獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その2

2022-12-24 01:16:06 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



反撃のシナリオづくり
3月14日。
とうとう、母の命日もこんなところで迎えてしまった。
私は、万年床にしていた布団をきちんとたたみ、このマンションに来てから初めて、自分で掃除機をかけた。
母へのお供えを用意してもらい、一人一人が静かな祈りをささげた。
その夜。
早々と布団にもぐりこんでいた私のところへ、姉が近寄ってきた。
「ヒロさん、大事な話だから、ちゃんと起きて」
緊張した声だった。私は布団の上に膝をかかえて座りこむ。
「ヒロさん、私はやっぱり、統一教会から脱けてもらいたい。あんたは何もしてないかもしれないけど、こんなに社会悪を起こしている団体の広告塔になっているのが許せないのよ。私が牧師さんとつながっているのは知っているよね」
私は、バスタオルを頭からかぶったまま、ウンとうなずく。
「牧師さんの話を聞くか、今まで通り私たちだけで話をするか、どっちかに決めて。私はいつまででもいいんだよ。一生でもあんたにつき合う覚悟なんだから。ここの暮らしは快適だし、ごはんもおいしいし、ねえ」
私は、快適だという言葉が気に入らず、皮肉っぽくこう言った。
「よかったんじゃない。今まで9カ月間苦しんできたんだから……」
その時だった。
姉の顔色がサッと変わった。
今まで気丈にふるまっていた姉が、涙を流し、声をふるわせながら怒鳴った。
「何が9カ月苦しんで来ただア!あんたに何がわかる! 私は毎日夢を見てきたんだよ。毎日、あんたを説得してる夢を見続けてきたんだ。ごはんをつくってる時も何してる時でも、一時もあんたのことが頭から離れなかったんだ。9カ月間毎日だよ。あんたはそれだけ神様のことを思ってきたのか!」
返す言葉がなかった。
「あっちこっち行って、お願いします、ヒロコを助けてくださいって言っても、誰も引き受けてくれなかったんだ。お姉さん、それは無理ですって。両親がいないのに、どうやって説得できますかって。これは家族の愛情でしか救えないって。
親たちがどんなに必死になって牧師さんにお願いしてるか、あんたたちには、わからないでしょう! 一晩考えて決めなさい!」
かわいい自分の子供たちを家に残して、私のために必死に説得する姉。仕事まで辞めて、このことに関わっている叔父と叔母。
その真剣さにウソはなかった。
でも、この人たちが真剣であるように、私もまた真剣なのである。私は命をかけて信仰を貫きたいと思っているのだ。信仰をなくすぐらいだったら、神様の手によって、霊界に召してもらった方がいいとさえ思っているのだ。
私は負けない。たとえ何を聞こうとも、私の信仰は失われない。真剣勝負の戦いをしよう。
心を決めて眠りにつく前に想像した。
怖い顔の、いかにもいやらしそうな顔の牧師が入れかわり立ちかわり部屋に入ってくる。どんな暴力を加えられても、私は耐えるのだ。ナイフを持ってきて、それを牧師の手にゆだね、信仰を失うぐらいなら死んだ方がましだから私を殺してくださいと言うのだ。
いや、それよりも偽装脱会の方がいいかもしれない。最初は抵抗して、そのうちにわかったふりをして脱会を決める。それぐらいの演技はできるだろう。そして記者会見をする。浅見定雄や、統一教会に詳しいジャーナリストの有田芳生、それから明日から来る牧師やその他もろもろを横にズラーツと並べてやるんだ。記者会見場へ行く廊下で勅使河原さんとすれ違う。私は目も合わせずに、スーッと会場の中へと入っていく。それから私はしゃべり始める。
「私はここ座っていらっしゃる浅見先生はじめ多くの方々に感謝しています。なぜならば、統一原理が真理であることを再認識させてくれたからです」
みるみる変わっていく反牧のやつらの顔。私はそこで“拉致・監禁”の実体を暴露するのだ。
ウン、これは面白いかもしれない。でもちょっとやり過ぎかな。
まあ、いろいろ話を聞いて、「牧師さん、話はわかりました。でも私は統一原理を信じます」
というのがいちばんいいだろう。
あれこれと考えていると、なかなか眠れない。私は聖書を取り出して一心に読みふけった。


