80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

私らしさ

2015年12月21日 23時18分40秒 | 考える
私を一生懸命、この歳まで育ててくれた親兄弟、教師、そして友人・・・。
そうだ、私を導いてくれたあの「先生」はどこに行ってしまったのか?

人は歳をとらざるを得ない。
さらに言えば、年齢を重ねるごとに、自分の存在価値が薄れていく。
かわりに、他人の存在感が、次第次第に大きくなっていく。
 

出来得れば、今からでも家族が欲しいと思う。

う~ん・・・?
本来ならば、年齢を追うごとに、
自分の存在感は、増していくべきものではなかったか?
 

時折、考えてしまう。
私は、このまま生きていって本当に良いのだろうか? 

今さらながら、自分の生きてきた過去、自分の経験を
「他人の見た目を通して」 確認してみたいと思う。 

言い換えれば、それを誰かに認めてもらいたいということだろうか? 

時が経ち、日を重ねるごとに、その気持ちが強くなってくる。 
これは、贅沢な願望なのかもしれない。

自分自身をプロデュースする。
私は誰かに必要とされているのか?
それとも、邪魔者なのか?

う~ん・・・やはり邪魔者感が強い。

私らしさ、私の成功とは?
・・・はて?・・・私って、成功至上主義だったのか。


取りあえずは、この期に及んで、老後破産だけはしたくない。
しかし、現実、現状では・・・??
どうなのだろうか?
不安はつのるばかりだ。

公的成功を収めるためには、
まずは、私的成功を成し遂げる。

「終わり」を思い描く。
終わりとは、どういったものなのか?


私は 「本当の成功感」 というものを味わったことがない。

①自分の価値体系を持つ。
②どのような価値観を選択するか?
③その価値観に従って生活する。


「強く望んでいることは、いとも簡単に信じられる。」  
ということは、簡単には信じられないことというのは
それほど強くは望んでいないということになるのだろうか。

若い頃は、当然のごとく、父の後を継いで、よい教師になろうと決めていた。
しかし、それを実現するには、横道に逸れすぎてしまったようだ。

今さらながらだが、女性と、心身共にじっくりと触れ合ってみたい。

それが無理ならば、
ただ、そばにいて、ほっこりとした時を過ごせればいい。

男の傍らには、本来、女がいるべきなのだ。 
主体性と協調性の同居。


年甲斐もなく、ふと、そんなことを思ってしまった。 (正直な話)

気をつけて世の中を見れば、なすべき仕事はいくらでもある。
仕事のないのを嘆じるのは、真に仕事をみつけることに
努力をしていないからではないか。
     松下幸之助
「人生と仕事について知っておいてほしいこと」より