痛みのために
(体がしんどいし、だるいなーとはなんとなく気づいていたものの、
よく考えると左側に偏った症状なので、滋賀の思いがけない寒さのせいか、
はたまた精神的・肉体的疲労のせいか、去年の事故の後遺症がひょっこり蘇ったものと今頃自覚…)、
随分と横になる時間が増えたものの、午後からは一生懸命働いているなあ、と自分を褒めてみる。

頑張った後、本当に飲みたいのはエビス。
それぞれ好みはあるだろうけど、わたしは断然エビス。
エビスなら初めからシメまでずーっと飲み続けられる。
飽きない。心にしみわたる味のビール。

エビス本 (エイムック 1715)
クリエーター情報なし
エイ出版社

「エビス本」を読むと、ますます愛が深まります。
いろんな飲み方やつまみが載ってたりするので、
次はこうして飲んでみよう~とか、気分が盛り上がるのだった。

特に好きなのは金缶とブラックとホップですかね。
食事時にブラックは重たすぎるなあと感じていたこともあったけど、
飲み方の問題だったのかもしれないです。
元々うちのおつまみはガッツリ系ではなくあっさり系なので、
ブラックに合わせて肉を食べると、どうしても胃にくるのですな。
ホップや金缶などで食事を楽しんだ後、
余韻をブラックで(肉系つまみはカット)というのが良いのかもしれない。
とりあえず「エビス本」は“酒飲み”の夢が広がります。
(エビスにちなんだ小説本で『麦酒の家』も紹介してほしかったなあ)

酒量が増えるということはあまり良くない。嗜む程度にしたい。
(お酒の飲み方を知らない人が周りに迷惑をかけると、
“酒飲み”自体が世間から嫌われますので。マナーは大事)
しかし…少し前から、夫婦で楽しく飲んでいて、
最後には酔いつぶれた夫を揺り起こして布団に寝かせるパターンが、
非常に多くなってきているような…。
いやいや、決して飲みすぎるようになった訳ではなくて。
ペース配分が違うんですよ、きっと。…おそらく。