本棚7個じゃ足りません!

引っ越しのたびに蔵書の山に悩む主婦…
最近は二匹の猫の話題ばかりです

今、この場所から始める。

2011年03月30日 | 日々のこと

被災した友達のブログを読み…hamoさんからいただいたお言葉で改めて己のことを見つめ直して…
朝、ふと鏡を見たら、少し頬がこけた不健康な顔の自分がいました。
このままじゃいけない。


震災後からしばらくは、朝から晩まで、トイレやお風呂や食事の時間も惜しんで、
引っ越し前の段ボールが積まれたリビングのTVの前に布団を敷き、
ずっとNHKの報道を見続けていました。
寝ている時も地震速報や原発の記者会見を聞き逃すのが怖くて、音だけ聞いていました。
(電気を消した暗い部屋で荷づくりをしながら…。
夫が帰ってきてくれなかったら、普通の生活に戻れなかったと思う)

第1原発の危険性が報道され、次々と建屋が爆発した頃は、
情報も錯綜していたから、半径30キロ範囲外は通常の生活をしていて問題がないと言われても、
今度はもっとひどい事故が起こるかもしれないという不安を覚えました。
第2原発のほうも、実家と距離が近くて目が離せませんでした。

あの時には地元もみんな、それなりに用心して身を守りながら行動していたのだと思うけれど、
実家の状況が「父が長年封鎖していた井戸水で風呂に入り、他人にも入っていくよう勧める」
「街の人は皆、外出時のたびに被ばく対策をしているのに、父は何もしない」
「給水所に行くのも、買い物に行くのも、同居家族に任せているので父には非常時の自覚がないらしい」
「誰も依頼に来れない状態なのは、父も報道を見て知っているはずなのに、頑固に工場(自営業)で仕事をしている」
「家が老朽化していて、しかも震災でも被害を受けたものだから、雨漏りや隙間風がある」
というもので、そのうえ母が「みんなで避難したいけど父が同意しない」と言うものだから、
これ以上の非常時になった時に、せめて他の家族が巻き込まれないようにできないか、と悩みました。
当時は物資も本当に動かなくて、医薬品の入荷も当てにできず、
母と長兄の持病の悪化も心配だったのです。

そして、友人や親戚たちが次々自主避難をしていきました。
地元に残る人たちも、屋内退避をしていました。
わたしも実家に自主避難を促したのですが、
「避難するなら茨城の親戚のところに行く」、
「父の気持ちが変わってきたが、ガソリンがないから行けない」と言われ、
それではと別の避難経路を調べたところ、
「自家用車でないと嫌だと父(唯一の運転者)が言っている」と言われ…。
実際に現地はガソリン不足で、要介護のご家族のために自家用車でしか動けない、
というケースもあったのですが、実家はそういう事情でもなく…。

それは結局動きたくないってことだよ、と夫に諭され、
では好きにしなさいとこちらが言い渡した頃に、
母と長兄だけ先に高速バスで避難するという話を聞いたんですけどね。
次兄が近隣に住んでいて避難所のボランティアをしているから、
父の身の回りのことはしばらく大丈夫かなあ、と安心していたら。

やがて「父はガソリンが給油できたら、自家用車で行く」から、
「給油できても、動くつもりがないらしい」になってきて。
いわきからの自主避難を望みながら動けない方の多くは、
「ガソリン不足」「避難先の確保ができない」という理由だったのですが、
実家の場合は突き詰めれば「父は家から動きたくない」だったのでした。
ああいった状況だったので、家族全員迷いがあったろうし、
気持ちも刻々と変わっていったのだろうということは想像できます。
だから、「避難できたら、する」という向こうの言葉を信じて無我夢中で奔走したことも、
それが結局どうにもならなかったことも、仕方なかったかなあ、と思う。


