獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その30)

2024-12-12 01:44:47 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
〇第六章 性善説という病
●第七章 現代に生きる大川周明
 □「自国の善をもって自国の悪を討つ」
 □自己絶対化に陥らないためには……
 ■各国・地域で形成される「国民の物語」
 □日本に残されたシナリオは何か
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第七章 現代に生きる大川周明

各国・地域で形成される「国民の物語」

これに対して、北畠親房に連なる復古的改革の思想を体現した政治家は今のところ姿を現していない。日本の伝統的思想は生活の中に潜り込んでしまうので、容易にその形を表さないが、この潮流の力を過少評価してはならない。少なくとも靖国神社参拝を公約に掲げ、それを実行している小泉首相には、顕在化している新自由主義思想と共に底流には復古的改革への思いがある。復古的改革は、政治路線としては新保守主義と結びつきやすい。新自由主義が市場原理主義であるのに対して、新保守主義は日本の過去の伝統をシンボルとして取り出し、現実の政治に生かすことを考える。小泉首相の靖国神社参拝へのこだわりは新保守主義的なシンボル操作と解釈することができる。しかし、場当たり的なシンボル操作だけでは「国民の物語」にはならない。新保守主義が政治の世界で力をもつためには過去のシンボル操作を含め、確固たる「国民の物語」をつくらなくてはならない。

アメリカの場合、ネオコン(新保守主義者)は、自由、民主主義、自助努力と、自己責任などアメリカ建国時のシンボル操作で新自由主義をアメリカの伝統に埋め込むという思想的アクロバットに成功した。ロシアのプーチン政権は、ユーラシア地政学を甦らせるというシンボル操作に成功しつつある。ロシア帝国という「国民の物語」もロシアに定着しつつある。ヨーロッパについては、国民国家を超えた「ヨーロッパ人の物語」が定着したので、EU(欧州連合)内の国境が意味をもたなくなり、共通通貨ユーロが抵抗なく受け入れられている。ロシア、ヨーロッパに共通して言えることは、アメリカ型の新自由主義=市場原理主義と正面から対決することは避け、国際関係では新自由主義的な「ゲームのルール」にかなりの程度まで従うが、自己の領域内では文化に根ざした独自の「ゲームのルール」が展開されるという考え方で、前に述べた自己完結的な内在的論理を尊重するライプニッツ主義に基づいているのである。

さて、わが日本はどのような「国民の物語」を形成していくのか。あるいは「国民の物語」の形成自体に意味を認めず、アメリカ型新自由主義や、中国を中心とする東アジア共同体に日本が溶解していくのであろうか。現時点で確定的なことは何も言えない。2006年1月23日にライブドア社長の堀江貴文が逮捕されたことで、新自由主義の流れに一定の歯止めがかかり始めたように見える。小泉首相自身は、恐らく無自覚的に新自由主義と復古主義という相異なるベクトルの路線に足を置き、改革に向けた国家路線を明確に提示することができなかった。日本国家の改革をどうするかは本年9月の自民党総裁選で決まる次期首相の手に委ねられることになる。次期首相が復古的改革を理性の言葉で表現することに成功すれば「平成の中興」を実現することができる。逆に新自由主義の流れに押され、改革が土俗性から遊離するとイタリア型ファシズムに類似した閉塞した政治体制が日本に生まれる危険性が高まると筆者は危惧している。
ファシズムは土俗性を嫌う。ファシズムの危険性について日本で警鐘を鳴らすのは左派、市民派の専売特許のような観があったが、最近では、国家主義陣営からも、日本がファシズムに向かう危険性を危惧する真摯な言説が提示されている。この関連で西尾幹二の言説が興味深いし、鋭いと思う。


