山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。
(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき
■第4章 暴かれた嘘
“反牧”との戦い
「ヒロさん、ホラ着いたよ」
姉に起こされて、車中に脱ぎ捨てていた靴をはく。車を降りて、やっとたどり着いたのは、あるマンションの一室だった。
(窓には鉄格子はないんだな)
教えられてきた“拉致・監禁”のイメージと少し違ったのでとまどいを覚えた。
「今日はもう遅いから寝よう。明日からきちんと話し合おう」
そういう叔父の腕時計に目をやると、もう明け方近い時間だった。
(少なくとも、北海道じゃないな)
私は推理小説の探偵にでもなったような気分で、つとめて冷静でいようとした。
明日から、いや正確には今日から戦いが始まる。
私は姉から渡されたパジャマを着ることなく、洋服のまま、布団にもぐりこんだ。
布団の中であれこれ考えてみる。
(姉はなぜ、こんなバカなことをしたのか)
姉は世間体を気にするタイプだった。こんなことをしたら大騒ぎになるのは目にみえている。それをやってのけるとは、正直いって思ってもみなかった大胆さだった。
先日も教会の人に、「お姉さん、大丈夫かしら。一周忌を前に、もう一度、人身保護の嘆願書と婚姻届を書いといた方がいいわよ」と言われ、「まあ、姉は拉致・監禁なんて、そんなだいそれたことはしませんよ」と答えていたばかりなのに。
私の信仰は、自分のためだけじゃない。姉たちのためにも信仰しているというのに、それを知らずして、“反牧”のわなにはまった姉たちを恨めしく思った。どんなに私のことが心配だといっても、これはやりすぎである。私の社会的立場を考えていない。“反牧”が出す本を読みすぎて、正常な判断をなくしてしまったのだろう。
私は、裏切られた想いでいっぱいになり、腹が立って仕方がなかった。
自宅の机の上に置いてきた婚姻届が頭に浮かぶ。
(やっぱり、教会の人の指示通り、もっと早く書いておくべきだった。なんでサインをすませておかなかったんだろう。書いておけば、彼も私のことを捜しやすかっただろうに)
逃げようとは思わないが、話し合っても平行線なのは目に見えている。かといって勅使河原さんに助けを求めても、彼はまだ赤の他人の存在でしかない。今の状態は、夫と妻の立場ではないのだ。
どうすればいいんだろう。どうなるんだろう。行く先は真っ暗で、何の光も見えなかった。
無言の抵抗
3月7日。
お昼頃に目を覚ました私は、姉たちを相手にしないことに決めこんだ。
(この人たちとは、口もききたくない)
私はフテ寝をして、無言の抵抗を続けた。起きている時は、部屋の隅の三角コーナーにへばりつき、じっと座りこむ。「ごはんを食べなさい」とかなんとか言われても、ウンともスンとも答えなかった。ごはんも“ねこまんま”にして少し口にするだけ。あまり食べたいとも思わなかった。一人になれるのはトイレだけなので、何度もトイレに入っては、また三角コーナーに座りこむ。やることがなくて、しょっちゅう歯を磨く。
姉はそんな私を見て、
「蕩減条件でもやってんの?」
と笑いながら聞く。
私はムカついて、
「なんで歯をみがくのが蕩減条件になるのよ。バッカじゃない?」
と、あざけり笑うのが精いっぱいだった。
叔父たちは、姉が持ち込んだ反対派の本をじっと読みふけっている。部屋には、『統一教会=原理運動、その見極めかたと対策』(浅見定雄著)など、十数冊の本が散乱している。
(こんな反対派の根も葉もないメチャクチャな本を読んでたら、叔父たちが洗脳されてしまうじゃないか。色メガネをかけた状態で、どうやって私の話をきこうというのか)
私はとくに、この浅見定雄なる人物がきらいだった。何度も元信者と一緒にテレビに出て、統一教会批判を繰り返していた人であり、「彼こそ、改宗グループの長である」のだと聞かされていた。
姉が「浅見大先生が……」というたびに、頭に血がのぼる。
(なーにが浅見大先生だ。フン、やっぱり改宗グループとつながってんじゃないか。早く反牧呼んでこい。反牧を)
私以外の者は、皆、敵だった。誰も私の心などわかるはずがない。
