先手番大内先生の手を考えます。
第1問
大野流向い飛車では常用の手です。
A 55角 B 66角 C 46角
第2問
玉を囲わないで攻めます。
A 45歩 B 55歩 C 84歩
第3問
45桂を取られないうちに攻め切ります。
A 64桂 B 73桂 C 54桂
第4問
後手の持ち駒が角桂だけなので厳しい手になりました。
A 72と B 41角 C 61角
先手番大内先生の手を考えます。
第1問
大野流向い飛車では常用の手です。
A 55角 B 66角 C 46角
第2問
玉を囲わないで攻めます。
A 45歩 B 55歩 C 84歩
第3問
45桂を取られないうちに攻め切ります。
A 64桂 B 73桂 C 54桂
第4問
後手の持ち駒が角桂だけなので厳しい手になりました。
A 72と B 41角 C 61角
今日の棋譜20190613
昭和42年7月、大内延介先生と第8期王位戦第1局です。大内先生は6段で初のタイトル挑戦、当時の記録です。大山先生とは初対局がタイトル戦になりました。
大内先生の大野流向い飛車です。馬を作らせて
手得するのです。玉を移動する前に美濃囲いを作るというのは珍しいですね。
大山先生は普通に駒組みせずに、桂頭をねらいました。
この戦型では振り飛車が66角を打つパターンが多いです。角交換になれば手得だけ残ります。(28角を避けて36歩が必要な手でした。)
これで少し落ち着いたのですが
大内先生は玉を移動せずに角馬交換をねらって動きます。
大山先生は7筋を突き捨ててから交換に応じます。
互いに桂頭を攻めて
大内先生のほうが先に王手になる分だけ厳しいです。
飛車も使えば十分な攻めになりますから、大山先生は84歩を取れず
桂を取り銀を攻めました。
大内先生は右桂を使えるので攻撃力は十分です。先手玉は銀を取られてもまだ余裕があるのではっきり有利。
ここからは大内先生の寄せです。後に怒濤流と呼ばれました。54桂に同歩は64角が厳しく
逃げても33歩がぴったり。
桂を成り捨てて
53桂成とできれば難しくなさそうです。大山先生は飛を取らせて粘ろうとしますが
大内先生は金のほうを取って61角。
33玉に35歩で筋に入りました。
金を打ち込めば
簡単です。
攻め駒不足でしたが45金を取れば終わりなのでここまで。
大山先生は初めて対局する若手には、その力を試すようなところがあります。本局で攻撃力の高さを確認したのでしょう。
大野流向い飛車にしては変わった展開で、藤井システムみたいな居玉の攻めが見られました。
#KIF version=2.0 encoding=Shift_JIS
# ---- Kifu for Windows V7 V7.41 棋譜ファイル ----
開始日時:1967/07/27
手合割:平手
先手:大内延介6段
後手:大山王位
手数----指手--
1 7六歩(77)
2 3四歩(33)
3 5六歩(57)
4 8八角成(22)
5 同 飛(28)
6 5七角打
7 6八銀(79)
8 2四角成(57)
9 3八銀(39)
10 4二玉(51)
11 5八金(69)
12 3三馬(24)
13 7七桂(89)
14 7四歩(73)
15 3六歩(37)
16 7二飛(82)
17 6六角打
18 4四歩(43)
19 4六歩(47)
20 3二銀(31)
21 3七桂(29)
22 6四歩(63)
23 8六歩(87)
24 4三銀(32)
25 8五歩(86)
26 5四銀(43)
27 4五歩(46)
28 7五歩(74)
29 同 歩(76)
30 4五歩(44)
31 3三角成(66)
32 同 桂(21)
33 3五歩(36)
34 7六歩打
35 3四歩(35)
36 3二金(41)
37 3三歩成(34)
38 同 金(32)
39 5五歩(56)
40 4三銀(54)
41 8四歩(85)
42 7七歩成(76)
43 同 銀(68)
44 7六歩打
45 6六銀(77)
46 6五歩(64)
47 8三歩成(84)
48 5二飛(72)
49 4五桂(37)
50 3四金(33)
51 5四桂打
52 3二玉(42)
53 3三歩打
54 2二玉(32)
55 4二桂成(54)
56 同 飛(52)
57 5三桂成(45)
58 5二金(61)
59 同 成桂(53)
60 同 飛(42)
61 6一角打
62 3三玉(22)
63 3五歩打
64 1五角打
65 4八金(49)
66 4四金(34)
67 4五歩打
68 同 金(44)
69 3四金打
70 同 銀(43)
71 同 歩(35)
72 4二玉(33)
73 3三銀打
74 5一玉(42)
75 5二角成(61)
76 同 玉(51)
77 4二飛打
78 投了
まで77手で先手の勝ち