それから、いわき市では放射能については心配するほどのことでもない、という空気になってきて、
避難した友達がいろんな理由で地元に戻ってきました。
皆、ライフラインが整わないなか、当てにならないものへの期待はやめて、
自分たちの力で地元を支えるために、頑張っていました。

だから、母が家に戻ったことについても本来なら構わないことでした。
それが、サポートする子供たちへ影響を与えることでもあるのに事後報告で通したことと、
今後必要になる物資の手配をしてから帰ればいいものを、
「戻ってくるか?」と父に言われて、ただ急いで帰宅したというところが、
これから復興しようといういわきで暮らすにしては、なんだか頼りないと思ったけれど。

現地の状況が状況だし、母は永遠の思春期みたいな人だから、
もう好きなようにさせて、冷静に受け止めるしかない…と何度も自分に言い聞かせていました。
でも、こちらも連日の不眠で通常の精神状態ではなく、母の言動には相当振り回されて限界が来ていたようで、
のほほんとした声で電話をかけてこられた時に、ぷっちんと切れてしまったのでした。
被災者相手なのに、ひどい娘…と自分でも思ったけど。
お互いに、自分の気持ちを分かってと言い合うのは不毛だと分かっていたけれど。
わたしがいわきに入るのを止めながら、一方で自分が帰ってしまうのは矛盾だと思ったし、
誰の力も借りないで生きているつもりにならないでほしい、という感情をおさえきれなかったのでした。


今もまだ、あまり眠れていないし、震災と原発に関する悪夢も時々見てしまいますが。
つきつめればわたしは当事者ではないし、その気持ちを想像することはできても、共有することはできません。
どんなに悩んでも、苦しんでも、やっぱり傍観者なのです。
被災者の方と共に生きて支えたいけれど、かといって本人になることはできません。

だからもう、支援する時は自分の限度内で…。
ささやかでも、長期的に…。
なるべく実家に振り回されないように、まず自分の足場を固めてから、ということにしようと思います。
とりあえずは、きちんとご飯を食べて、家の用事を片づけて、夫のことを大切にして、
ちゃんと毎晩眠れるようになりましょう。


家族の側の精神的疲労

2011年03月29日 | 日々のこと
母が避難先を出て、いわきの家に戻ったのは、兄弟たちにも事後報告でしてね。
はなから認めるも認めないも無い話だし、わたしも冷静になろうと心がけていたのですが。
先日母から自己弁護ばかりの電話があって、その態度と言い分があまりにも…思春期の子供のようだったので、心底怒ってしまいました。

母の中に、いわきに帰って働く他の人たちのような、自分の行動の責任をとれる潔さと、誰の迷惑にもならない自立性と、先々まで考えてから行動に移す計画性と、周囲の尽力に対する感謝の念があるのなら、わたしは落ち着いて事態を静観できるのですが。
事前に何の準備もせず、衝動のまま家に帰って、周囲の人たちにかける迷惑もろくに考えず、ただ自分の感情だけ押し通す…という姿勢では、こちらも納得しがたかったです。
わたしはただ帰宅に反対したいのではない、父の側にいたい母の気持ちは理解できるし、話し合いを求めてくるなら、きちんとした大人の言葉で語りかけるなどして、安心材料を与えてほしかったのに。
母にとっては、心情を話して自分の気持ちが収まれば、それで良いことなのでした。

わたしの周りの人たちにも、これからずっと心配をかけることになる、分かってるの?という言葉には、「避難したままだって言えばいい」と返され…。
その場の気分だけで行動するところを責めたところ、「だってわたしはそういう人間なんだからしょうがないじゃない」と開き直られ…。
他にも沢山…逆鱗ポイントがありましたね。
こんな状況なのにブチ切れてしまいました。