なぜなら、彼らは統一原理を知らないからである。私は、姉や親戚のためにも信仰を貫いているというのに、統一原理を知らないということは、恐ろしいことだと思った。そうして反対活動をすれば、姉たちが悲惨な末路をたどってしまうことになるのに。
私は祈る。
(天のお父様<神様>、姉や叔父たちは自分が何をしているのか、わからないでいるのです。どうぞ姉たちを許してください。私が姉の9カ月に及ぶ苦しみを、わかってあげなかったのがいけないのです。その苦しみは、この場において、私がすべて受けたいと思います。
どうかお父様、どんなことがあっても最後まで、あなたを信じ、ついていきますので、守り導いてくださいますように願いながら、真のご父母様<文鮮明・韓鶴子>の御名を通して天の御前にお祈り申し上げます。アーメン)
私は、聖書の中でイエスが十字架につけられる時にイエスが語った言葉のような祈りをささげた。
あふれ出る涙をバスタオルで拭う。たぶん私の気持ちをいちばん理解してくれているのは、このバスタオルだけだろう。このタオルは、片時も私の元から離れることはなかった。
「こんなの話し合いじゃない」
「ヒロさん、なあ、けっこう快適だよね。私はいいんだよ。一生でも二生でも付き合うから。もう離婚覚悟で来てるんだから、あんたも好きなだけいていいよ。ほら、叔父ちゃんも叔母ちゃんも仕事辞めて来たんだから。ねえ、叔父ちゃん」
姉がベラベラ一人でしゃべりまくる。
(とんでもない。一生、こんなとこにいてたまるか)
和室が二つとリビング。台所には、10キログラムのお米が3袋。たぶん、もう1袋開いているのがあるはずだから、計4袋。様々な食料品も、きちんと、たくさん備えてある。
姉の意気込みが半端なものでないことは、それらを見ただけでよくわかる。
私は、たまらなくなって、泣きわめいた。
「なんでこんなことする! なんでこんなことしなさやいけない! 私はどこにも逃げない。東京の私の家でだって話し合いはできる。こんなの話し合いじゃない。こんなの話し合いじゃない!」
「ダメよ。家なんかでやったら、すぐ統一教会の人が来ちゃうもの。これしか方法がないの」
姉は、今度は少し諭すような調子で言った。
「ヒロさん、あのね、私たちは別に強制的にやめさせるために、ここにいるんじゃないの。ただ、別の情報を知ってもらいたいだけなのよ。あんたたちは統一教会の出す本しか読んでないでしょ。だから、両方の情報から判断してくれれば、いいことなのよ。全部知って全部聞いて、それでもあんたがやるっていうなら、そりゃ仕方ないから、私は何も言わない」
(私は別に、教会の中だけにいたんじゃない。普通の仕事してたんだから、他の情報だって何だって知っている。ただ、それは全部ウソっぱちの情報なのに……)
もう、言い合う元気もなかった。
何日、こんな調子が続いただろうか。
私は、新体操スクールのことが気になって仕方がなかった。スタッフがどんなに困惑していることだろう。
勅使河原さんだって、本当に心配しているに違いない。3月7日の夜、11時過ぎの夜行バスに乗って、一緒に東京へ帰る予定だったんだから、心配しないはずがない。彼もきっと“拉致・監禁”だと思っているだろう。
(今頃教会は、“拉致・監禁キャンペーン”でも張っているのだろうか。それとも、私がもし脱会することにでもなったらということを考えて、ひた隠しに隠すのか、どちらかしかないな)
無言の時を過ごしても、あきらめてくれそうにない。かといって口を開けば、言い合いになるだけだ。
原理講論の解説をしてくれと言われて、必死で説明しても、本の最初の3行でつまずいてしまう。どうして、うちの親族は、こうも物わかりの悪い人間たちなのだろうと、あきれてしまう。
そんなある日、ここに来て何日目の夜だったろうか。私は今までの攻撃的な態度を一変させ、おちゃらけた口調で、しゃべりまくった。
「早くしないと、世間が大騒ぎするでごじゃりまする。早く“反牧”を呼んでこいでごじゃりまする。『サダボウ』でもいいでごじゃりまする」
こんな調子で2時間はまくしたてただろうか。「サダボウ」とは、憎っくき浅見定雄のことだった。
みんな、そんな態度の私を見て、久しぶりに大笑いし、私もなぜか気持ちがよかった。
(つづく)
【解説】
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。
獅子風蓮