80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

自動車事故

2015年12月14日 18時32分03秒 | 考える
私には、弟と、一緒に何かやったという記憶が、あまり無い。

もっとも、半分は、自身、そう願ったということではある。
両親が、三重に引っ越すが、お前はどうする?と聞かれた時も、
当時、高校に在学中だった私は、このまま群馬に残ると答えた。

両親は、まだ幼かった妹と弟を連れて、三重に引っ越していった。

それから何年か後・・・。
私たちは、一緒に、群馬で暮らしていた。


あの頃、弟が自動車事故にあった。
考えてみると、あれから、すでに50年くらいになるだろうか。

当時、私は幼かった弟に、柔道の受け身を教えていた。
 (本当は、こちらに教えるほどの腕があったわけでは無い。
      つまりは、粋がって、そのつもりになっていただけのことだ。)

彼はかなりうまくなっていた (・・・と、私は思いたかった)。


その頃、小学生だった弟は、私の後について、道路を横断中だった。

ちょうどその時、通りかかった車に、ドスンという感じで、はね飛ばされた。
弟は、くるりと、うまく受け身をとって、「大丈夫・・・」 と言った。

車が止まって、運転者と、多分、奥さんが、慌てた様子で飛び出してきた。
「医者へ・・・」 と言う。


相手はもちろん、私も、パニック状態だった。 
他に、見ていた人はいなかった。

聞いてみると、弟は、「大丈夫だ」 を繰り返した。

考えてみると、あの時、私は、それに弟も、格好つけすぎていたのかもしれない。
今思うと、私は、本当に愚かだったと思う。


もしも、あの後、弟に、事故の後遺症でも出ていたら、
どうするつもりだったのだろうか?

今、振り返ってみると、ぞっとする。

さらに、よくよく思い出してみると、
相手は、「申し訳ない」 と繰り返しつつも、
結果として、「名前も連絡先も告げずに」 走り去ってしまった。


いくら格好をつけようとしても、人には限界がある。
「他人の実際の痛み」なぞ、無論、感じることは出来ない。

もしも、幼い彼が見栄を張って、骨折を我慢していたとしたら・・・。
あるいは、内出血でもしていて、それと気付かずにいたなら・・・。

今になって、振り返ってみると、ぞっとする。 


しかし・・・と、不意に思った。
もしかすると、今のこの現状は、あの時の後遺症かもしれない。

本来なら、彼は、もっともっと素晴らしい人生を送り得た可能性もある。
そう、もっともっと充実した人生・・・が。


とすると、これは、当然、私に大きな責任がある


誰にも、済んだことを元に戻し、
記録された人生を書き直す力などない。


人生は一度かぎりだ。
彼にも、私にも・・・。
 

どう生きようと、個人の一生はただ一度だけ。
何かやっても、何もやらなくても、あるいは何も出来なくても、
時が来れば、人生、幕引き。

待ったなし。


その上、問題は、いつ幕引きになるのか、凡人には知りようがない。
格好つけて生きようとしても、所詮は、ただそれだけのこと。
後には、塵ひとつ残らない。
それが、凡人の一生だ。


しかし、考えようによっては、「失ったものがある」 ということは、
それが、つまり、何やらが「存在したという証」 にはなるということではなかろうか。