まあね、こんな状況だから、本当はどんな態度をとられても受け入れるべきだとは思いますよ。わたしは当事者ではなく、単なる家族なのだから。
母たちだって、通常であれば子供たちの意見や周囲の配慮を無視するような行動をとらずに済んでいたのだし…(いや、そうでもないか。いつもと同じだったな)。
何より自分の気持ち優先なのは、年も年だから、もう仕方ないんだろうけど…(アレ、元々の性格もそうか…)。
しかし、一度「自分の意志なら好きにしなさい」という返事を得ておいて、なおわざわざ電話をかけてきて余計なことを話し、わたしの心を逆なでする必要などあったのかしら…。
もう緊張が続きすぎて倒れそう…というより、もう半分、倒れてしまった感じです。

ああ、原発問題さえ収束してくれたら、誰の心配もせず、安らかに日々が送れるのに…。
(しかし、これでもし、いわきまで避難範囲が広がってしまったとしたら、両親は言葉通り素直に避難するのでしょうか…。最終的に自衛隊のお世話になってしまうかもしれない、という危惧があります…)

無力感

2011年03月28日 | 日々のこと
母が避難先からいわきに戻ってしまいました。
父が頑固にひとりだけ避難を拒否して家に残っていたのが心配というのと、若い人たちが地元で頑張っているのに、自分だけ逃げてしまうのはせつないというのが理由。
気持ちはよく分かるけど、どうしようもなく腹が立ち、どうしようもなく打ちのめされます。
高齢者が今の段階で家に戻ったら、その分面倒を見る若い人たちが大変になるのだと思うのだけど、理屈よりも気持ちで生きている人なので…。
まあ、今度ばかりは父に隷従しているばかりではなく、自分自身で決めたことなので、こちらで止めるつもりはありません。
働き手でもなく、避難先も避難経路もある中、自分の意志で戻ってきたのですから、せめて周りにだけは迷惑をかけないように、と思います。
高齢者にはやはり自分の家を離れること自体がストレスですし、自治体ぐるみの移動でなければ残された周囲の人々に罪悪感を感じてしまうという心情があります。
自主避難ではなくて、いっそ、念のため自治体ごと避難してくれる形なら、もれなく移動できたのですけど。
いわきは…全体が待避範囲ではないし、自主避難も勧められている訳ではないので微妙です。
地元の人はみんな、今は大丈夫、放射能の値はただちに健康に害を与えるほど高くないから、と言いますし、その点、西日本との温度差はかなりあります。(西日本では…ぐらぐらしている政府や東電の発表がそのまま信用できるの?ただちに健康に害はないってことは将来はどうなるか保障はできないってことじゃないの?今後何十年と検診を受けてから結果が分かるものだよ?それに、今の段階では原子炉が収まるとか、物流がこれ以上乱れないとか、確信は持てないんだよ?等と考えてしまいますし、わたしの周辺もそのように心配してくれていますから)

とはいえ、母はわたしがいわきに戻ることについては反対していたのですがね。今後の危険性を頭のどこかで理解しつつ、国や自治体の援助が足りないので、市民が中心となって現在の暮らしを立てなければならないというのが現状なのかもしれないです。
もう、わたしにできることはありません…。
安全を信じて、輸送が滞らないことを信じて、見守ることしかできません。

大体、政府のゆるい発表からいわきが風評被害にあったり(あのひろーいいわきの一部が、屋内待避範囲だと言って、どの町とはすぐに発表しなかったり)、かといって集団避難もできなかったりするんだから、頭に来ますよね。
(屋内待避範囲の自主避難って…。今更、無責任きわまりない)
もうわたし、首相や官房長官呼び捨てにしてますよ。なんなの、首相の地元だけ計画停電の範囲外って。日ごとの水道水摂取制限の指示と解除って。今頃避難者の宿泊施設の交通費と宿泊費を国が負担って(もっと前から提案されてたし、できたはずでしょ!)。
毎日、政府と東電上層部(自衛隊、消防隊、東電の現場職員は除く)に対する罵り文句だけが発展していきます。
彼らのその場しのぎの言動に振り回されることに疲れてしまったのは、わたしだけではないよね…。もっとちゃんとしてくれたら、みんな頑張れるのにね。

