80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

古都 原町田

2015年11月13日 19時41分22秒 | 考える
ベンチに腰をかけ、目の前を流れる人波を、
ぼやーっとした目で眺めている。 

横に交番・・・。
先ほどから交番の中から、お巡りさんが、
しきりに、こちらを睨んでいるようで、 
何とも落ち着かない。

無論、私を睨んでいるわけでもないだろうが、
何となく、そんな気がするのは、私の気のせいだろう。



そう、私だって、私だって、何もこんな所で、
昼間っから、尻でベンチなんか温めていたくはない。
仕事がありさえすれば、胸だのお腹だの押しつぶされそうに
なりながらでも、満員電車に乗り、職場に出掛けていきたい。
 


最近は、何をするにも、バス定期券の日付、そして銀行通帳の
預金残高が気にかかる。



隣のベンチで、男の人が横になっている。 
ぐっすり眠っているらしい。
何とも不用心で、こちらの方が落ち着かない。


小バエ(?)が、私の目の前に、ユルユルと飛んできた。
払おうとして、手を振ったが、見事に空振り。
ターゲットとの距離、10センチ以上・・・。
意志決定と、反射神経が鈍っているのは、年齢のせいだろうか?


私は、何をやりたいのか? 
あるいは、やりたくないのか? 
・・・。 


「此方こはま
 原町田誕生四百年記念
 昭和五十八年建立」
 の文字が見える。

立って、北側から覗いてみると、

「絹の道
 此方はちおゝじ」
 とある。


横の看板に石柱の説明文。

「 絹の道
黒船到来により永い鎖国が開かれ
安政六年(一八五九)に横浜が開港さ
れると 日本から欧米諸国への輸出品
の花形になった"生糸"は 主産地であ
る長野・山梨や八王子から 町田を通
って横浜に運搬されました。
 新編武蔵風土記稿に "神奈川道" と
記された原町田中央通りは 東西文化
の交流を果たした中国の長安から地中
海に至る古代シルク・ロードのように
日本のシルク・ロードとなりました。
 そして原町田は 商業地形成の原点
となった「二・六の市」を経由して 生
糸をはじめ諸物資の集散地となり 繁
栄の基礎が築かれ今日に至りました。
 この碑は歴史と伝統を受け継ぐ 原
町田商人の証として 原町田誕生四百
年を記念し 一番街商店会が建立し
ました。
  昭和五十八年十二月吉日 」


なるほど、町田もかなり由緒ある土地なのだなと
改めて感じた次第だ。

※ ひょっとすると、以前、同様の記事を投稿していた
かもしれない。
 (ダブってしまっていたら、お許しあれ。)


蛇足) 「辛さ」に「ふた」をすると、「幸せ」になる。
 へぇ・・・!!