d-マガジンでこんな記事を見つけました。
サンデー毎日 2023年3月5日号
挑む者たち24 石戸諭(ノンフィクションライター)
旧統一教会「2世」が起業家になった哲学の力
__「哲学クラウド」代表取締役CEO
上館誠也(かみだてせいや)
「神とは何か?」----。
彼は、西洋哲学の根本にあるような問いを小学生の頃から考えざるを得なかった。起業家、上館誠也(かみだてせいや)は旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)信者の家庭に生まれた。
教義に対する疑念と対抗するために考え続けたことは、やがて有名企業も導入するビジネスアイデアの源泉になっていく。ビジネスパーソンが仕事上の悩みを哲学者との対話などを通じて、ビジネスに還元していくというマネジメントプラットフォーム「哲学クラウド」である。
なぜ彼に「哲学」とビジネスが必要だったのか。生まれから紐解いていこう。
両親はともに熱心な信者だった。父はトラックの運転手や新聞配達をしながら献金を続け、母は山口県下関市から上京したときに信者になった。手相占いを装った信者に勧誘され、そのまま布教活にのめり込んでいったという。
そんな両親のもと、彼が生まれたのは31年前の山形県である。ほどなく母方の実家に近い下関市内に引っ越す。最初に疑念が芽生えたのは、小学2年生の頃だった。好きな同級生ができたのに教義の名の下に否定され、母親は彼を国内に置いて、エルサルバドルに布教活動に向かった。父が仕事に出ていくため、下関市内の教会に預けられた。周囲の大人の立ち居振る舞いを徹底的に観察しながら、素朴な疑問が浮かぶ。
彼らは何でも知っている「神」の教えを大切にしろと言いながら、茶菓子を口にしながら、世の中への不満ばかりを口にしていた。その割には何も行動せず、おしゃべりに興じているだけだ。
老朽化した教会の一角で、彼は強烈な違和感を覚える。時を同じくして祖父の勧めで柔道を始めた上館は、家庭や教会とはまったく異なる外の世界を知る。彼には柔道の素養があった。後にオリンピック金メダリストになるような選手と組み合って勝利を収めたり、県代表として県外遠征をしたりと経験を積むことが人生に自信を与えた。
外の世界で結果を出せば、教会の礼拝に行かないことも咎められなくなるどころか、教団関係者は大いに喜んでいた。旧統一教会の世界観では、世界を神とサタンの二項対立で考える。外の世界はサタンの世界なのに、なぜサタンの世界の成果を大人が喜ぶのかが彼には理解できなかった。
小学5年生の頃、授業で出合ったディベートで論理的に考えることを学ぶ。図書館で資料を集め、本と新聞を読み、ロジックを組み立て発表するという授業は、大きな転機を与えた。外で得た自信と言葉を使って論理的に考えること。この二つが結びつき、彼は両親に論戦を挑むようになる。
「神とは何か?」
「文鮮明や神の教えを、考えない根拠にしていいのか?」
「何も考えなくていいように教会に行くのか?」
両親の答えからも教義を読み返してみても、神が存在するという説得的な根拠はどこにも書いていなかった。存在しないものの言葉を信じなければいけないという根拠もない。「神とは何か」が知りたいがために、教会で大人たちが語る言葉を熱心にメモに取ったが、ここにも説得力のある考えはない。
最大の支えになったデカルト
「我思う、ゆえに我あり」
彼は小学生の時点で、一つの結論に達する。神とは存在ではなく、一つの判断基準にすぎない、と。そんな彼の考えを肯定してくれたのは哲学書だった。
図書館で何度も読み返したのはデカルトの『方法序説』だった。むろん、内容をすべて精緻に読み取っていたわけではないだろう。だが、「我思う、ゆえに我あり」という言葉は家庭内で孤独を抱えていた彼にとって、最大の支えだった。神について考えてきたのは、自分だけではなく西洋哲学に刻まれていると知った。中学、高校と進学しても我流でカントやニーチェの著作を読み漁った。神の教えを実行するのではなく、自分の人生において大切なのは自らの頭で考え、切り開いていくものだという思いを強くした。
上館の回想……。
「もし神がいるのならば、旧統一教会がファンドを作って、なんでも知っている神に、明日の株価を聞けばいい。信者から献金を集めるより、はるかに効率的にこの世に出回ったサタン側のお金を投資で手に入れることができる。教義に則して考えれば、そのほうが世界をよくする近道だろうと。なぜやらないのか? そんな話をしても親も含めた信者から納得した答えは返ってこなかったんです」
(つづく)
【解説】
神の教えを実行するのではなく、自分の人生において大切なのは自らの頭で考え、切り開いていくものだという思いを強くした。
これは、創価学会の教えに疑問を持ったアンチにも通じる大切な方法だと思います。
獅子風蓮