未だ混乱収まらず…

2011年03月26日 | 日々のこと
放射性物質騒動で水が店頭から消え入手困難だというので、母に頼まれて茨城の親戚の元へ飲料水を送りました。
とはいえ、今では関西のスーパーでも水は入荷数が少なくなっているのです。案の定、販売個数制限があり、箱入りは置いてありませんでした。向こうに届くのにも三、四日かかります。
まあ、着いた頃には供給体制も落ち着いているというのなら良いのですが。

国は何を考えているのかなあと、たびたび不思議に思います。
地域限定で水道水を乳児に飲ませないよう指導するったって、その近辺に住んでいる親御さんや、また乳児ではなくなったけれど小さい子を持つ親御さんなどは不安になって、なるべく飲料水を買い置きするに決まっているし。その地域の大人だって、万が一にでも健康被害があったら怖いから、やはり水を買ってしまう…という人も少なからずいると思う。
一方で被災地への輸送は最優先の課題なのだから、各地で飲料水が足りなくなるのは目に見えた事態で、そういう消費者の心理を政府はなぜ読めなかったのかなあ、と首を傾げてしまいます。
一応指定された地域のスーパーでは、乳児のいる家庭限定で水を売っていたらしいけど、政府の発表次第で業界側が自主的に対応を考えなくちゃいけないんだから、大変ですよね。
(政府は言いっぱなしでフォローがない感じ)

そういえば計画停電は夏まで続くという噂ですね。今後、東京で招待される予定の結婚式があるのですが、結婚式場に急な停電があった場合にどう対応するのか、非常に心配です。また、列車のダイヤの乱れもあるから、招待客の交通手段のほうもどうなるのか定かではないですよね。ま、一生に一度の結婚式だから、式場側も停電時のプランを当然考えてくれているのだろうけど…。停電が決まるのは突然のことだから、あたふたしてしまいますよね。

様々なことがつながって、まるで一つ倒れたら次も倒れていくドミノのように、日本全体に原発問題が影響を及ぼしていくことは覚悟していたけれど…
いつになったら混乱が収まって、みんな安心して帰るべき場所に帰れるようになるのか、目途がつかないのが困ります。
神様が、政府と行政のリーダーたちと、東電本社の人たちに(現場の人たちは必死で頑張ってくださっている)、的確な状況判断力と時期を逃さない賢さ、国民感情を鋭く読み取る共感力を与えてくださいますように…。

深夜のためいき

2011年03月26日 | 日々のこと
夫の晩酌に律儀に付き合っていたら、午前二時になってしまいました…。
このところ、実家のことばかり心配して、夫のことをないがしろにしていたような気がするし、多忙を極めて夫の体調も何か思わしくないし、台所の荷物がなかなか片づかないので出来合いのお弁当ばっかりだったし…。
で、お酒が飲みたいという夫のために、今できる限りの範囲で、おつまみを用意したのですがね。
延々飲み続けて、ついには床に寝てしまう有り様なので、優しく聞き役に徹するはずだったわたしも、きつい口調で布団に連れて行くしかありませんでした。
うー。夫、調子に乗りすぎだぞう。

そういえば、「原発半径20キロから30キロ範囲の自主避難」勧告が出ましたね。
いわきのことだけを考えると、なんというタイミングで勧告を出してくれたんだ…という気分です。
なんでもっと、市内に物が入ってこないときに、即座に行政の力で移動させてくれなかったんだろう。
今のいわき市は、職場も学校も少しずつ再開し、全国からの支援物資も届くようになって、行政が混乱している代わりに市民が頑張ってお互いを支え合っている状態なのです…。
この勧告でまた周辺の物流が乱れたとしたら…いわき、どうなっちゃうんだろう。物不足はやっと落ち着き始めたところだったのになあ。

