先回に続き、鉄道博物館韓国編、後半戦をお届けします。先回は近代的な車両を巡ったので、今回は古典的な車両を見ていきたいと思います。
最初は、貨物用SL、「ミカ3 161」です(写真)。韓国も満鉄同様に、軸配置の略称に順番をつけています。これはミカド形3形式目の略で、日本形貨物機の代表的な軸配置です。日本のD51等と同じ、しかし標準軌であり、機関車は大型化しています。1940年日本製です。
続いてはオープン形展望車、16です(写真)。戦前の、釜山桟橋発京城(ソウル)行き、急行「あかつき」の最後を飾る車両で、戦前の鉄道パンフレットにも載るほどの車両でした。
同車の車内(写真)。ソファーが並び、戦後、韓国大統領専用車であったようです。
16と並び立つ両雄、密閉形展望車、17です(写真)。後に、アメリカのジョンソン大統領と韓国大統領が会談した車両だそうです。
これらを牽引していたのであろう急行旅客形SL、「パシ5 23」です(写真)。1942年製、1971年まで使用されました。形式は、満鉄同様「パシフィック5番目」の意です。時期的に、日本のC59に相当か。
ナローの客車、18011です(写真)。日本の狭軌(1,067ミリ)より狭く、ニブロク(762ミリ)か。
同じく狭軌用のSL、ハングルは「ヒョキ11 13」となっています(写真)。ニブロクながら、軸配置はミカドのようです。後には2両客車を従えます。
最後は、スチーム式クレーン車です(写真)。1927年製です。
展示の車両は、こんな感じか。他ボイラだけの姿で放置されるSLもあり、朝鮮戦争の傷跡は未だ残ります。
博物館内には、「梅鉢鉄工所」などの、戦前の内地のメーカーズプレートが展示され、戦前は日本の一部であった、ということを強く意識させます。例えば日本車輌は戦前、仁川に車両工場を持っていましたが、終戦により、接収され失いました。
韓国は日本に対し、羨望もあれば恨みもあり、複雑な感情を見せます。嫌っていても日本製を使い続けた、そんな姿が垣間見えます。今後、フランスから技術導入したKTXを輸出できるようになれば、日本の鉄道車両会社のライバルとなるのでしょう。未だ日本が優勢ですが、今後も維持できるでしょうか。
韓国編はこの辺で終えたいと思います。次回からは中国編、先ずは沙河口からでしょうか。次回をお楽しみに。
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