元教会員牧師の脱会理由
翌朝、姉に牧師さんを呼んでほしいと頼んだ。
そして、その日の夕方、二人の牧師が訪れた。自分の教会の仕事があるので、翌日からは交代で来られるということだった。私は三つ指をついて、少しばかり笑みを浮かべて出迎えた。
「ボクがサタンに見えますか?」
私は首をふった。誠実そうで嘘がつけないようなタイプに見えた。統一教会で言われているのとは、ちょっと違うなと思った。
「あなたは、統一原理を真理として信じているんですか」
「はい」
「真理とは、ぐらぐらしない、動かないものという意味ですね」
「はい」
「そしたら、統一原理が本当に真理であるのか一緒に検証していきましょう」
「はい」
今日はあまり時間がないので……ということで、初めに聞かされたのは、脱会した信者に対して、教会の指導者クラスの人からの脅迫電話を録音したテープだった。
(こんな人もいるの?)
おそろしいほどに、薄汚い口調だった。
統一教会をやめるのはいいが、反対活動だけはするな。霊の子たちに連絡するんじゃない。もし、そんなことをやったら、ただじゃおかない。----そんな内容のテープだった。
私は悲しくなった。教えは正しいのに、こんな人がいるから、教会が悪く思われたりするんだ。
文先生に申しわけない。そう思った。他にも多くの暴力事件の資料を見た。
信じられない。
しかし、統一原理は正しいし、メシアである文先生は正しい。それなのに私たち一人一人が、きちんと責任を果たさないから、こうなってしまうんだ。いきすぎのあった点は、これから私たちが改善していかなければならない。そうでなければ、神とメシアがかわいそうだ。
私は何を聞いても、そんなふうに思うばかりだった。
翌日。
牧師さんが自分のことを話してくださった。彼は、なんと以前統一教会員だったのだ。
(どうしてこの人は、堕ちちゃったんだろう。アダム・エバ<男女問題>か、アベル・カイン<上下問題>か。それとも反牧の手によるのか)
ところが、そのどれでもなかった。彼は教会員である時に、既成教会の神学校へ通わせてもらったのだそうだ。キリスト教と統一教とをひとつにしなければならないという神の摂理があるので、キリスト教を学ぼうということだったらしい。
そして、そこで統一原理でいうキリスト教の概念がかけ離れていることを感じ、深く学んだあと、自分から統一教会を脱会したのだそうだ。キリスト教を学んで、統一原理の間違いに気づいたのだという。
私は今まで、そんな人に出会ったことがなかった。教会の中で耳にするのは、「天理教や創価学会や、いろんなところから統一教会にいっぱい来てるのよ。それに既成教会からもね、たくさん来てるの。みんな今までのキリスト教では得られなかったものがあるから、どんどん来てるのよねえ」ということだった。
逆に統一教会から既成キリスト教へ自分の学びによって離れていく人がいることなど聞いたことがなかったし、また信じられなかった。
これこそ真理と思えるぐらい、統一原理は素晴らしいものなのに、それを自分から捨てたというのか。


脳天を打った衝撃の一文
そんないくつかの話のあとだった。『福音主義神学概説』(H・ミューラー著、日本基督教団出版局刊) のたった数行の文を見せられた時、私は、身体の中がカーッと熱くなったのを感じた。
それは、次のようなものであった。

問1 福音主義神学の本質は何か

1)福音主義神学は、〔十戒の〕第一戒の約束に基づいている。「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト記20・2-3)。福音主義神学は、すべての真正なユダヤ教神学とともに、ご自身をその言葉そのものによってその民に啓示し給うた神の約束の下に立っている。それはその基点において、啓示神学である(ローマ3・2f)。
それによってすべての異教的神学(自然神学)が退けられる。なぜなら、
 a  福音主義神学は、神が人間を欲し、求め、見出し給うことによってご白身を認識させるべく与え給うということに信頼しているが、しかし異教的神学は、人間が神を欲し、求め、見出すことによって神を発見するということを頼りにしているからである。
 b  福音主義神学は、神が神からしてのみ、すなわち神ご自身のみ言葉からしてのみ認識され得るということ、それゆえまた神がご自身を人間に啓示し給うということに基づいているが、異教的神学は、神が創造から(現に存在しているものから)認識され得ると考え、それゆえ人間は神を発見し得ると考えているからである。
 c  福音主義神学は、神認識が賜物であり恵みであることを知っているが、異教的神学は神認識を宗教性や敬虔における人間の業と見なしているからである。