想定外の地震と津波、原発事故と立て続けに起こったために、政府にはあまり文句を言うまい…と、これでも我慢をしてきたつもりでしたが、なんて言うかもう、今の政治家は与党も野党も政治力が無さ過ぎます。政府は事実の公表、それに意志決定と発表のタイミングが、めちゃくちゃ悪いです。一生懸命やっているんだから理解を示そうと努力しているのですが、根本的に政治センスが欠如している。野党もせこいことばっかり言っていて、小粒です。
被災地の方は、いざと言うとき誰が頼れて、誰が当てにならないか、ちゃんと見ていますよ。

へなへな

2011年03月24日 | 日々のこと
無理がたたって、軽い筋肉痛と頭痛が…。
毎日予定がハードだったから…。
少し休もう。焦らずゆっくりやっていかなくちゃなあ。

そういえば電車を乗り継いで行き、遠い遠いと嘆いていた市役所、バスの方が便利だったみたいです。
次はバスにしようかな…。でも慣れない土地でバスに乗るのは、システムが分からないからちょっと怖いよね。

それから、引っ越した早々、この市が財政難だという話を聞きました。若い家族を見かけることが多いのに、もう出来上がってしまった町(これ以上発展しないということらしい)だと教えられる。
あれまー。行政サービスにはあまり期待しない方がいいようです。

ああ、なんか文字を打つのも、うまくできないので、夫が帰ってくるまで目をつぶって横になることにします。
やれやれ…。

毎日バタバタしてますが

2011年03月24日 | 日々のこと
そういえば引っ越しの時の亀たちのことを書いていませんでしたね。
二匹は、ペット輸送会社の小さな専用コンテナに入って、飛行機も使って運ばれてきました。
しばらくは水温も低い状態だったのでじっとしていましたが、人間の生活環境を整えるよりも先に水槽を準備したので、みどりもかめも元気を取り戻し、今は誰よりも楽しそうに暮らしています。
様々な現実に疲れきった我々は、それを見て英気を養っている訳です。
亀って羨ましいくらい悠々としてるよね…。


さて。あれから、少し時間が経ちました。
避難していた友達が、いわきで仕事に戻るそうです。
大きな余震も未だに収まらない中、いとこや知人たちもそれぞれ必要とされる場所で働いています。
今、究極に人と物が足りないいわきで、若い人たちがそこにとどまり、地域を支えているようです。
また、避難先で気詰まりな思いをして戻ってくる年輩の方も…。

父は、結局一時的でもいわきを離れるつもりはないらしく。まあ頑固だし、自分の城を離れたら余計に調子が悪くなるタイプなので、したいようにさせてあげるしかないです。
いわきでは、皆、放射性物質の数値を見てその日の行動をしているみたいですし。被ばく対策もいちいち細かく守っていたら、暮らしていけないと言います(断水してるのに外出から帰るたび着替えをしろとか、シャワーしろとか、専門家も無茶言いますよね)。大体屋内待避地域でもない福島市のほうが数値が高いじゃないか、というのがいわき人の言い分です。それは一理ある。

母に避難を勧めたことが、果たして適切だったのかと何度も自分に問いかけているけれど…。
誰の場合であれ、避難したほうが良かったのか、とどまったほうが良かったのかなんて二択には、正解なんてないのでしょう。
そういうものですよね…。
ちなみに、母たちは避難先の伯母宅で大事にされているようです。人間的にも尊敬すべき伯母ですが、加えて理系で医療知識があって良かったです…。放射能に対する誤解や過剰な恐れがないでしょうし。
世の中、分からないことへの不安が一番危険なのでしょうね。無知ゆえに、あるいは生半可な知識を持っているが故に目が曇り、差別をするようになる…。
政府や専門家の方には、もっともっと、誰にでも分かり易く説明をしていってほしいです。特に保安院。自分たちの頭の中だけで完結しているような説明の仕方では、世間の混乱は収まりませんよ。
(東電の対外部門にはちっとも期待ができません。現場の作業員が命懸けで頑張っているのに、原発現状報告にしろ、計画停電にしろ、外に向けての対応の仕方が駄目すぎる。そのうえ、このタイミングで福島に謝罪を申し込むって…理解に苦しむよ。上の人間にはもっと現場を支えるために尽力してほしいものだ。先々発生するだろう補償問題にも、政府頼みでなくて誠実に対応してほしい…)

