Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Gone With The Wind#3

2011-05-14 | 鉄道写真

 パノラマカー初期型で最もオリジナルに近い車輌は、7005Fであった。撮らねばならない、と思っていたものの、それは延び延びになっていた。写真は、そんな最中、平成20年早春にに上小田井で撮った、7005の姿である。見ての通り、M形電連が装備されておらず、スカートに切り欠きが無く、オリジナルに近い姿を保っていた。そういえば、中京競馬場にて保存される車輌7027及び7028も、同様であった。

 名鉄ファンにとって、東名古屋港は、重要な場所である。豊川の日本車輌で製造された新車が、JR笠寺から名古屋臨海鉄道を経由して、初めて名鉄線に入線する場所であり、また一方用途を終えた車輌が解体される場所でもあり、この駅の監視は、ファンにとっては大切なことである。東名古屋港に入る前には恐らく大江に入るであろうから、名鉄築港線は花道であり、葬送ルートでもある。

 平成20年7月に、同駅に行った。当然パノラマカーの解体で忙しかったわけであるが、そこでは先日まで元気な姿を見せていた7005が、解体されていた。車内にビニールが被せてあるのは、製造当時は問題視されなかったアスベストの、飛散防止のためである。

 幾ら名車だと叫んでも、解体されれば単なるスクラップである。もう少し保存する方策はなかったのかと、正直思う。名鉄経営陣の、パノラマカーに関する考え方が分かるような気がした。残念である。

 そして、平成20年秋、パノラマカーの定期運転は終了し、4輌を除き引退した。しかし、その4輌は、臨時列車として最後まで運転された。

 次回は、その「4輌」の活躍を見ていきたい。

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Gone With The Wind#2

2011-05-14 | 鉄道写真

 そして、パノラマカー引退の報に接し、パノラマカー行脚が始まった。

 最初は7001始め4連(7001F)、上小田井を発車する姿である。昭和36年デビュー当初からのトップナンバー、最も注目される車輌であるが、M形電連が装備された関係で、オリジナルのスカートに切り欠きが出来てしまい、そこが残念である。なお、同車の先頭部は、当初のフェニックスマークから逆富士形行先表示器に変わり、その表示器も手動式から電動式に改められ、これが3代目になる。

 続いて、恐らく犬山であろう、7011始め4連(7011F)である。同じだ、と思ってしまうが、同編成は一時特急用白帯編成であった関係で、方向幕が特急用の電動表示器になっている(上部が緑色で、形が多少違う)。また、7700系同様に車内はグレードアップ転換クロスシートであった。平成20年の撮影であるが、この時にはまだ白帯は復活していなかった。この編成の今後の運命を、当時は知る由もなかった。

 再び7001に出くわしたので、乗車した。豊明行き普通の運用で、何度か撮影の機会があったのだが、結局終点の豊明で撮影した。既に、「ブルーリボン賞」のプレートは車内に残っていなかった。

 今回最後は、神宮前に入線する、7004始め6連(7003F)である。同編成はデビュー当初からの第2編成である。同編成もM形電連が装備されスカートに切り欠きがあるが、2008年春には6連であり、通常は他の編成とは連結しない運用であった。後に同編成は4連に戻され、7001F+7003Fの編成でお別れ運転を行ったという。

 すると、次回の予定が読めるであろう。以降は次回としたい。

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