「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

(無題)

2008-06-09 23:31:31 | 日記
暗いニュースばかりで気持ちも晴れない。
多くの人の命が、天・地・神ならぬ同じ人の手によって一時に失われるというのは何とも言いようがない不快感だ。
しかもこれが終わりではない始まりのように思えてしまう今の世相。
人種の争いがある外国ではなく日本で起きているということに、今の日本の手詰まり感を観る思いだ。

人の精神活動の三側面である知(智)と情と意。
その中心となるのは情でなければならない。
知が勝ちすぎると必然、善悪の彼岸に達する。
その知の暴走を止めることができるのが情であり、感受性であり、その上の想像力なのである。
よく言われるのは理性による感情のコントロールの方であるが、そのようにしてコントロールされ押さえられた感情は感受性を育てえない。むしろ、知ばかりが強くなり、現実には私利私欲に走りながら理屈で自己肯定する政治家や役人のような人間を生み出す。オウム事件のようなテロリストも同根だ。
かつての維新の政治家がすぐれていたのは国思い人思う情と意の下に知を置き道具として学び用いたからである。
以前にも書いた想像力の欠如もこれが相違によるものである。

諸外国においては感受性の育成を宗教がカバーする面もあるが、日本においてはその力は否定的な意味ではないが間違いなく劣る。
かといって、中国のように仮想敵を対置させたナショナリズムの高揚による方法は論外。
残された方策は少なく困難を伴うがまだこの国には可能性がある。
一人一人がその可能性に気づいたときが、おそらく最初で最後のチャンスとなろう。
ただ、その時を、私が見ることができるであろうか。