獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その20)

2024-11-16 01:29:13 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
 □「地政学」と「普遍主義」
 □イギリスはいかにして帝国となったか
 □19世紀の英中関係
 □普遍主義にシフトするアメリカ
 □「世界最終戦」構想には種本があった
 □国家を廃絶するために作られた国家
 □20世紀初頭と現代の「相違」
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
 □広く共有されていた日米開戦の「不可避性」
 □「戦争による死」への肯定的評価
 □「東アジア共同体」構想の舞台裏
 ■「力の均衡」か「共通意識」か
〇第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
 □「自国の善をもって自国の悪を討つ」
 □自己絶対化に陥らないためには……
 □各国・地域で形成される「国民の物語」
 □日本に残されたシナリオは何か
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体

「力の均衡」か「共通意識」か

しかし、筆者には東アジア共同体がそのための有効な手段とはどうしても思えないのである。冷戦後の国際政治において唯一の超大国であるアメリカの力を積極的に取り込むことなしに実効的なメカニズムが構築できると考えるのは幻想だ。田中は東アジア共同体にアメリカを加えない理由に「アメリカ自身が東アジアの一員だという意識を持つことはないと思うんです」(前掲書、188頁)という印象論で処理しているが、東アジアという地域的限定をするならば、インドやオーストラリアにとって東アジアの一員という認識は稀薄と思われる。日本の東アジア共同体構想には、欧州と類比的な「(ナショナリズムを超えた)東アジア地域で一緒に暮らしている人々と共通のコミュニティをつくっていく」という「共通意識の理念型」と「力の均衡の論理」が混在している。そして、「共通意識の理念型」が主で、「力の均衡の論理」が従になっている。
筆者はここに最大の問題があると考えている。前に述べたが、EUは、中世から培われてきたユダヤ・キリスト教の一神教、ギリシア古典哲学、ローマ法の三原理が一体になった「コルプス・クリスチアヌム(キリスト教世界)」という共通意識の土台があってはじめてできたものだ。従って、この原理のうちのローマ法を欠くロシアはEUと共通意識をもてないのである。「コルプス・クリスチアヌム」に相当する共通意識は東アジアに見あたらない。強いて言えば、新旧漢字文化圏ということなのであろうが、それは中華帝国に日本が吸収されることを意味するので、日本の国益に合致しないと筆者は考える。かつて日本は、大東亜共栄圏という形で人為的に「共通意識の理念型」を東アジアで構築することを試みたが、失敗した。この教訓からも学ばなくてはならない。筆者の理解では、地域共同体には「共通意識の理念型」の要因と「力の均衡の論理」の双方の要因が内在しているが、「共通意識の理念型」に軸足を置かない共同体構想は不安定だ。
筆者が見るところ、大川周明、廣松渉、田中均の三氏には、大東亜共栄圏、東アジア共同体を構成する地域の人々の共通意識が前提となっている。
大川の場合は、「やまとごころによって支那精神と印度精神とを総合した東洋魂」である。


日本の掲げる東亜新秩序とは、決して単なるスローガンではありません。それは東亜のすべての民族にとって、この上なく真剣なる生活の問題と、切実なる課題とを表現したものであります。この問題または課題は、実に東洋最高の文化財に関するものであります。それゆえに我らの大東亜戦は、単に資源獲得のための戦でなく、経済的利益のための戦でなく、実に東洋の最高なる精神的価値及び文化的価値のための戦であります。(英国東亜侵略史 第六日 我らはなぜ大東亜戦を戦うのか)

この東洋魂が生成されることで、中国人は蒋介石のような米英の手先となった傀儡政権に頼ることの過ちを自覚し、インド人は武器を手にとってイギリスの植民地支配に対して立ち上がる。そして、東アジアに諸民族が自由に交流する、豊かな自己完結的な小世界ができあがるのである。

廣松の場合は、この戦争の結末、新たな時代を担う共産主義的人間が生まれてくると考える。その原理となるのが欧米のポスト・モダン思想と親和的な「関係主義」だ。つまり、日本人、中国人という固定的観念を打破して、それぞれの人間の相互関係が築くネットワーク状のコミュニケーション形態で、これまでの民族や国家の壁を打破する新しい人間共同体が生まれてくるとの仮説だ。

新しい世界観、新しい価値観が求められている。この動きも、欧米とりわけヨーロッパの知識人たちによって先駆的に準備されてきた。だが、所詮彼らはヨーロッパ的な限界を免れていない。混乱はもう暫く続くことであろうが、新しい世界観や価値観は結局のところアジアから生まれ、それが世界を席巻することになろう。日本の哲学屋としてこのことは断言してもよいと思う。
では、どのような世界観が基調になるか? これはまだ予測の段階だが、次のことまでは確実に言えるであろう。それはヨーロッパの、否、大乗仏教の一部など極く少数の例外を除いて、これまで主流であった「実体主義」に代わって「関係主義」が基調になることである。(前出『廣松渉著作集 第14巻』、498頁)

田中の場合は実務家なのでわかりやすい。前に言及したように市場経済と民主主義という論理で中国を包囲し、それに地理的要素を加味した東アジア共同体の共通意識を作ろうというわけだ。

率直に言って、三者の見解においては、理念が先行し過ぎている。大東亜共栄圏や東アジア共同体を成り立たせる共通意識は文化である。西欧には「コルプス・クリスチアヌム」の理念、ロシアにはユーラシア主義、アメリカにはフロンティア精神、中東にはイスラームという共通の文化がある。大川が望んだ東洋魂も文化であるが、文化を知的エリートや政治エリートの操作で形成できるという思考に根本的な誤りが潜んでいたと筆者は考える。

筆者はこうした東アジア共同体構想には批判的であり、悲観的である。その理由は二つある。
第一に、大東亜共栄圏と同じ思想的構えに立っているので、同じ限界、すなわち日本、中国、インドの間に共通の基礎理念を構築できないという壁に突き当たることが必至であるからだ。
第二にアングロ・サクソンは戦争に強い。特に東西冷戦後、唯一の超大国となったアメリカを加えずに、アメリカにとって死活的利益が存在する東アジアに「共栄圏」を作るという構想自体が、「力の均衡の論理」を無視するものだからだ。太平洋を挟んでアメリカという帝国を隣国にしてしまった運命を日本は受け入れなくてはならない。その現実、あるいは制約の中で外交を展開することが日本の国益に適うと筆者は考える。
対中牽制を睨んで日本の外交戦略を「力の均衡の論理」に基づいて組み立て直すことが急務だ。具体的には、日米同盟の基礎の上で日本がインド、ロシア、モンゴル、台湾、ASEANと提携し、中国を国際社会の「ゲームのルール」に従わせ、日本の国益の増進を図るための連立方程式を組むことだ。そこで切磋琢磨しているうちに、自ずから「共通意識の理念型」が生成してくるかもしれない。しかし、それにはまだまだ時間がかかる。われわれに必要なのは、アメリカという超巨大帝国と中国という急速に国力を強化しつつある国家の間にある地政学的運命を冷静に受け止め、日本国家と日本人が生き残っていく方策を真剣に模索することだ。

 


解説
率直に言って、三者の見解においては、理念が先行し過ぎている。(中略)筆者はこうした東アジア共同体構想には批判的であり、悲観的である。

佐藤氏の現実的かつ理論的な思考には敬服します。

 

われわれに必要なのは、アメリカという超巨大帝国と中国という急速に国力を強化しつつある国家の間にある地政学的運命を冷静に受け止め、日本国家と日本人が生き残っていく方策を真剣に模索することだ。

その通りだと思います。

 


獅子風蓮



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