世間はファシズムというとヒットラーやムッソリーニのことを思い出すがそうではない。それだけではない。伝統や歴史から切り離された抽象的理想、外国の理念、郷土を失った機械文明崇拝の未来主義、過度の能率主義と合理主義への信仰、それらを有機的に結びつけるのが伝統や歴史なのだが、そこが抜けていて、頭の中の人工的理念をモザイク風に張り合わせたきらびやかで異様な観念が突如として権力の鎧をつけ始めるのである。それがファシズムである。ファシズムは土俗から切り離された超近代思想である。(西尾幹二「ハイジャックされた漂流国家・日本」『正論』2005年11月号所収、産経新聞社)

西尾の「土俗から切り離された超近代思想」にファシズムの特徴を見るというのは慧眼だ。「大日本者神國也」というテーゼは土俗思想そのものである。堀江貴文や竹中平蔵のような新自由主義者には土俗という感覚自体がわからなくなっているのであろう。このような人々が「強者をより強くすることで、日本を強くする」との信念をもっていたとしても、根本の国体観が不在なので、強くする主体となる日本国家と日本人が「頭の中で人工的理念をモザイク風に張り合わせたきらびやかで異様な観念」の域を出ないのだ。新自由主義政策を推し進めると、国家や民族に意味はなくなる。しかし、それでは国家がなくなる。そこで観念によって、日本国家を束ねようとする。
この観念としてこれから人気を得る可能性(危険性)をもつのが大統領制である。2005年9月の総選挙における「憲法が『天皇は日本の象徴である』というところから始まるのには違和感がある。歴代の首相や内閣が(象徴天皇制を)何も変えようとしないのは多分、右翼の人たちが怖いから」(毎日新聞電子版2005年9月7日)、「大統領制にした方がいい。特にインターネットが普及した世の中の変化のスピードが速くなっている。リーダーが強力な権力を持っていないと対応していけない」(同上)という堀江の言説が一部政治エリートに受け入れられているという現実が、筆者には日本の国体が内側から崩れ始めている徴候に見える。ここで重要なのも堀江貴文という個人ではない。「ホリエモン的なるもの」すなわち日本に共和制を導入する可能性のある新自由主義的政治言説なのだ。従って、状況は堀江が逮捕され、影響力を失っても基本的に変化しない。新興の経済エリートから共和制を志向する「ホリエモン的なるもの」は今後も必ず現れる。主観的には改革により日本の再生を意図する人々が国家を内側から崩壊させるという悲劇を防ぐために、今こそわれわれは大川周明の復古的改革思想を学び直さなくてはならないのである。

 


解説
アメリカの場合、ネオコン(新保守主義者)は、自由、民主主義、自助努力と、自己責任などアメリカ建国時のシンボル操作で新自由主義をアメリカの伝統に埋め込むという思想的アクロバットに成功した。ロシアのプーチン政権は、ユーラシア地政学を甦らせるというシンボル操作に成功しつつある。ロシア帝国という「国民の物語」もロシアに定着しつつある。ヨーロッパについては、国民国家を超えた「ヨーロッパ人の物語」が定着したので、EU(欧州連合)内の国境が意味をもたなくなり、共通通貨ユーロが抵抗なく受け入れられている。

本書の発行は2006年4月とかなり昔なので、現在の国際政治状況とはズレが目立ちます。
アメリカの場合はネオコンのかかげる新自由主義からトランプ氏のアメリカ第一主義へと変質しており、「国民の物語」も大きく分断されています。
ロシアでは、プーチンがロシア帝国という「国民の物語」を肥大させすぎて戦争まで引き起こしました。
ヨーロッパでは、イギリスをはじめ自国第一主義がはびこり、EU(欧州連合)の亀裂が目立ちます。


主観的には改革により日本の再生を意図する人々が国家を内側から崩壊させるという悲劇を防ぐために、今こそわれわれは大川周明の復古的改革思想を学び直さなくてはならないのである。

大川周明の復古的改革思想が正しいのかどうかの評価は置いとくとして、大川周明に光を当ててその思想を学び直すことには賛成です。

 


獅子風蓮