80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

とっておきの音楽祭 in Machida

2016年10月03日 17時28分09秒 | 考える
10月1日(土) 曇り
とっておきの音楽祭 in Machida

カリヨン広場にて


人と人、皆が、心の奥で繋がって・・・ほしい・・・!!

歌と楽器、車椅子ダンスにサンバ。

みんな、一人一人が頑張っている。
その周囲に、しっかりとフォローしている人たちがいる。


久しぶりに、一時的だが、高揚感を味合わせてもらった。
生き続けるという事は、「出逢い」 があるという事でもある。

それも、う~ん・・・否応なしに・・・、という側面もあるか・・・。


また、会いましょう。」
「またね・・・。



これって、いつもの事だが、何故か虚しい響きを感じてしまう。
どこかで再び出会うチャンスが巡ってくるだろうか?



私は、人生、一度は終わった人間だ。

「母の死」 と 「自身の手術・入院」
これが、ある意味、分岐点だったのかも知れない。


人生、今、真っ最中の元気な人たちとは、
多少、考え方が違ってきても不思議ではない。
逆を言うなら、いろんな所で一致、意気投合したって、何ら問題はない。



自由気ままな価値観でいて何の不都合もなかろう。
要するに、何でもありという事なんだな。
もっともこれは個人的に言えばの話。

お互いに別人格。
お互い、他人同士だという事を、しっかりと心に留め置いて、
それなりに覚悟して同居するならすればよい。

今から出来る事を求めて。
今なら出来る事を探して。


過程ではなく、考えているだけでなく、実際に、動いてみる。
本名Sではなく、風来居士として。
もっとも、名前がどうのではなく、動くか、否か、・・・それだけ。

友人がいる。
今の、この繋がりを大切にして、それを膨らましていく。



思い起こしてみれば、これまでの私は、総てに中途半端だった。
父親が教師だったこともあり、頭はそれなりにいいはずだと
周囲からは思われていたらしい。
私自身もそれを受けて、頭の出来はそれほど悪くはないと
思い上がっていた節がある。

しかし、素材がいくら良くても、何もしなければ、何も積み重なっていかない。
人はその「積み重ね」で、初めて、人となり、人格が出来上がっていく。

何もしなければ、それなりのものにしかならないのは当然だろう。


そして、今の私が、ここにある。


「神無月 ふところ寒し 秋の風吹く」
「勝たねばと 思う心の 裏返し」


歳なんだから・・・、もう充分やったよな。

「飛ばされて 行かないように しっかりと 私を掴んでいてほしい。」


・・・何てったって、結局は独りなのだから、いつもの通り・・・。