蕎麦打ちは一月以上行っていない。では何をしていたのか?
去年から細々と、アルテサニア(スペイン)の「エルミオーネ」を作っていた。エルミオーネとは帆船模型のキットで2万4千円程度であるが造り堪えのある内容である。船体は80%くらい完成して艤装に入って居るが、内容が豊富で値段の割に2~3年くらい遊べそうで、一旦モチベーションが下がって、去年の夏に放置していたのを再開した。
本当は、蕎麦打ちをたまに、やらないと鈍ってしまいそうであるが、鈍るのは上手の方で、井月庵は多少鈍っても元々が薪を割るオノ程度の切れ味のため、今しばらくは問題ないだろう。
2月10日(日)
富士宮に「富士駒の会」という将棋の駒を彫る集団がいる。ネットで 富士宮、将棋駒と検索したら 「将棋工房 匠」のHPに行き着いた。
「安くても5~6万位する将棋の駒というのはどんなものだろう」と疑問に思ったのがいけなかった。(いや正解なのだが)
「駒師」の石川 清峰(せいほう)氏に「実物を見たい」と告げると、「買う買わないな抜きにして一度遊びにいらっしゃい」という事になった。
10日(日)は富士宮浅間さん周辺は地元の駅伝大会のため、交通規制があり30~40分ほど動けない状態になってしまった。
14時にお伺いする約束だったので、浅間さん近くの「喬友館」という蕎麦屋さんで昼食をとることにした。
家族は、えび天の「せいろ」と「かけ」を頼んだが、この時期は穴子だろうと、井月庵は穴子天のせいろにした。ちなみに、「かけ」は無いが天ぷらそばが蕎麦と天ぷらが別で出てくるので、「かけ」と表現した。
以前に一度訪れたことのあるお蕎麦屋さんで、店主が写真の趣味があり、またひどく人柄のいい人であることが伺えたので、機会があれば再訪したいとおもっていた。 店の佇まいの割に値段はそこそこなので、ちょっと気合を入れて行った方が良いだろうなどと余計なことは言わないが、出来れば、天ぷら用に塩を付けていただければ、更に良いような気がした。
さて、近くの公園で時間をつぶし、14時に尋ねると、店舗・工房というより、普通のお宅にお邪魔するというのが正解である。ああ、それなら菓子折り(富士川のこまんじゅう)でも持っていけばよかった等と悔やまれたが後の祭り。井月庵と愚息と嫁の3人連れであったが、さすがに憚られたので、嫁は近くのショッピングモールで時間をつぶすことになった。
時間に遅れるのはトンデモナイ事だろうと、ただでさえ厚い面の皮をもっと厚くして、呼び鈴を押した。
清峰さんは70位のおじさんで物腰の柔らかい人であったが、職人気質のきかぬ気性が感じ取れた。
「これが私の彫った駒です。」と5つ程の彫り駒を机の上に広げられた時、頭の中で「プロフェッショナル仕事の流儀」の曲(スガシカオのprogress)が鳴り出した。 将棋の駒を目にして職人の素晴らしい仕事に思わず震えが来た。(後で、愚息と帰り道、彼も「鳥肌が立った」と言っていた。)
御蔵島の本黄楊や薩摩の黄楊のクジャクが羽を広げたような模様の入った木地に、力強く、また繊細に彫られた幾種類かの書体の駒は研ぎ澄まされて象牙の様に光輝く宝石であった。
ご自身で駒木地を製作され、何百・何千の中から選りすぐられた木地はそれだけで貴重品であることが解った。
また、彫りが終わって、磨きに入る時点で、木地の中に「キズ」が発見され、「駄目」になった駒が無造作にかごの中に入れられていた。
「駄目」な駒を何個か頂くことが出来た。 素人目にはどこがダメなのか解らない。真ん中の「歩」は盛り埋め駒」である。
一見したときは、きれいに印刷されているのかと思ったが、一度彫った後に漆を入れて埋めたものである。これも「ダメ」な奴らしいのだか・・・
「孔を明けて根付にでもして」と言われたが、井月庵には恐れ多くて孔なぞ開けられない。
愚息と将棋を楽しんでいるのだが、本物の道具を使ってみたいと話すと、「将棋を指すのなら、こんな駒はもったいない。買わない方がいいよ」と微笑まれた。
乾湿庫の中から、次々に出される芸術作品。手が込みすぎて二度と作らないだろうという黒漆地の駒など「目の保養」。駒木地さえが既に「目の保養」なのだ。
本物のみが持つ力とはこういう事か。とても井月庵の拙い語彙では表現出来ない。 白手袋をして駒に触る指が震えた。
ひとしきり最上級の品を見ると、確かにこんな芸術作品は素人が使ってはいけない気がした。将棋のプロがタイトル戦などで使うにふさわしいのだろう。
気を取り直して、HPに掲載されていた「翰峰」(かんぽう)さんの彫駒を見せて頂くことにした。清峰さんの彫駒が十数万円であるが、翰峰さんの彫駒は5~7万である。一目見て、素人の井月庵にも値段の差が何であるかを理解し、また納得した。
事前に、上等の物を見ていたために目が肥えて、良しあしが解るのである。 モノの道理とはこの事か。
とはいえ、翰峰さんの彫り駒も芸術作品に違いはなく、素人が家で将棋を指すのに使うのは憚られる気がした。清峰さんは「もったいないから買わない方がいいよ」「こんな駒を収集して眺めている人がいるが、どうかしているよ」とまた笑った。
(いや、こんな駒で指しているプロの将棋指しも、こんな駒を収集している人も、こんな駒を作っている人も井月庵には次元が違いすぎる気がするが・・)
それでも本物を使いたい思いが勝って手ごろなものを購入することにした。(普段使いの家宝にするのだ。)
カメラを持って行ったが、ついぞ1枚も撮ることが出来なかった。きっと撮影を申し出れば了解される気がしたが、「ホンモノ」の力の前には無作法な気がした。 写真は自宅に戻って。
書体は「菱湖」シャープな感じでよく見る気がする。 島黄楊の柾目であるが薄っすら班があるようで、使って行くうちに色味が出て来そうで期待したい。
ホンモノの職人のホンモノの仕事をまじかで見ると井月庵の写真の腕では撮りきれない。清峰さんの話の途中で撮影するより、話の腰を折らずに思いのまま語って頂きたかったからなのだが、今思うとちょっとは撮影しておけば良かったと悔やまれる。
気が付くと16時を廻っていた。
カミさんを2時間半も待たせていたことに気づき息子と二人でまた震えた。 これ以上お邪魔するのは清峰さんにも迷惑であるが、正直なところ、まだ何時間でも話を聞きたい気持ちで後ろ髪を(そんなものは井月庵には無いが)引かれた。
奥さんも盛り上げ駒を製作しているらしいが、「高い駒は最近は売れない」と現在はお休みという事あった。
工房を去る際に大変なご厚情を受けることになるが、それはまたそれ。
近くの公園で待っているとカミさんが10分ほどで車を寄せてくれた。
帰りの車内で、井月庵と愚息が、興奮冷めやらず、生の2時間半のドキュメンタリー体験談を語るのを「へぇ、よかったじゃん」と微笑んでくれた。
これは、駒を見ながら一杯やらねば。
翌日(2月11日)、桐の平箱から、駒袋に移して、愚息と一局。記念すべき初対局は、久しぶりに井月庵が勝利をもぎ取ることになった。