獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その28

2025-02-19 01:48:16 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
 □「背任」と「偽計業務妨害」
 □ゴロデツキー教授との出会い
 ■チェルノムィルジン首相更迭情報
 □プリマコフ首相の内在的ロジックとは?
 □ゴロデツキー教授夫妻の訪日
 □チェチェン情勢
 □「エリツィン引退」騒動で明けた2000年
 □小渕総理からの質問
 □クレムリン、総理特使の涙
 □テルアビブ国際会議
 □ディーゼル事業の特殊性とは
 □困窮を極めていた北方四島の生活
 □篠田ロシア課長の奮闘
 □サハリン州高官が漏らした本音
 □複雑な連立方程式
 □国後島へ
 □第三の男、サスコベッツ第一副首相
 □エリツィン「サウナ政治」の実態
 □情報専門家としての飯野氏の実力
 □川奈会談で動き始めた日露関係
 □「地理重視型」と「政商型」
 □飯野氏への情報提供の実態
 □国後島情勢の不穏な動き
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


チェルノムィルジン首相更迭情報

ゴロデツキー教授のロシア情勢に対する見方はとても興味深かった。
当時、ロシアウオッチャーの間では、心臓病で健康状態が悪化しているエリツィン大統領よりも政権ナンバー・ツーで求心力を強めていたチェルノムィルジン首相が次期大統領になるとの見方が強かった。しかし、ゴロデツキー教授の見方は全く異なっていた。
まず、チェルノムィルジンを後継者と考えていなかった。
「チェルノムィルジンは、天然ガス屋さんで典型的なソ連の企業長だ。ロシア国家全体を見渡すアタマがない。マフィアの親分のような体質なので、ロシアの知的に良質な部分を惹きつけることができない。大統領としての資質に欠ける」と切って捨てた。
そこに同席したイスラエル政府のロシア専門家は「チェルノムィルジンも心臓病を抱えているので、健康については万全とは言えない」と付け加えた。
余談だが、2000年、私は、東京でロシアの国家院(下院)議員に転出したチェルノムィルジン氏の昼食会に出席したが、チェルノムィルジンは日本側通訳に対して「おい、おまえ俺の言うことがわかっているのか。もっと早く訳せ」と乱暴に命令していたので驚いた。
ロシアの要人で日本人通訳にこのような乱暴な態度をとった例を私はこれ以外に一件しか知らない。また部下には丁寧語を使わせるが、自分から部下には荒っぽい言葉で呼びかけるという、軍隊の司令官のような話し方をしていた。ふと私がチェルノムィルジンの左手を見ると、そこには入れ墨が入っていた。日本同様にロシアでも国会議員で入れ墨がある人は非常に珍しい――。

その頃、日本政府は1998年4月に予定されていた川奈日露首脳会談を控え、ロシア国内の政局情報収集を最優先していた。
ゴロデツキー教授の北方領土問題解決に対する見通しは悲観的だった。ただし、この見方は、その後、ゴロデツキー氏が日露関係について情報を収集し、分析するなかで変化する。当時の彼の見方について説明しておこう。
「北方領土問題は、スターリニズムの負の遺産であり、基本的に東西ドイツの分裂や東欧社会主義圏の成立と同じ第二次世界大戦の結果によりもたらされた。従って、それを解決する『機会の窓』は、89年のベルリンの壁崩壊から、91年のソ連崩壊の間に最も大きく開いていた。しかし、この機会を日本は十分に活用しなかった。
その後、ユーゴ、チェチェンなどで民族紛争が激化したので、ロシアの政治エリートは領土変更に対して抵抗感を強めた。北方領土問題が解決する可能性はまずない。その大前提の上で、もし日本が『取り引き』をしようとするならば、エリツィン大統領と直接交渉するしかない。ロシア人と領土問題を解決するにはトップ交渉しかないからだ。
領土と経済は『取り引き』できない。領土は政治、安全保障のカテゴリーに属するので、この面での『取り引き』を考えなくてはならない。ここでプリマコフ外相のファクターを忘れてはならない。エリツィンがソ連外交との断絶性を指向するのに対し、プリマコフは連続性を指向する。職業外交官は元来、保守的なのでプリマコフ側に立つ。従って、外相と職業外交官が大きな壁となるのだが、その障害を乗り越え、いかに大統領と直接交渉をするかが重要だ」
ゴロデツキー教授と知り合ったこのイスラエル出張中に、ロシアの寡占資本家(オリガルヒー)と有力な人脈をもつある人物から「寡占資本家はチェルノムィルジン更迭を進言した。エリツィン大統領も首相解任を決断した」という情報を得た。
一般論として、情報には二種類ある。第一は、種々のデータを分析、総合して得る調査情報である。第二は、事情を知っている人に「こうなっている」ことを教えてもらう生情報である。私はこれを生情報と考え、東京に報告した。
その後モスクワに渡り、チェルノムィルジン側近の二人にあたり、この情報は間違ってないとの感触をえた。この感触を得た数日後の98年3月23日、エリツィン大統領はチェルノムィルジン首相を解任した。全世界が衝撃を受けたが、主要国では日本政府だけがこの情報を事前につかんでいた。
私は、国会内で橋本龍太郎首相から呼び止められ、「よくやった。すごいな」という評価のことばを直接かけられた。
この出張を通じ、私はイスラエルのロシア情報が質量両面で、モスクワに匹敵するとの認識をもつようになった。そして、この情報を北方領土問題解決のためにどう使うかということを真剣に考えるようになったのである。

 


解説
その後モスクワに渡り、チェルノムィルジン側近の二人にあたり、この情報は間違ってないとの感触をえた。この感触を得た数日後の98年3月23日、エリツィン大統領はチェルノムィルジン首相を解任した。全世界が衝撃を受けたが、主要国では日本政府だけがこの情報を事前につかんでいた。
(中略)
この出張を通じ、私はイスラエルのロシア情報が質量両面で、モスクワに匹敵するとの認識をもつようになった。そして、この情報を北方領土問題解決のためにどう使うかということを真剣に考えるようになったのである。

なるほど、ここを読むと、イスラエルのロシア情報が、対ロシア外交、とりわけ北方領土問題の解決に死活的に重要だったことが理解できます。

 

獅子風蓮



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