今現在のいわきの物資の問題は、情報源により様々ですが…。(平のイトーヨーカ堂は時間帯によって食品がうまく買えるとか。支援物資のパンの賞味期限が配られた当日だったとか。ガソリン不足は相変わらずです)
個人から個人に何か送れるか調べたら、クロネコヤマトの場合、営業所止めで受け取り人が出向かなくちゃならないけど、いわきの平とか小名浜などにも宅配便が送れるそうです。配送は2日から10日程度かかり、クール便は不可。
その他いくつか条件がありましたが、いわきにも送れるようになったのは喜ばしきことです。
いわきのお友達のみなさん、時間はかかっても構わない必要物資があったら、出来る限り送りますので、知らせてくださいね。

実は、西日本のお店からも懐中電灯や電池などが消えています。水も箱買い個数制限があり完売しているものもありました。入荷量が減っているからでしょうけど、ちゃんと被災地優先で回っているのかなあ…。
買いだめせず、冷静に暮らそうとしてるんだから、もし物資が首都圏ばかりで消費されていたとしたら、なんか悲しいなあ。

滋賀のびっくり

2011年03月22日 | 日々のこと
滋賀でゴミの分別が超細かいことにびっくり(しかし役場の人にもっと細かい質問をしてみたら答えられなかった。どこまで守りゃいいの?分別少しでも間違ってたら持ってってくれないって話じゃないの?)。
そして転入する市の市役所が支所のないことにびっくり。駅前からバス30分というので、電車で行ってみたら、一本じゃ行けなくて乗り換えあって、更にそこから歩き続けなくてはいけないくらい遠方でした。しかも諸手続のために最低あと二回は足を運ばなくてはいけないのでした。えーっ。住基カード即日発行不可って…前の市はその場ですぐ作ってくれたのになあ。
そして途中の公園にはSLが…。すごい…と見とれたところで、わたしは果たして家に帰れるのでしょうか。方向音痴だから歩かないと道を覚えないタイプなのだが、さすがにひとりで初めての場所をさまよっていると不安になります。かろうじて迷子じゃないと思うんだが。

そんなこんなで、まだまだてんてこまいが続くらしい。転居案内ハガキもしばらく出せません…。すみません。

洗濯中

2011年03月22日 | 日々のこと
引っ越し後の平日の始まり。夫は出社。しかし…当分台所は使えず、インスタント焼きそばの朝食となりました。オーブンレンジを早く使えたらいいのに(アース取り付けが引っ越し会社のプランに入っていなかったらしく…その他トラブル続出です。引っ越しって、まあ、不測の事態ばかりなものだけど)。
洗濯物も溜まりました。予報はにわか雨だけど、部屋がダンボールで埋まっていて室内干しできる環境じゃないので、無理やり外に干しています。
遠方からの異動だったので、夫婦二人とも疲労の極致ですが(なにせ荷受けに六時間もかかったくらい)、もうどこに何があるかわからないし、やることはいっぱいあるしで、休まずに頑張るしかないのでした。
夫は今日から仕事だし、わたしも、場所が分からないけど、早く市役所に行って届けを出さなくちゃ…。


