2015年 (平成27年) 6月3日(水) 雨のち曇り
静かに雨が降る。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0003.gif)
午前8時15分 ピース最後の1本に火を付ける。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0066.gif)
静かすぎる部屋の中。
6月3日・・・雨の水曜日。
秒針が時を刻む。
時間が積もり重なっていく。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0176.gif)
静かな朝だ。
タバコが短くなっていく。
空き缶に、最後の灰を落とす。
吸い殻を放り込む。
私は、自分の死について考えたことがない。
・・・いや、これは・・・? ・・・嘘だな!!
やがて来る死の前に、誰かのために何かしたい。
格好良く生きて、格好良く死んでいきたい。
これまで格好良く生き損ねた。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0197.gif)
せめて、格好良く死んでいきたいと思う。
他人のためにすることを億劫がるな。
相手のために自分の時間を提供する。
情報発信のみ・・・?
人との関係を構築する。
人には人の道がある。
そもそも私が人の役に立ちたいなどと
大それた事を考えるのが悪い。
私は自分自身の役にすら立ってはいない。
ふと弟を思う。
彼は自立したいと願っているのではないか。
そう考えたら、気がついた。
本当に自立したがっているのは、私自身だ。
私は彼に自分を投影させていただけなんじゃあないか?
だから彼を見て、何か歯がゆさを感じていたのだろう。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0202.gif)
退職後、私は自由に生きる時間を与えられた。
言い換えれば、「放置」だ。
自由に行動する。
自由に考える。
自由とは、無数の、多過ぎる選択肢だ。
人は無数の選択肢から、たった一つだけしか選び得ない。
老人として、人間の中に埋没していく自由。
他人が道を示してくれるのを、じぃ~っと待っている自由。
あるいは、新宿の人混みに紛れて、自由を探し回る自由。
ひょっとしたら、どこかで 「自由」 に出会えるかも知れない。
すれ違う「自由」に気がつくことが出来たらいいのだが・・・。
自分を売り込む。
そんなこともあって良いのではないか。
もう先のないことだし、(いくら生き延びても、たかだか100年か)
思いつきで生きてみるのも悪くない。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0195.gif)
見栄の恥のという年でもあるまい。
大体、私は何がやりたかったのか?
それは、どうしてだったのだろう?
改めて、考えてみる必要がありそうだ。
大量の情報を頭に流し込み、
濾過して、いらないモノはどんどん捨てていく。
→ 実際は、なかなか捨てられないのだが、
そのくせ、すぐに忘れてしまう。
この所、老人老人と、連呼しているが、
まぁ、それはそれで、釣り合いが取れていると言えなくもない。
窓を開けると、いつの間にか、雨は上がっている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0002.gif)
六然観 (良寛)
超然として天に任せ
悠然として道を楽しむ
厳然として自らを慎み
靄(あい)然として人に接す
毅然として節を持し
泰然として難に処す
静かに雨が降る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0003.gif)
午前8時15分 ピース最後の1本に火を付ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0066.gif)
静かすぎる部屋の中。
6月3日・・・雨の水曜日。
秒針が時を刻む。
時間が積もり重なっていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0176.gif)
静かな朝だ。
タバコが短くなっていく。
空き缶に、最後の灰を落とす。
吸い殻を放り込む。
私は、自分の死について考えたことがない。
・・・いや、これは・・・? ・・・嘘だな!!
やがて来る死の前に、誰かのために何かしたい。
格好良く生きて、格好良く死んでいきたい。
これまで格好良く生き損ねた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0197.gif)
せめて、格好良く死んでいきたいと思う。
他人のためにすることを億劫がるな。
相手のために自分の時間を提供する。
情報発信のみ・・・?
人との関係を構築する。
人には人の道がある。
そもそも私が人の役に立ちたいなどと
大それた事を考えるのが悪い。
私は自分自身の役にすら立ってはいない。
ふと弟を思う。
彼は自立したいと願っているのではないか。
そう考えたら、気がついた。
本当に自立したがっているのは、私自身だ。
私は彼に自分を投影させていただけなんじゃあないか?
だから彼を見て、何か歯がゆさを感じていたのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0202.gif)
退職後、私は自由に生きる時間を与えられた。
言い換えれば、「放置」だ。
自由に行動する。
自由に考える。
自由とは、無数の、多過ぎる選択肢だ。
人は無数の選択肢から、たった一つだけしか選び得ない。
老人として、人間の中に埋没していく自由。
他人が道を示してくれるのを、じぃ~っと待っている自由。
あるいは、新宿の人混みに紛れて、自由を探し回る自由。
ひょっとしたら、どこかで 「自由」 に出会えるかも知れない。
すれ違う「自由」に気がつくことが出来たらいいのだが・・・。
自分を売り込む。
そんなこともあって良いのではないか。
もう先のないことだし、(いくら生き延びても、たかだか100年か)
思いつきで生きてみるのも悪くない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0195.gif)
見栄の恥のという年でもあるまい。
大体、私は何がやりたかったのか?
それは、どうしてだったのだろう?
改めて、考えてみる必要がありそうだ。
大量の情報を頭に流し込み、
濾過して、いらないモノはどんどん捨てていく。
→ 実際は、なかなか捨てられないのだが、
そのくせ、すぐに忘れてしまう。
この所、老人老人と、連呼しているが、
まぁ、それはそれで、釣り合いが取れていると言えなくもない。
窓を開けると、いつの間にか、雨は上がっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0002.gif)
六然観 (良寛)
超然として天に任せ
悠然として道を楽しむ
厳然として自らを慎み
靄(あい)然として人に接す
毅然として節を持し
泰然として難に処す