(統一教会は、キリスト教を統一するなんて言ってるけど、これでは、そんなことは絶対にできない。キリスト教における最大の罪を犯しているんじゃないだろうか)
統一原理は、被造世界から、つまり現に存在しているものから、神を知ることができるという教えだった。
つまり、福音主義神学では異教的神学と定義されていることを、統一教会は行っていることになる。神を人間の理性や知性でおしはかれる存在とする統一原理は、神を人間より小さい存在として見ることになるというのが、福音主義の考えである。たとえ福音主義というものがキリスト教の中の一部の考えだったとしても、統一原理とは決して交わることはない。統一教会がキリスト教を統一することなど、できない相談なのだ。
私は、その本を一晩中読み続けた。難しい本だった。けれど、統一教会の信仰は、この本でいっている本当のキリスト信仰とはかけ離れているものであり、正反対の極と極であることだけはよくわかった。
どっちのいう神がホントなんだろう---- 。
(神様、どうか私に正しい判断を与えてください)

 

 


(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。

米本和広『我らの不快な隣人』(情報センター出版局、2008.07)
という本があります。

米本和広氏は、統一教会問題に取り組む弁護士・宗教家・学者・元信者たちから、「統一教会の肩を持つルポライター」として批判的に見られることがあります。
安倍元首相襲撃事件を起こした山上徹也が事件前に手紙を出した人物としても知られています。
山上徹也はなぜ反統一教会の運動をしている「正義の弁護士」に相談せず、「統一教会寄り」と見られることもあるルポライターに手紙を出したのでしょうか。

少し調べてみました。

米本和広
経歴:
島根県生まれ。横浜市立大学卒。繊研新聞記者を経てフリーのルポライターとなる。
本来は経済関係が専門だったが、幸福の科学の取材をきっかけに、新宗教やカルトの問題をも多く扱うようになった。……
『月刊現代』2004年11月号に発表した「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」を機に、世界基督教統一神霊協会(統一教会、現在の世界平和統一家庭連合)の脱会活動を拉致監禁と主張する本を出版し、それまでのカルト批判の立場に加えて、反統一教会・反カルト陣営の活動も問題視するようになった。統一教会の公式サイトでも米本の活動が複数回取り上げられている。
(Wikipediaより)

米本氏のスタンスは次のようである。すなわち、統一教会が「高額な信者献金」や「正体を隠しての伝道活動」の問題で社会的批判を受けても仕方はないが、「だからといって、子ども──子どもといっても成人であり、なかにはすでに結婚し家庭を築いている人もいる──を強引に拉致監禁し、強制的に説得するという行為が許されるはずはない。『拉致監禁』は刑法220条の『監禁罪』=懲役3ヶ月以上5年以下に相当する犯罪であり、たとえ親でも免責されるわけではない。
講談社「月刊現代」が強制改宗事件に関するドキュメント掲載 より引用)

米本和広氏の著書『我らの不快な隣人』を図書館で借りて実際に読んでみたところ、統一教会の悪い面はしっかりと断罪した上で、信徒を“拉致・監禁”して逆洗脳をする方法に対して、厳しい批判をしています。
反統一教会陣営では名うての“脱会屋”として、有名な人物(宮村峻)もいるそうです。
宮村には暴力的言動や、脱会させた信者を自分の会社の社員にするといった公私混同があるとのことです。
脱洗脳を手助けする牧師にも、金儲け主義的で乱暴な人もいるようです。


監禁方法についても具体的に言及されています。
少し引用します。

監禁にもソフトとハードがある。
もっともソフトなのは、山崎浩子を脱会説得した杉本誠のやり方である。
彼が好んで使う言葉は「南京錠ではなく愛情の目で縛れ」というもの。
家族に用意してもらうのは民宿。そこに両親、兄弟、祖父母、親戚……など一族を集める。……
杉本が要求するのは監視要員としてではなく、その信者のことを心の底から心配して民宿に駆けつける人たちである。……

山崎浩子さんは、たまたま“反牧”の中でも良質の牧師さん(杉本誠)に巡り会えたようです。
そのおかげで、脱洗脳がスムーズに行われたと言えるでしょう。


獅子風蓮



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