80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

何も言わずに、何もせず・・・

2016年02月15日 20時10分59秒 | 考える
平成28年2月15日(月) 晴れのち曇り 風寒し。

ふと思った。

何も出来ないと思う心は何なのだろう?
他人の心、求めるものが分からない、あるいは共感出来ない。
そういう考えは、自身の驕り、思い上がりの心ではないか?

人は誰かの為に生きているのではない。
自分自身のために、良かれと行動しているにすぎない。


誰かをフォローする。
それが、結果として自分の意にかなう。

結論はそういう事なのだ。


個人は、他人に言われてどうこうなるものではない。
意識的か否かにかかわらず、
総ての行為、行動は、自分自身の意志の発露なのだ。


自分の為すべき事を、他人の意志にすり替えることによって、
自らの行動結果の弁護を、事前に想定しておく。
失敗のリスクを減らしておく。

常に他人の、そして周囲の顔色をうかがいつつ行動する。

私は今まで、そうやって生きてきた。


彼とのコミュニケーションが取れない。
自分の意志が届かない・・・などとは、
やはり、こちらの思い上がりの結果だろう。

本来、人間関係とはそういったものなのではないか。


自分が他人にやってやれることなど何もない。
いや、そんなことを考えること自体が、
それこそ、相手に対して、失礼な話なのだろう。

他人には他人の考え方、やり方があるに違いない。


何も言わずに、何もせず・・・。
つまるところ、それこそが私の為すべきことなのかも知れない。


[ノートから]

無論、私の場合、
会社 (相手) の為に何かを為す。
そういうスタンスでいたい。

上の者 (相手) がそれに対して苦情を言ったら、それをもとに、
適時、素直に変化していけばいいだけの話。

苦情もまた一つのコミュニケーションだ。
何も言われず、無視され、放置される。
会社人 (社会人) としては、それこそが一番の苦痛だろう。

止まれ、ひょっとして、
それもまた 「一人前の社会人への一つの試練」 なのかも知れない。