そういえば「スーパーモーニング」でまた、福島県いわき市の現状を放送してくれていましたね。
そこで、いわきに残って復興に尽力している人がいるし、もしも今出て行ったら帰ってきた時に周囲との間に軋轢を生むかもしれないから、避難をためらう…という話を耳にしました。
そういう懸念もあるのですね。他県他市にいる家族にしてみれば、もしも自主避難できる状況であれば、近所との関係なんか気にしないで、念のため離れてくれたらいいのに、一時的なものなんだから、という気持ちもあるけれど。
いわきの人には、それぞれの思いがあるわけで…。

いわきって、土地への帰属意識の強い人が多いように感じます。
(わたしはこの数年で、すっかりどこにも属せない彷徨う転勤族の意識になっちゃったけど)
避難した人も、家族で散々葛藤した上で避難という選択を取ったのだから、できることならいわきにずっといられたらよかったのに、と思っているはず。
そのことは、いわきに残って頑張っている人たちも、よく理解していると思う。ことが収まってからは、みんなで協力して復興できると信じたいです。

それにしても、被災地には情報が足りないことを実感しています。ところによって新聞が入らなかったり、テレビが見られなかったり、固定電話や携帯電話が使えなかったり、ネットが見られなかったりして、原発の最新情報も、全国各地の支援のことも、行政の孤軍奮闘ぶりも、うまく伝わらなかったりするのだもの。それは不安も広がりますよね…。
また、こちらも向こうの実態をあまりに知らないことにため息をついてしまいます。メディアで流す情報は何となく入ってくるけど、現場にいる人たちの認識はあまり理解できていないような気がします。

知ってほしい

2011年03月21日 | 日々のこと
引っ越しの荷物が新居に届き、まだまだ暮らせる状態ではありませんが、テレビが映るようになりました。
そこで今朝「スーパーモーニング」を見たところ、福島県いわき市のことが取り上げられていました。
福島市より放射能の数値が低いにも関わらず、市のごく一部が屋内待避範囲に入ったものだから、業者が放射能汚染を恐れて配送をせず、物資が届かない、ということ。生活物資のある他県に避難しようとしても、ガソリンがないから出られない、ということ。
全国放送の番組がいわき市民の訴えを取り上げてくれたことで、少しでも多くの人たちが現状を理解してくれる…。
これからでも事態を打開することができると信じたいです。
取材を受けるのはやはり効果的だと思うので、各ニュース番組にいわき市民の訴えが届いて、放送されればいいと思います。


昨日友達から、避難しても親戚の家に入るのを拒否された人がいるという話を聞きました。
わたしも周りの放射能に対する過剰反応を見て、一生懸命正確な知識を話したのだけど、聞いてもらえませんでした。一度根付いた恐怖はなかなか消えるものではなくて…。
そもそも放射能と被ばく者に対する誤解があるのです。何もかもがごっちゃになってしまって、数値も時間も関係なく放射能を怖がり、常に放射性物質を発しているんじゃないかと勘違いして被ばく者を怖がり、しまいには被ばくする可能性があったというだけで一部の地域に住んでいるものを怖がり…差別をする。
やはり専門家の方がもっと噛み砕いた言葉で、幼児にも分かるぐらい易しく解説を続けてくれる必要があると思います。

そういえば…せっかくガソリンが入荷されてもガソリンスタンドで待っている間に燃料切れになってしまうから、行列に並べなくていつまでも給油できないという話を、わたしの父以外でも聞きました。
ガソリンスタンド側の手も足りないのだろうけど、何か効率的な方法を考えられないかしら…?
例えば、どうせ先着分なのだから、行列は人が並ぶ形にしてもらって車は付近に止めておいてもらい、順番が来たら動かしてもらうとか。名簿に名前を書いてもらって、呼び出す形にするとか。
みなさん、スタンドの人も少ない極限状態で、より効率的に公平に給油できる、良いアイディアがないですか?
現地も精一杯なのだろうけど、ガソリンが大量輸送されても多くの人に行き渡らないのであれば意味がない。どうしても、どうにかできたらと思ってしまいます…。