大阪環状線と地下鉄中央線の交差する弁天町にある交通科学博物館です。
以前は交通科学館という名称だったが、展示物や収蔵資料も充実してきたので、交通科学博物館と名称もグレードアップしています。
屋内には日本の鉄道創世記から現代まで、技術の進歩をわかりやすく展示しています。
昔の駅舎も再現されていて、郷愁をそそります。映画「鉄道員(ぽっぽや)」で高倉健が独りで守っていた駅みたいですね。
あの映画では、ロケのためにキハ40をキハ12に似せるために、ヘッドライトを1灯式に、また側面をいわゆる「バス窓」にするなど、無理やり昔風の改造したので、ワタシらヲタは興ざめだったんですよね。
とうとう今年をもって完全に引退する0系新幹線電車も展示されています。
この展示車両は、先般、1号機関車(日本最初の機関車)とか旧新橋駅の0哩ポストなど、日本の鉄道における歴史的文化的に重要な事物が指定されている鉄道記念物に指定されました。
現在、JR西日本のウェブサイトで「さよなら夢の超特急」が公開中。なかなか感動的です。
ここは鉄道だけではない。高速バスの嚆矢となったドリーム号の三菱ふそうB906Rが展示されています。
このバス、今の目から見たら実に小さいし、車内も質素。これで東京・大阪間を乗り通すのはかなり苦痛だったでしょう。
それにしてもこのバスが走っていた時代には、現在のような高速バスの隆盛は想像できなかったのでは…
写真のDD54は、亜幹線の無煙化、高速化の決定版として1966年に登場したディーゼル機関車。
しかし、ライセンス生産のドイツの精巧なエンジンと変速機が災いし、故障や事故が多発したため現場から嫌われ、10年余りで廃車された不運の車両です。
それでも、当時の国鉄には珍しいヨーロッパ的な美しいデザインのため、ファンや関係者の人気も篤いものがありました。
そんな理由でこのDD54 33が解体を免れ、後日、この博物館で修復・保存が叶ったのです。
このほか、日本初のディーゼル特急のキハ81や、電気式ディーゼル機関車DF50など、戦後の大量輸送時代を支えた貴重な車両が並んでいます。
マニア垂涎ですね。
この博物館のある弁天町へは、地下鉄中央線か大阪環状線を使うのだが、大阪環状線では201系の進出で急速に数を減らしているものの、103系もそれでもまだまだ多数走っています。
確かにリニューアルされてはいるが、交通科学博物館で展示されている車両と同年代のこの車両がいまだ現役。
これを素直に喜ぶことができないのだが…
- 開館時間:10:00~17:30(入館は17:00まで)
- 休館日:月曜・12月29日~1月2日(祝日・学校の春休み・夏休みは開館)
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