獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その31)

2024-12-13 01:12:00 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
〇第六章 性善説という病
●第七章 現代に生きる大川周明
 □「自国の善をもって自国の悪を討つ」
 □自己絶対化に陥らないためには……
 □各国・地域で形成される「国民の物語」
 ■日本に残されたシナリオは何か
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第七章 現代に生きる大川周明

日本に残されたシナリオは何か

日本を取り巻く国際環境はますます厳しくなっている。中国、韓国、北朝鮮、ロシアなど近隣諸国との外交は「八方塞がり」で、1940年代のABCD(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)包囲網を想起させる。頼みの日米関係もBSE(牛海綿状脳症)問題のみならず、普天間基地移転、グアムへの海兵隊移転の費用負担に象徴的に現れた米軍再編問題という日米安保の根幹で不協和音が生じている。「小さな政府」、規制緩和という新自由主義的改革が、結果としてアメリカを利するものであるとの意識も強まってきた。このような状況で嫌米感情が国民の間で拡大している。筆者はイデオロギー的な親米も、感情的な反米も同じくらい危険と考える。ソ連型共産主義というイデオロギーに基づく脅威が存在したときには、イデオロギー的反共主義=親米主義は日本の国益に適った。しかし、ソ連が崩壊してもう15年になる。冷戦時代の親米主義が通用しなくなったことについて改めて議論する必要すらないと思う。65年前、われわれの祖先は、アメリカから追い込まれ、やむを得ぬ事情で戦争に突入し、敗れた。この教訓から学ばなくてはならない。決して負け戦をしてはならないということだ。その観点から、冷戦後の超大国であるアメリカと全面対峙する路線を選択するなどというのは論外だ。
9・11米国連続テロ事件後の世界を「冷戦後」と区別し「ポスト冷戦後」と呼ぶ論者がいる。「東アジア共同体」構想も「ポスト冷戦後」の日本の選択肢の一つと考えられているのであろうが、筆者はこのシナリオには乗らない。人為的に東アジアの共通意識を作ろうとした大東亜共栄圏の試みが失敗したことからわれわれは謙虚に学ばなくてはならないと思う。
60年前、東京裁判で大川周明が免訴にならず、法廷でアメリカ、イギリスの国際ルール無視、アジアに対する植民地主義が道義性をもたないことを実証的なデータに基づいて主張したならば、それは大いに説得力をもったであろう。それと同時に、国家にも民族にも運不運があるので、ある状況では、負ける蓋然性が排除されない戦争に突入せざるを得ない状況があることについて、大川自身の認識と覚悟を述べ、東京裁判は法廷ではなく戦場であることを明らかにすれば、大川の言説は歴史にしっかり刻み込まれたと思う。聡明なアメリカ人が大川の危険性に気づき、精神障害を理由にその機会を奪ったのが真実と筆者は認識している。それだから地下から大川周明の言説をもう一度地上に引き出してこなくてはならないのだ。
歴史は反復する。1930年代末から40年代初頭によく似た国際環境が現在日本の周囲に形成されつつある。しかし、まったく同じ反復を繰り返すことはない。過去の歴史に学び、崩壊へのシナリオを回避するのだ。それではどのようなシナリオが日本国家と日本人に残されているのか。
筆者は予見可能な未来、つまり今後、15年くらいの間に国民国家システムが完全な機能不全を起こすことはないと考えている。新自由主義やグローバリゼーションには歩止まりがある。日本の国家体制(国体)を強化することがわれわれに残された現実的シナリオだと思う。国体の強化は、大川周明が言うように、日本の伝統に立ち帰り、「自国の善をもって自国の悪を討つこと」によって可能になる。そして、自信をもって自国の国益を毅然と主張できる国になることだ。自らの主張に自信をもっている国家や民族は、他国や他民族の価値を認め、寛容になる。日本はアメリカの普遍主義(新自由主義や一極主義外交)に同化するのでもなければ、「東アジア」の共通意識を人為的に作るという不毛なゲームに熱中する必要もない。
大川周明が高く評価した北畠親房が『神皇正統記』で表した、外部世界(15世紀の基準ではインドと中国)の内在的論理を十分理解するが、そのいずれにも同化しない独特の場所を追求していくという手法から学ぶのだ。アメリカ、中国それぞれの内在的論理を理解するが、その両国とも同化せずに、両国と巧みに取り引きする中で、日本国家と日本人の生き残りを図るのである。
この観点から、いまここでもう一度、われわれが大川周明の『米英東亜侵略史』を読み解く必要がある。

 


解説
「東アジア共同体」構想も「ポスト冷戦後」の日本の選択肢の一つと考えられているのであろうが、筆者はこのシナリオには乗らない。人為的に東アジアの共通意識を作ろうとした大東亜共栄圏の試みが失敗したことからわれわれは謙虚に学ばなくてはならないと思う。
(中略)
アメリカ、中国それぞれの内在的論理を理解するが、その両国とも同化せずに、両国と巧みに取り引きする中で、日本国家と日本人の生き残りを図るのである。

著者のこの主張に賛同します。


獅子風蓮