奈良県吉野郡十津川村。ここは全国で最も広い面積を持つ村としても知られています。紀伊半島の最深部にあり、国道が開通するまでは周囲とは隔絶した地域だったため、独特の文化・気風を持っています。
壬申の乱の頃から幕末までは免租の特権を得ており、南北朝時代や幕末の争乱期に狂言廻しのように現 れる十津川郷士を輩出するなど、日本の歴史形成にも大きく関わっている村です。
全長166.9㎞、停留所の数は167、高速道路を使わない路線では、日本一の走行距離を誇る「八木新宮特急バス」。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を駆け抜けることもあり、最近ではマスメディアにも取り上げられ、かなり有名になってきました。
この路線の多くは山岳地域で、その中核こそ全国で最も広い面積を持つ村としても知られている十津川村の村域です。この路線は十津川村の欠くことのできない重要な生活の足でもあるのです。
十津川村には十津川温泉、湯泉地温泉、上湯温泉からなる温泉があり、それらをまとめて「十津川温泉郷」と呼ばれており、これらが日本百名湯にも選ばれています。
十津川温泉郷が広く知られるようになったのが2004年、全国に先駆けて「100%源泉掛け流し宣言」を発表したこと。折も折、温泉偽装が世間を賑わせていたときに「掛け流し」の価値を高めたことが全国に波紋を広げました。
十津川温泉郷が広く知られるようになったのが2004年、全国に先駆けて「100%源泉掛け流し宣言」を発表したこと。折も折、温泉偽装が世間を賑わせていたときに「掛け流し」の価値を高めたことが全国に波紋を広げました。
・十津川温泉
十津川温泉は十津川温泉郷の中核で、十津川村のやや南部、二津野ダム湖畔の平谷集落に10軒足らずの旅館・民宿と村営の入浴施設などが点在する実に静かな温泉街です。
源泉の発見こそ元禄年間という古湯ではあるが、あまりにも秘境にあることから知られることもなかったが、1974年、二津野ダムの完成によって集落が 移転した際に、現在の平谷地区まで源泉を引湯することに成功。これによって温泉街が形成されました。
源泉の発見こそ元禄年間という古湯ではあるが、あまりにも秘境にあることから知られることもなかったが、1974年、二津野ダムの完成によって集落が 移転した際に、現在の平谷地区まで源泉を引湯することに成功。これによって温泉街が形成されました。
・湯泉地温泉
湯泉地温泉は十津川村のほぼ中央に位置し、十津川村役場の十津川沿いに、数軒の旅館・民宿と2箇所の村営の入浴施設などが点在する、1581年佐久間信盛が訪れたといわれている古い歴史を持つごく小さい温泉です。最近、高級な離れ宿がオープンするなど、注目の温泉です。
・上湯温泉
上湯温泉は十津川の支流、上湯川上流に湧く温泉で、享保年間に里人が見つけたといわれる独特の泉質をもつ秘湯。川の畔にある大自然の中のしっとり落ち着いた一軒宿が人気の温泉です。
この村を語る上で避けて通られないのが1889年(明治22年)の「十津川大水害」です。同年8月に紀伊半島を襲った台風により、十津川村を縦断して流れる熊野川(十津川)流域で大規模な山腹崩壊が1080か所で発生。十津川を土砂がせき止めた後に決壊し、それにともなう洪水により、この村に壊滅的な被害をもたらしました。
地形が大きく変わるほどの災害により、生活の基盤である耕地や山林を損失した被災者2691人が北海道に移住。新十津川村がつくられることになりました。北海道の新十津川町では現在、十津川村を「母村」と呼んで同じ町(村)章を用いるなど、多くの交流があります。
記憶に新しい2011年(平成23年)の台風12号による「紀伊半島豪雨」。この時も「十津川大水害」と同様の土砂災害や氾濫が発生し、十津川村だけでも死者・行方不明者12名という犠牲に加え、折立大橋の落橋、長殿発電所の流出など、大きな被害がありました。
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