川勝平太、またも海外へ。
しかも今回は便利になった羽田新ターミナルから金浦空港(仁川よりもソウルに近い空港)へという王道での訪韓だ。
わざわざ静岡空港にこだわる必要はないということを知事自ら実証・実践した形だ。
今月15日から17日までの日程で表向きの名目は県産品のトップセールスだそうだが、中身をみると具体的日程があるのは16日のみで前後の日は空港近くでの前泊と後泊による移動のみ。
県産品フェア開催のロッテデパートの訪問が11時半からだが、むしろ主な目的は円光デジタル大学茶文化経営学科主催のシンャWウム(午後2時半~4時半)で川勝自身が行う「お茶を中心とした静岡の文化・産業の歴史的発展」という講演と見るのが適当だろう。
公私混同というか、最近の川勝を見ると川勝の私物化というか、「ふじのくに教団」教祖川勝平太による静岡県乗っ取りのような様相だ。
話題はふりまくが、結局のところ目立った成果どころかほとんど成果なし。
事業仕分けも国に先んじたまではいいが、今国でも問題になっている「名前を変えて復活」まで先んじて仕分け骨抜きにする始末。
天下り禁止も同様で、国に先んじて「あっせんしない再就職は天下りに含めない」という骨抜き解釈を初披露したのも川勝県政だ。
立ち木無断伐採の際は住民監査請求が出されるや寄付という形での返還を認め請求を無効にするなど新手まであみだした。
国や他県の役人から見たら悪知恵の宝庫のようだ。
その川勝が昨日の定例会見で力説したというのが「初夏から秋にかけて、かりゆしを公用の服装にすれば、沖縄県の方々に共感してもらえる」(毎日新聞)との発言。
県庁職員全員に支給(当然一着というわけにはいくまい)して、いったい幾ら鰍ゥると思っているのだろう。
彼の眼中には沖縄県民はあっても、生活に不安をもっている静岡県民の姿はないようだ。
職員の中国詣でに税金投入をいとわない彼のことだから、次は中国の方々に共感してもらえる人民服を春服にと言い出してもおかしくない。
誰のために権力をふるっているのか。
子どもに実弾入りの拳銃を与えたに等しい。
今月行われた年に1回の知事、静岡、浜松両市長との3者会談の際は「あちこちめぐって富士山を見て帰ってもらう。富士山を見ることが人類の幸福につながる機運を盛り上げたい」(産経ニュース)とぶち上げ2人の苦笑を買ったそうだが、富士山を見て人類幸福というのは信仰であって、もはや、教祖川勝による宗教そのものだ。
いまや、県の事業など、静岡県という表記よりも「ふじのくに」ばかりが目立つ。
「ふじのくに教団」恐るべしだ。
しかも今回は便利になった羽田新ターミナルから金浦空港(仁川よりもソウルに近い空港)へという王道での訪韓だ。
わざわざ静岡空港にこだわる必要はないということを知事自ら実証・実践した形だ。
今月15日から17日までの日程で表向きの名目は県産品のトップセールスだそうだが、中身をみると具体的日程があるのは16日のみで前後の日は空港近くでの前泊と後泊による移動のみ。
県産品フェア開催のロッテデパートの訪問が11時半からだが、むしろ主な目的は円光デジタル大学茶文化経営学科主催のシンャWウム(午後2時半~4時半)で川勝自身が行う「お茶を中心とした静岡の文化・産業の歴史的発展」という講演と見るのが適当だろう。
公私混同というか、最近の川勝を見ると川勝の私物化というか、「ふじのくに教団」教祖川勝平太による静岡県乗っ取りのような様相だ。
話題はふりまくが、結局のところ目立った成果どころかほとんど成果なし。
事業仕分けも国に先んじたまではいいが、今国でも問題になっている「名前を変えて復活」まで先んじて仕分け骨抜きにする始末。
天下り禁止も同様で、国に先んじて「あっせんしない再就職は天下りに含めない」という骨抜き解釈を初披露したのも川勝県政だ。
立ち木無断伐採の際は住民監査請求が出されるや寄付という形での返還を認め請求を無効にするなど新手まであみだした。
国や他県の役人から見たら悪知恵の宝庫のようだ。
その川勝が昨日の定例会見で力説したというのが「初夏から秋にかけて、かりゆしを公用の服装にすれば、沖縄県の方々に共感してもらえる」(毎日新聞)との発言。
県庁職員全員に支給(当然一着というわけにはいくまい)して、いったい幾ら鰍ゥると思っているのだろう。
彼の眼中には沖縄県民はあっても、生活に不安をもっている静岡県民の姿はないようだ。
職員の中国詣でに税金投入をいとわない彼のことだから、次は中国の方々に共感してもらえる人民服を春服にと言い出してもおかしくない。
誰のために権力をふるっているのか。
子どもに実弾入りの拳銃を与えたに等しい。
今月行われた年に1回の知事、静岡、浜松両市長との3者会談の際は「あちこちめぐって富士山を見て帰ってもらう。富士山を見ることが人類の幸福につながる機運を盛り上げたい」(産経ニュース)とぶち上げ2人の苦笑を買ったそうだが、富士山を見て人類幸福というのは信仰であって、もはや、教祖川勝による宗教そのものだ。
いまや、県の事業など、静岡県という表記よりも「ふじのくに」ばかりが目立つ。
「ふじのくに教団」恐るべしだ。